美容院に行ってカットとカラーをしてもらう。モスでお昼食べてから資生堂ギャラリーで展示を見る。潮田登久子さんの写真が良い。なんかまあやっぱ普通に写真らしい写真が好きだと思うのだった。空間的に一番良い場所だったしな。それから竹橋へ移動して近美にいくつもりが東西線乗ってたらだるくなっていることに気づき竹橋で降りない。そのままひたすらどうしようどうしようと考えて帰宅しようかとも悩みながら結局恵比寿へ向かう。電車に乗ってる間に怠けさをどうにかしたのだった。エクセルシオールユリイカ読んで時間をつぶし、18時に予約した恵比寿映像祭。今年はビーズクッションもなかった。すっきりした空間。混沌としていないことが寂しい。展示もそれゆえというかある意味わかりやすいというか、でも映像のきもちについては思い当たらず。冊子もなかったな。35歳になったわけだ。

休み。母から浦和に行こうと言われ、恵比寿に行こうかと思っていたのをどうしようかと思いつつ支度する。ペットボトルを捨てようとと玄関前に出しておいたのに結局忘れた。いつも通り、3週間分貯めた状態で来週出さざるをえなくなる。Aさんからやはりパソコンのハードディスク壊れでヨドバシで夜間引き取りでパソコン買ってソフトインストールまでどうにかなったと連絡をもらう。浦和には姉もベビーカー連れて一緒に来た。伊勢丹で北欧展みたいなのをやっていたのでそこで買い物しようという意だったらしい。お昼を食べて別れた。ブルディガラでパンを買ってATMでお金下ろしたら残額が思っていた以上に少なかった。あれ?と思う。もやもやしてきたので恵比寿に行くのはやめて帰ることにする。寒空の中ちょっとmちゃんあてのメールを打つ。帰宅して溜めてあったレシートをガツガツとzaimで読み込んで家計簿をつける。どう考えても毎月1万くらいの赤字なのだった。給料が減ったままずっとそのままで、はてもう何ヶ月。買い物を一切しないというのもなかなか難しいものだ。これではライブ行くのもライブがあったって難しい。たまの映画でギリギリ。こんなんではいかんだろう、赤字になっているようではダメだろうと思うが、いやんなってしまう。もう全部どうでもいいってなってしまうところもある。あーあ。不満か?食費が減らないな。大したもん買ってるつもりないのに、それで十分お金はかかる。なんてことだ。mちゃんにライン送る。またまたまたまたまた長文。おかしいだろう。もうなにがおかしいのかよくわからない。どこに、何に、判断基準を?書いていない日記、書いていない日々がたまっていくイメージ。過去が下へ下へと1日ずつ押しつぶされて境もなくなり消えていってしまう。なくなっていく。

出勤。Aさんにチョコを渡す。4日ぶりだからか?わりといろんな話でAさんともりあがる。こうゆう時とか違うときもあるけどよくこんな何年も一緒にやってて、ふたりだけでやっててそれでもまだ盛り上がれる話題があるもんだなと思う。まあでもそれはやっぱりここの関係性が会社という場所だからこそなんだろうと思う。この関係性だから言える、言ってしまえる、言うことが可能になっている、そのことが妙におかしく思えることがある。aちゃんのことについては言おうかどうか迷って言わず。私が小学生の頃になぜ男女別名簿のもとにいつもなんでも男子が先で女子が後なのかを不思議に思っていたという話、前にもした気がしたけどしていなかったらしい。夕方にwidowsのパソコンつけたらエラー続きでおかしい、延々と輪を描いている。ハードディスクが壊れたのかも、やばいやばいと焦りだす。Aさんが。ダメだったら他の会社でカッティング切らしてもらうしかなくなるか、もしくはパソコン買い直すかだけど時間がない。しかしとりあえず仕方がないので帰ることに。トマト煮を夕飯に作ろうと思っていたのにトマト缶を買い忘れてカレーにした。コールスローをはじめて見た簡単レシピで作った。良かった。

