昨日の疲労で体があちこち痛い。昨晩は帰ってきてついだらっとツイッターを見てしまったりしててお風呂に入るのも遅くなり寝たのは25時過ぎになった気がする。だらっとツイッター見るのはほどほどにしたい。クロ現見て泣ける。

渋さ知らズの30周年記念のフェス、渋大祭に行った。川崎の東扇島東公園という場所で、名前は聞いたことあったが初めて行った。この日は先にキセル野音ワンマンのアナウンスがあり、チケットも発売になっていたところにこの渋大祭開催の告知が出た。うわあああと思ったが、ROVOが出る時点でこちらへ傾いてしまった。キセル野音で見れなくてもかまわないといった気持ちもあったりして。野音という場所のそれだけで特別になる意味合いはあるが。ROVOと渋さが同時に見れる、それは今までありそうでなかったし、この先にもそうある気がしないように思えた。加えて次々発表される出演者も自分の好みに沿っていてこんなフェスには2度と遭遇できないかもしれないとさえ思った。実際それは確かにそうだったと思う。また渋さがやってくれたら最高だけど、また、なんて気軽に考えはしない、というのもそれはそれで味がある気がする。

気になったのは天気。数日前までは晴れ予報だったのが雨と曇りのあやしさ、でも前日には一応曇りと出ていた気がする。なのでそのつもりでいたのに朝起きたらめっちゃ雨降ってる?!ツイッターで前2日を同じ場所で開催していたベイキャンプはオールナイトで朝までだが雨がすごい状況で2時間タクシー待ちして帰ったとかある。田んぼ状態とか。予報で見ると渋大祭開始の12時半頃には小雨になるようだが、足もとがどうなっているかわからないから靴に悩む。荷物も迷う。結局靴はスリッポンタイプの雨靴にして、簡易カッパを持っていくことに。めずらしくTシャツを着た。3年前くらいに買った気がするROVOのTシャツ、多分これを着てる人って全然見たことないような。うすピンク色があって珍しくて買ったんだけど。そういえばちょうど1年前にはオウガの野音ワンマンだったのだなと思い出す。あの豪雨の…。あれに比べたらどんな雨も大概平気な気がしてしまうが。そしてその時はいてたのと同じデニム地のハーフパンツをはいてた。

11時半くらいに川崎駅に着いて、駅でトイレに行くと同じ場所に行きそうな人がちらほら。なぜかここで急にいかにもそれっぽい格好をしている自分が恥ずかしくなる。フェスに行くとか久々すぎるし、普段行くライブの時はTシャツとかそれっぽい格好はほぼしないのもあるせいか、慣れなさがすごい恥ずかしさ。ぎゃふーと思いつつ会場までのシャトルバス乗り場へ向かう。バスは20分くらい待ったけど座れたのでラッキー。横に立った女性ふたりの会話が聞こえるので聞く。

会場に着けたのは12時半くらいで、小雨ではあるけど晴れ間も見えてきていた。ゲートでリストバンドをもらって、久しぶりだなこうゆうのー!とちょっとわくわくする。どうにかつける。慣れてない。ROVOが13時というのははっきり覚えてたけど、そういえば渋さが12時半からだったのだ。始まっていたが、とりあえずROVOのステージ前方の水たまりがないところで聞く。メインステージ二つは隣り合っている。渋さは全然見てはいないのだが全員でやってるわけじゃないんだろうと思いつつ、この編成の音楽はまた全然違っていて面白いなと思う。そのままぼーっとしてたら肩を叩かれる、kさんだった。ステージ下手はなんとか水たまりも少しくらいだが、上手は大きな沼的な水たまりができててそこだけふんわり空間があくのがもったいなげだったけど。だから今日は下手だな〜って感じで山本さん近くで見れるかな〜と思ったけど楽器全般がステージ奥まったところにセッティングされてたので遠かった。しかしROVOをこうゆう屋外で見るのは実に初めて見たときぶりだ!と思って少し感慨深い。そのときは全く何も知らずたまたま見てしまったわけだが、それからの私の音楽遍歴はそれがなかったらなかったよなあと思っているので、とにかく16の時、2002年のライジングサンでROVOを見たということに多大な影響を受けている。そこからずっとこんなに好きでいるなんてのは思ってもなかったことだが、好きになれてよかったなあと思う。今はもはや好きすぎて、ステージ上で6人揃ったときの愛くるしくてたまらない感がやばい。6人あわせてひとつの大きなぬいぐるみのもふもふのように愛でたい。しかしもうこれならROVO結成30周年とかいけそうだよね?って気もしてきたな。ライブは以下。