BSPで三船敏郎に関する番組をやっていたので見てみることに。全然知らないから、どんな人なのかと思って。生まれは満州で、家は写真館をやっていたから将来は写真家になるつもりだったが戦争へ、戦地で撮ったらしき写真がもうむちゃくちゃかっこいい、隊の中での余興のようなもので演劇をやった際の役者としての迫力が凄かったのだと、実際にそれを見た人の手記が残っているらしくそれが最初の役者の道になったという話がとてもおもしろい。戦後は本土へ、映画の裏方をやろうと東宝の知り合いに履歴書を頼んだら勝手に東宝ニューフェイスという俳優オーディションにまわされていた、2500人中の16人として選ばれ初めて出た映画の編集だかをやっていた黒澤明とはこれで出会ったという。なぜか最後までは見ず、ネットフリックスで「国際市場で逢いましょう」を見た。冒頭の興南埠頭の難民、というのがいったいどうゆうことなのかわからず調べた。史実に基づいたものらしい。ちょっと新感染半島のラストを思い起こす。ファン・ジョンミンはやっぱ顔もいいし身体もいいし、その全体で持って様々なことが表されているなあと感じる。んで韓国の韓国らしいコードでめちゃくちゃ泣かされるなあと思うんだけど、だけどなんか微妙に違和感もある。主役のドクスの少年期、青年期、老年期がどうも同じ人に感じにくいというか、人格的な連鎖、繋がりに疑問を感じるところがあった。西ドイツやベトナムのシーンも大きな時代の流れの中でしかし小さな個人を描いているところが好感を持てる。そして初めて見知った、離散家族を探し出そうとする国をあげてのテレビ番組、大きな広場での捜索の呼びかけの集まりには圧倒された。実際にこのようなことがあったんだということに衝撃を受ける。それが韓国という国、国民の中では認識されているんだと思うと、自分と、自分住む国との違いにあまりに大きな違いに、ただ驚いて、そしてもっと知りたくなる。けれど全体に流れが良すぎて、それがちょっと違和感になり得る。それは見やすくて心地よくてどこか決まったところに連れて行きますよという流れ。

aちゃんと新宿で待ち合わせ。映画を見るはずだったが、体調が悪いとのことで取りやめに。ひとまずと座ったミロードの椅子でなぜかそのまま1時間以上喋ることに。移動してお昼を食べながらまた喋る。なんだか途中で疲れてしまったというか、嫌な気持ちになりそうになってしまったが、自己嫌悪で、それでも気を取り直す。自己嫌悪してる場合じゃなかった。買い物して帰る道すがらmちゃんに質問してみようかどうしようか迷う。書くのがめんどくさいと思い、電話できる?と聞いてみると23時過ぎならというのでその時間まで忘れてしまった「永い言い訳」のあらすじやラストを探して読んでいた。そうしたらずいぶん大きく、やや長い地震がきた。怖くてとりあえずベランダの窓を開けた。ものが落ちる気配はなかったが。Eテレをつけていたらから先に予報が出たが東北だけだった、でもそれなら関東にも来るかもしれないな、と身構えていたらスマホも鳴ったと同時に揺れ出した。よく、あんなに、揺れるものだ。あの時この辺一帯がみんながみんな揺れていたのだと思うと、すごいことだ。テレビですぐに東北の揺れの強さが表示され、しかし津波の心配はないということもすぐに表示されていた。そうゆう情報がすぐに出るんだな、と驚く。ふだん他の地震では念のため注意してくださいと最初は出ることが多いはずだ。揺れもおさまってきたのに、なんだか怖くて泣いた。それは記憶の揺さぶられるただ怖さだ。今が怖いということではないような。その少し後mちゃんと電話で喋ったからそれで全部とんだので良かったかもしれない。2時間半くらい喋ってた。喋るの、1年半以上ぶりだと思うけど。