なんとなく予想では2曲目にやった新曲をこないだの横浜でやらなかったけど今日はやるんじゃないかなって気がしていた。キャッチーだから。あとKMARAも。4曲目の新曲はこないだも聞いてるんだけど、山本さんの入りがより濃厚に感じられた。ここで5人がにやにやしてるのほんと面白い。この曲、構成がどうゆうルールで成り立っているのかがわからないとはいえ、みんなでにやついてて楽しそう。なんだかんだ、この楽しそう、という雰囲気は素敵なものだと思う。山本さんは動作からして何かおかしくなったようだ!というのがわかるのだが、後ろを向いて芳垣さんや仁さんに何かを求めてる…?するとリズム隊の皆さんは自分たちも演奏してるにも関わらずどうにか伝えようとしている…芳垣さんは体で何かを示そうとするがいや今両手両足で叩いてるよ…って思ってたら仁さんが素早く手で指し示して今ここ!と教えてあげていた。とはいえそのときには山本さんもわかっていたのかも。よくこんな形で演奏ができるものだなと思う。まあできるんだろうけど。この曲は長いこともあり叙事詩かよって感じに展開していくので聞きがいがある。山河の風景が私には見える。野音でまた聞きたい。KMARAが良かったなあ。雨は途中からほぼ止んで、カッパも脱いだ。初っ端からよく踊ったので、なんかすごく喉が渇いた。屋外でROVO、楽しい。

終わってからトイレへ。男子はすごく並んでるが女子は男子トイレの2倍くらいの数があるし、全然並ばず。客層の割合でも男性の方が多い気もするし、こうなっちゃうのかも。トイレ出たらトイレの列に並んでたtさんに会う。栗コーダーカルテットを少し見る。こないだも見たけど、改めて栗原さんがデートコースでベースを弾いていた経緯的なもの含めた謎について想いを馳せる。ピタゴラスイッチの旗が上がっててかわいい。

それから移動してGOMA & The Jungle Rhythm Sectionを見る。わりとステージ正面からは外れたとこで見てたけど音の聞こえは良い。後ろの方は後ろの方で好きに大きく踊っている人が多いのでその中に紛れて聞いているのかいないのか、よくわからない意識の飛び方になる。GOMAさんはいつも屋外で聞いてばかりかも。音響が違う感じで聞きたい気もする。GOMAさんの存在力みたいなパワーが強くてそれがまぶしいと思う。

それから小腹が空いたので唐揚げとポテトのセットを食べる。クラムボンがセッティングを始めていて、郁子ちゃんかわいい、伊藤さんのドラム聞きたい、ミトさんが金髪になっているようだ、、と隣のステージで中村佳穂さんが始まる。youtubeとかでは見てたしライブの評判もすこぶる良さそうなわけだが自分の趣味としては外れてしまうかなーという気がしていた。で実際見てみるとバンドとしてのクオリティは高そうで、中村さん個人のスペックも充実して高そう。客席への投げかけや巻き込むパワーも強そう。でも私は多分そうゆうところがちょっと苦手なんだろうなあ。基本的に客としてのノリなどを求められるのが苦手で、そうゆう場に馴染めない自分を感じてしまうから。音楽自体は面白そうでもあったけど、自分なんかが聞くのは違う気がするというこじれた思いで去る。

もともと時間がカブってて見たかったスガダイロートリオへ移動する。ここのステージを見たのは結局この日このトリオでだけだったわけだが、個人的にはベストアクトだったように思う。ずっと気になってはいたなか初めて見たというのも大きいだろうけれど、やはりそういった出会いのファーストインパクトの強さというものは誰しにもあるものでもないしそれを感じ取れる出会いというのは重要だろう。まずここのステージの音響がもこもこした感じで、それがすごく好みだったりして。もこもこしてる音が好きなんだよなあ。そのもこもことした音がステージの外をまとわり付いている中、その内側でトリオの演奏が見える。あそこから音が出ているんだなという確認をするが、なんだかすぐには脳が追いつかない。一体どのようにステージに位置し、どのようにやり取りをして、どのように音を叩いているのか。高くないステージ、人の群れでそんな詳細はほとんど見えないが、かすかに隙間から見える部分部分の情報でどうにか自分の中に音の生成元を把握しようとする。音だけでは自分が頼りなくなってしまったのだろうか。視覚で補おうとすることを必要としていた。けれど結局は持続して視覚を維持できないので聞くことへ集中することにシフトしていった。少しずつ自分の中で音の手応えがつかめてきた。すると俄然楽しく、面白くなってくる。たまらなくやばい、最高な気持ちになってきた。一体何がどう出てくるのかわからない音楽で、ジャズで、私の身体は明らかに遅れをとるようにしてしか音楽についていけない。けれどその遅れをとった反復が気持ち良いのだ。それはONJQでも同じことを感じたことがある。まるで残像のようになった自分の身体。音にひもで縛られたかのように、その縛られた中でしか反応できない動けなさがたまらなく気持ちいい。自分の身体があんな風に鮮烈に感じられるなんて、びっくりする。その時身体はただの媒体であり、風力発電の巨大な風車のような感じがする。まだまだ全然知らない自分の身体があったんだなと思う。よくは見えなかったけど、トリオの中の信頼と放置のようなやり取りがすごくかっこよかった。ぎゃふーんとなっておしまい。自分の全てが奪われてしまうようだった。ぎゃふーーーんとしてたら後ろにkさんがいた。

次はまた別のステージで芳垣細海伊賀吉田+元晴を見るべく移動する。2列目くらいに陣取る。セッティング中で、芳垣さんがどセンターにいる。細海さんのオルガン、エレピ、にアンプ?スピーカー?が木箱の中に入ってて扉もついてるんだけど中でファン見たいのがゆるく回転しててそこだけ扉部分も開いている形になっており、後ろのおじさんたち曰くそれによる音の効果が何かあるらしい。謎すぎる。細海さんをぜひ拝見してみたかったのでこの謎っぷりにはそそられる。ゲスト参加の元晴さんはソプラノとテナーかアルトサックスを吹いていた気がする、もう忘れてしまった…。初めて拝見したが、めちゃうまで恐れ入る。吉田さんはバリトンサックスとフルートも吹いていたかな。伊賀さんは伊賀さんの相変わらずな感じだが、芳垣さんと一緒に演奏しているというのがやはり見てみたかった。4か5曲くらいやったかな。少しだけ映像で見たことあったからなんとなく好みっぽいなとは思っていたが、ドンピシャだった。で確かコピー曲やってるというのも聞いたことあったけど、ピンク・フロイドやカンの曲をやっていたらしい。ぜんぶぜんぶかっこよかったけど、特に最後から2曲目では芳垣さんが吠えまくっていた。なんかちょっとよくわからなかったけど、特に伊賀さんとのコンタクトを強く取ろうとしていたのかな。結構な速い曲でみんながみんな同時に暴れまくっているのですごい複雑さで異様にはちゃめちゃなんだけどそれが子鬼が遊びまわっているようなぐるんぐるんとした状況なので、芳垣さんも演奏しながらよくそこまで吠えるなっていうか、ここまで吠える芳垣さんなんて滅多にないよね?と思った。芳垣さんもむちゃくちゃ手数多かったと思う。他の曲でも伊賀さんがひたすらずっと同じフレーズを弾いててその上で他の4人が動き回るという構図があったりして、こんなにもベースだけの上で他の楽器が遊びまわってるなんて、こりゃあすごいことだ、とちょっと呆気にとられた。こんなことってある?と思わずにいられない。ああもっと早くから見ていたかった、見たかった、という思いと多分ベルベッドサンでしかやってないと思うので荻窪行くのが面倒な私にはハードルが高く、今回見られたのはラッキーだった。あー、やっぱり芳垣さんってすごい、すごい、すごい。このバンドで特徴的なのは芳垣さんがセンターに位置するということだ。よく考えるとそのような配置になることってあまりない。そのセンターに座する芳垣さんの帝王感。だけどみんなへの目配せで最大級に忙しなくもある、それがむちゃくちゃかっこいい。芳垣さんの他のどのバンドとも違う、ってまだ見てないグループとかもあるわけだが、、でも複雑怪奇ながらポップでグルーヴィで獣くさいこのバンド、すごく楽しい。とにかくやっぱり芳垣さんのドラムが好き好き好き、ということを確認してしまった。いつも確認してるけど。

終わってからtさんkさんと合流。移動する途中で岩下の新生姜ブースで生姜のかぶりものをつけて写真を撮りたいと言うkさん。私は遠慮しとくかな、と思ったらブースのスタッフさんがかぶりものは3つあるからともはや逃れられない雰囲気でかぶる方向に。そして3人ともメガネだったのだが眼鏡はつけたままはかぶれないらしく、メガネはここに置くんですと生姜上部にひっかけてもらう。こんなかぶりもの初めてなんだけど、、とよくわからない状況に笑うしかなく撮ってもらう。ちょうどクラムボン終わりのお客さんたちがたくさん通り始めてきていて、妙に見られててなお恥ずかしい。しかしこの状況の私たちを見て我も我もとやりたがる人たちが出てきていたので役に立ったのかも。ふたりとは出会ってから結構経つけどこうやって一緒に写真を撮るなんて機会もそうそうなかった気がするので良い記念写真になった気がする。でもみんないつもメガネかけてる顔なのにこの写真ではかけてないというのが変だったりして。

それからサン・ラ・アーケストラを見る。私はかるく名前や存在を知っているくらいで、すごいんだな、くらいのことしか知らなかったので事前にちょこっとだけググったりした。やれないのではなく誰もやってないことをやる、みたいな精神はすごいなと思う。だからかサックス吹いたり太鼓類叩いたりついには側転までしている人がいるのだなと納得できた。一体何人編成だったのかもよくわからずじまい。まるで統率感がない。しかし曲として成り立っている。ドラムやギターは崩れず演奏していたような。はっとして、これはこの混沌は…と思って怖くなった。

 そのあとはタイチさんを見に行くかなあとトイレに行ったらなんかどっと足が疲れている気がしてきた。ベンチが空いてたので座る。もうこれは休憩時間にしよう…と忘れないうちにいくつかツイートメモするなどする。全体にこの空間は程よくぬるい。客入りは決して多くないのだろう。なんか初めて行った02年のライジングサンを思い出すような、深夜のその時の雰囲気を思い出すような心地になった。そのあと03年も行って間あいて07年に行った時はもう随分人が多い気がしたものだ。屋外のフェスってこんなに楽しいっていうか、こうゆう楽しみ方、楽しめてしまうパワーがあるのだよなあと随分久しぶりの感慨を持った。たとえ音響的に整っていなくたってそんなの関係ないんだとわかる。そういったものがおよそ意味を持たなくなるものがあり、それより音楽やその演奏者のもつパワー、表現が何よりも私を捉えてしまいうるということその大きな事実には何も言えないだけだ。色んな事情、状況が重なってこういったフェスからはすっかり足が遠のいていたけれど、体力あるうちに楽しんでおかないと損かもしれないといった気はしてきている。まあ渋大祭に私が感じる豪華さ、贅沢さってのは特別だよなあと思うんだけど。こんなに私が好きな、好きそうな人ばかり集まるっていうのは普通ないよなあと思う。とは言え今回は出演者多すぎる気もするけど、集客考えたら致し方なしなのか、にしても渋さ知らズというフィルターあってこその集まりで、ROVOも渋さも10代のころに初めて見て通ってきた私には30代になった今現在に至るまでの音楽観を見渡すような結実感があったりした。ささやかに、だけど。

そんなこんなぼーっとしてたけど、ザゼンも終わる頃だろうと思って移動し始める。あれ?もう渋さが聞こえてくる?!と走る。まだリハだったけど。もう真っ暗なのでステージの光と金管楽器が反射して眩しい。ステージ上に人がたくさんいることが眩しいのかもしれない。また声かけられるとkさんがいた。なんやかんや似た場所にいるものだと思う。上手の方から下手の方へ移動して見た。渋さは3年に1度くらい見る、みたいな周期がある。もはや何も言えないものがある。人がたくさんいて、そのたくさんの人で演奏されているその狂気と安寧。また今回はソロの時間がたっぷりとあって、その楽器、演奏者の方々の裸を見るような気持ちになった。勝井さんが最初からステージにいるのは見えたが、芳垣さんが途中から後方に出現!かなりほんのちょっとしか見えなかったけど、何か叩いてるんだな?!と想像した。今日3ステージ目だなあ。芳垣さんだけ1日複数ステージこなす、というのは時にある。そうゆう芳垣さんが好きだ。この渋さの光景がまるで人生の終幕のようになるのはなぜなんだろう。最後は実はまだあった体力で飛び跳ねて我をなくす。終わると21時過ぎてた。

帰りのシャトルバスはそれなりに並んで少し待った程度で思ったほどじゃなかった。くたくたでろでろになって電車に乗る。 足と肩がひどい疲れ。しかしたくさん語りたくなる1日だった。あまりに1日に詰まっているが、それでもひとつずつをちゃんと覚えていることはできることだった。

イメージフォーラムタル・ベーラ監督のサタンタンゴを見た。確かシュリンゲンジーフ特集を見に行っていた6月頃だったろうか、毎度予告で流れるこの映画を見ていて、ああきっとこれを見に来なきゃいけないことになるんだろうなあとは思っていた。そうしてあっという間に9月になった。一度一緒に見にきた友達も、あれ気になるなと言っていたが果たして見ているだろうか、見るだろうか。東京以外の全国でも結構上映されるようで、世の中には7時間超えの映画を見てみたいという需要が結構あるのだなと思う。しっかり前の晩は寝ていったが、最初が冷房効いてなくて蒸し暑くてたまらなかったせいか所々でまぶたが重くなった。ほぼ満席、後方席で見たがどうも人の寝息など聞こえたのは1部の頃だった気がする(休憩2回をはさんだ3部構成、映画の中にインターミッションという表示のカットが組み込まれていたので最初からここで休憩という風に作られているのだなあ)

まず最初のカットからして恐ろしい。遠い向こう。極端に少ないカット数。つまり長い1カット。ずいぶん遠い気がする向こう。そこから、徐々に徐々に匂いや空気が風として運ばれてくるような。ずいぶん暗いモノクロの世界。憂鬱で、太陽なんてあるのだろうか。ハンガリーはずっとこのように曇天なんだろうか。それは遠い知らない場所だと思う。けれど、時間をかけてこのモノクロの世界が自分のいる全てかのように移り変わっていった。意外だったのは同じシーンを違う視点から捉えるという時間の流れだった。それはこの長時間の映画の中で一体どのような効果を果たすというのだろうか。なんとなく1カットが長いこともあってひたすら横移動していく時間経過を想像していたので、巻き戻るような効果に私は少し驚き、新鮮味を感じたのだった。視点が変わるとこのように違う、同じ風景がこのように違うということをこのモノクロの世界で率直に鑑賞する。あくまでも私たちはこの状況を鑑賞しているのだと強く意識させられる。

3部のそれぞれがどれも印象的だと言えるが、もはや記憶の中では多くを見逃し落としてもいるんだろう。2部は少女と猫のシーンがちょっと辛い、いや結構辛い。うっ、、と我慢するようになんとか見た。なんだあれは。でも、わからないでもない気もしないことはない、かも。私が小学3年くらいの頃から家ではねこを飼い始めたが、私も子供の頃はずいぶんねこに暴力的な振る舞いを、それが悪いとも思わずしていたのではないか。良いというわけでもなく、ただストレートな行為であったような。今思い返すと、ひどく残酷だった気がするな、そういえば、そうゆうこともあった。しかしなぜそんなようなものが映画で描かれうるというのか。パンフレット買うお金なくて買ってこなかったけどやっぱり買いに行けば何かわかるんだろうか。

2部では長いダンスシーンでうつらうつらしてしまったんだよなあ。退屈とかではなく、ゆだねられるように。けれど目を開けても、再度目を開けてもまだ踊っていたので、ああこれはずっと続いている時間なんだ、ずっと踊り続けられているんだと認識することができた。それって実際にはいや違うカットなんだよということかもしれないが、いや私にはそれはずっと続いているんだとすんなり当てはめ、理解したのだった。そのことが自分には印象的な出来事だった。そんなのってある?ないと思う。

3部冒頭ではアップで喋り続けるイミリアーシュの語り、なにこのイケメン、これでは圧倒的に飼いならされてしまうじゃん…。どこのシーンだったかなあ、ひどくゾッとするところがあった。これはまるで今の日本みたいだなと思うところがあった。なぜ彼らはイミリアーシュの言うことに異議を唱えないのか。唱えられないようにもはや設定されてしまっている。その力関係はあまりに奇妙で、なぜどうしてと思うが人にはこのような感情に陥ることがあるのだろうとも思う。そこにあるのは罪なのか?何かへの罪なのか?けれどそれが本当に罪なのか。警察署でのカットがとても印象的だ。ここではずっと起きていたわけだが2部のダンスのシーンと似たものを感じたような。ずっと見ている、ということが奇妙に感じられてきた。カメラはどこにいるのか、どう動いているのか、見るということに頭こんがらがる。

 

ついだらっと過ごしてしまいがちな土曜日の午前中。塩田千春展をそろそろ見に行かないといけないと思いつつ、今日までの展示があることに気づきそっちを優先した。αMでやってる『東京計画2019』vol.3 Urban Research Groupを見に行った。テーマ?は引越し、最近自分の中でなぜ東京に住まなければいけないのか、みんな、なんで東京にはこんなに多くの人が住んでいるのか、自分の住まう場所とはどのように選ぶのが適切と言えるのか、自由なんてあるのかいないのか…など思ったりしていたので、それがURGの手練のような手法で東京という都市からあぶり出されているようで面白かった。八潮団地の展示がすごく面白いと感じたのは何か決まりきった外観としてのレッテルのようなもの、それでいて置いてけぼりにされている具体的な中身の均衡の崩壊と再建みたいなものだったような気がするが、今回の展示もそれから通じ、つながっている感じがした。それは確かな道のり、足もと、移動し、ぐるぐると循環するような痕跡がそこら中に足あととしてついているような。URGの本棚に安吾堕落論があって、なるほどなと思った。何がなるほどなんだ、と思うが、安吾をそのように読むのかな、と思った。それは面白いなと思った。そのように、を詳しくわかるわけではないが勝手に想像した。

それから小伝馬町との間にあるベーグル屋さんに寄ってみた。前から気になっていた。いい匂いがする。まだ温かい。ほんとはまたその近くのハンバーガー屋さんでお昼を食べようかと思っていたが混んでるようだったのでやめていたのでここで買ったベーグルを結局駅のホームで食べる。外側がびっちりで中はむちむち、そういえばベーグルって久々に食べた。むぎいいとホームで頬張っている。面白い食べ物だよなあ、ベーグルって。それから六本木へ。ミッドタウンをうろついてトイレに行く。富士フィルムのギャラリー見ようかなと思ったけど、そうだ忘れないうちにと今度松本に行く電車の手配などをする。しかしどれも自由席で買うので焦ってする必要もなかったのか、と終わってから気づく。美味しそうなものは色々売っているが何も買わない。

新美術館で 話しているのは誰?現代美術に潜む文学 を見る。しかし少し時間配分というか、出品アーティストの確認をおろそかにしていたことを後悔する。もっと時間を取っておくべきだったのだ。最終的に足りなくなってしまい、勿体無いことをしてしまった。いささか甘く見ていたが、6作家ひとりひとりにたっぷりとしたスペースがとられ。映像、音声作品が複数あるので全部見聞きしたい派ならがっつり時間とっておかねばならない。全ての作家の作品を他で見たことはあり全体に楽しみだったけど特に見たかったミヤギフトシさんの展示は結構良かったと思う。こないだTOKASで小さい展示を見たのもあり、同じようにクラシック音楽を流している空間でありながらまた全然違った仕上がりだったのは、おお、と目を見張った。ミヤギさんの展示室に入り、進み、開けた長方形の空間を目にした時、部屋の真ん中あたりにおかれた長椅子に座る人々や壁面の写真を見るために立っている人などが6.7人ほどいたと思う。それでいて誰もがしんとした静かさをまとっていて、そこにゆらっとクラシック音楽が流れていた。それはベートーヴェンピアノソナタ32番。その光景、空間はあまりに出来すぎているような気がしてちょっと驚いた。静謐、というのだろうか。そのように静かさが共有されていたのは構成のせいだろうか。4つか6つかのモニターには英語字幕で、そのモニターの天井部からはふたりの男性の会話音声が順番に流れるのだが、その音声は意外と聞き取りにくい音量の細やかさがある。あれはわざとそのようにしているのだろうか。ミヤギさんのこの作品のタイトルは 物語るには明るい部屋が必要で となっている。小説ディスタントの中の会話のような、その外の会話のような気がした。このプライベートな会話をあえて、というか、明るく開けた空間でさあ話そう、聞こうという態度をとることはそれでいてとても親密な距離感を用意されている気がする。うまく言えない。ピントがあるようなないような写真。何周かしてしまう。内側から境を通して見る向こう側。また静止画のような、動画もある。レコードが回る。ピアノが弾かれる。一つ一つの動作、動きがささやかで触れられそうで、いや違うんだと思う。

小林エリカさんの展示もむちゃくちゃ見応えがある。すごい。オリンピックの聖火の起源やその道筋、ウランがもたらすもの、日本にやってくるはずだったオリンピックとウラン、やって来なかった。展示室でおじいちゃんが監視スタッフの人にここにあるの全部が一人の作家の作品なの?と驚くように聞いていた。たしかに、そうだ。

山城知佳子さんの映像作品もまた独特の緊張感と迫力があって、なんだなんだ、と目を耳を見張る。でもそれはフィクションじゃないと思う、気づく。声、音、身振り、山城さんの作品は色々なグニョっとした感触がある。沖縄出身の山城さんとミヤギさんが映像と音楽を扱って、使っているのが印象的だなと思う。クラシックとオペラと。オペラという表現、技術を内面の表現として映像の中で使うというのが面白いなと思った。

北島敬三さんの写真はもう時間がなくてなくてざーっと見るだけになってしまい。すごく沢山あったな。見たかった。でなんで時間がないかというとミヤギさんのトークがあったからだった。植本一子さんと長島有里枝さんという写真家3人だけでのトーク。3人とも小説やエッセイも書いてるし、読んでるし、これはぜひ聞きたいと思っていた。美術館側の人が一切入らないトークというのも珍しい気がするが。トークの類を聞きに行きたいと思うのは、どんな人なのか実際に見てみたいというところも結構ある。18時からだったものの、まあまあ人はいたような。しかし部屋がでかすぎるような。余分に印刷したアンケート用紙とか勿体無いなーと思っちゃう。3人ともわりと思っていた通りの印象があったし、とは言えそれの及ばない具体的な人間味があった。面白かった。特に興味深かったのは文章にするにあたっての距離感の話など。そしてそれはそのまま写真に出ているものであるのだろう。長島さんはやはりフェミニズムについても詳しそうだし、自分が経験してきた実体験があるからかなおさら見ること見られることなどの視点の問題意識がはっきりしていた。今度本が出るらしい、それは面白そう。

 

 

 

 

日記の日付が色々とちぐはぐになっていておかしいことになっていたので直した。自分でもよくわからない。9〜13日までは特に記憶がないな。平日だが、仕事が引き続き暇づいていることもあり何もなかったとしか思えない。毎週末の休みだけが自分にとってイベントとしてあり、平日は無味乾燥状態のような。仕事が暇というのは良いことか良くないことか。量にもよるだろうが、生存が脅かされそうになるのは嫌で、しかしのどかだ。ツイッターを見ると。

これは8日だなあ。批評って面白いなあと思う。9日は前日の台風の影響で電車が遅れててかと言ってわざわざ会社行ったところで大してやる事もなかったげんなり。

 

このジャケの写真は印象深いからなあ。そうだ、オウガの新譜についてわりとずっと思ったり考えたりしていた。そんなことを記しておこうと思いながら記せなかった。思い浮かべることがあっちへこっちへ移動しまくってしまうから。でも何かを描きたかった。ついツイッターで書いてしまった。

あと自分の音楽の聞き方についても最近ずっとよく考えていた。なぜかそれが気になってしょうがなくて。ああ、多分、これまで知らなかったような自分とは違う聴き方をしている人がいるんだなあということを知ったからかなあと思う。すると自然と自分と相対的に照らし合わせようとしてしまうから。でもそうゆうのはすごく面白くて。自分だけでは自分に対して無自覚なのだとわかる。基本的に誰とも聞き方の経験や体験は違うはずで、それを言葉にできる人の話、話を交わすことは面白い。

13日の金曜日は確か結構あさいさんにイラっとしたような。そうだ、朝から横浜に納品に行くが結膜炎と喘息を悪化させててそうなるのわかってるのにちゃんと対策とってないように見えるところがイラっとしちゃうなあと思っちゃうんだよなあ。結局納品後にさっさと病院に行けばいい、ということにして仕事終了。私も実家の先の皮膚科に行くことにする。それから諸々買い物なんかしたりして帰宅、1日はあっという間。夜、凪のお暇を久しぶりにリアルタイムで見る。凪のことより、もはやシンジが気になってしょうがない。つらすぎやしないか。疲れそうな人間だな。

14日からは慌ただしく過ごすことをこれから書こう。