あぶないあぶないすっかり日記をつけるのをやめそうになる。それはめんどくさいからもう忘れたことにしてしまおう、うっかり忘れ、次の日も忘れ、うっかりうっかりで面倒くささを隠そうとしてるだけだ。いやなんだよそれって、と自分でつっこみが入る。自分の中に日記を書くことを急き立てる自分がいないと日記を書くことができない。ってそんなこと書いてたら日記にしようと思っていた事柄のことをすっかり忘れてしまった。ああほんと老化、物忘れが最近多くなった。指の皮膚が割れすぎ、裂けすぎててキーボードを打つのも痛い。インターネットで洋服を眺める時間が多すぎているのをやめたいやめたいやめたい。

数行、本を読んで思い出した。むしゃくしゃっとすること気持ちをはらすためにたくさんの食べ物を食べようと思う。なのに、食べれない。それはお腹がいっぱいだからという実感であり、それがいかにも自然な生理現象のように現れているけれど、同時にそんなに食べ物をたくさん食べたってしょがない、なんもすっきりしない、無駄に食料を消費して、便秘になっていやな思いをするだけ、だからたくさん食べるなんてバカらしい、虚しくなるだけだって経験から理性的に捉えてしまっている自分がいると思われる。食欲だけで突っ走ることができない。欲、は他をなぎ倒してでも突っ走れるほど強くないんだ。それは弱まった。20代までならまだあっただろうなあ。食べることに一直線に突っ張った。なくなってしまったことに、あいた穴を感じてしまう。だって満たされないわけだから。それでもまあ、なんかやらなきゃ気が済まない、と、ミニフィナンシェ、ヨーグルト、冷凍のたこ焼き、クッキー、などを雑多に食べるだけ食べた。まあこれでも昔に比べたら少ないしなにか一線を越えなさがあるけど、食い散らかすみたいな汚いことがなにかしたいというような欲は少しおさまったようだ。

父母が十条のゆうじさん家へお年玉を持っていくのに付き合って行った。会うのは2年ぶりくらいか。ゆうきは潔癖症になったと聞いていたけどそこまでそんなに症状というか反応はないように見えたが。しかしその佇まいというか身ぶりが昔のしょうたそっくりになってて驚いた。13歳くらいの男の子って、そうゆうもんなのかもしれないが、まさか、昔見たいとこと違ういとこがこんな瓜二つだなんて。話さない、話したがっていないとかではない感じだからまだいいのかなとは思うけど。さいたまに引っ越してくると聞いて驚いた。母の喋り声がデカすぎるし、父は椅子に座った時の足を振り下ろす音がデカすぎる。親のこうゆうところはきっと中学生くらいから気になり始めたのかもしれない、親が恥ずかしいみたいな感じ。他人としての距離。1時間くらいで終わりにして母と下北沢に行ってみっちゃんと待ち合わせ。よくわからんがカレー屋でお昼を食べて下北沢をぶらつくという数年に一度やっては同じように昔はどうだったこうだったと言っては現在との変わりっぷりを言い放つやつ。結局前回のことなんて忘れてるのかなと思う。しかし下北沢はもう今の自分にとってはそんなに魅力的にも面白くも感じない方が強いかなって。むかしは、20年前とは全然違う感覚になってしまった。自分には縁がない。帰りのJRは山手線の工事の影響でホームが激混みになっててうんざり。人が多いところになんて行きたくないと言いたくなる。

土曜だけど出勤。駅まで歩いて約10分、その道のりが部屋を決めるにあたってはずいぶん疎ましいもののように思って部屋を決めかねる一要因になっていた。けれど今となっては歩くのにちょうどいい距離だ、と日々思っているというか、まだそれは言い聞かせているという感じだが。なんせ夏になったらどうなるんだろうという心配が先立ってしまうから。それに梅雨は。もうすでにそうゆうことを想像しては憂鬱になる心配をしている。今日はべつにあさいさんの方から出勤を頼まれたわけでもなく、自分から必要なら出ますよと申し出た。こうゆうのは去年くらいからだろうか、それはコロナがあって確実に心理的に生まれた変化だと思う。なるべく自分も積極的に手助けをしようとすんなり思えるようになり、加えて、これもすごく大きいけど休日出勤手当てでもっとを金を稼ぐべきだと自覚するようになったし、そう思っていいんだと理解するようになった。以前なら、休日出勤して稼ぐということに積極的になれなかった、そこには本心から休日は休みたいという気持ちもあれば、露骨にそうゆうことを思ったり言ったりすることに下品さを感じていたんじゃないかという気がする。必要に迫られてする、それは自然であるとする、それなら良いけど、という線引きの良し悪しがあったような気がなんとなくする。でも今はそれより先にあさいさんの負担は分担できるならしておこうと思うし、多分前は休日にはめいいっぱい外の世界を見て回りたいという焦りや欲などがあったけど今はそれももうなくなったから。まあだからいくつかの理由が相まっている。そうだなあ、プラスの手当てをつけさせることに対しての遠慮があったんだ、そうだ。自分の給料が会社の負担になるんじゃないかという不安、多くをもらおうなんて思えるほどのものじゃないんだといったような感覚があった。その辺そうゆうのがかなりがらっと変わったんだよな。コロナの時間を通じて。コロナがもたらしたものは本当にすごく大きくて多くて、何もかも違うくらいの違う景色だと思える。主にカキワリ作って、昼は出前館大戸屋、サバ焼きを食べて15時頃に終えた。無印で買い物して帰宅。何かと片付けなどしてたら、楽天とゾゾで買った服が届いた。

図書館で借りていたキム・へジン「娘について」を読み終えた。83年生まれの著者、すごいな。強烈な攻め立てるような言葉の数々。自分は娘として娘の立場として語り手の母親の話を受け取るのだが、なぜか自分自身が母親の語りに混ざり合うのだった。そうか、そうなんだな。

日記書くの久々だから難しいな。言葉が全然出てこないというか、つなげられず紡げずという指が舌がもつれるようだ。なんか気持ち悪い。滑ってる、キーボードの上を指が。肩もこる。

今日から仕事。いつも1月は仕事があるかどうか、びくびくする。先月はめちゃくちゃ暇だったし、まあそれでも先月のうちから今月の仕事の話はいくつかあったからまた今月もひまだってことはないだろうと思いつつ、ボーナスを初めて2ヶ月分支給されてしまっていたぶんそんなの間違いだったということに未来にはなりかねないんじゃないかというびくつきがあった。まあなんとか仕事はあった。お昼ごはんにおにぎり一つ持っていったがお腹がすいた。そして午後にめちゃくちゃ眠くなった。くそ重いソフロンを梱包してそれが仕事始めの身にはつらく、本当に休日なんてあったんだろうか、休日があったなんて消えてしまい労働の続きをただやっている気分になるのはなんなんだろう。年が明けたかっらって、連休があったからって、何も変わらずこれまでと同じ、続きの運動があるだけだなと思う。17時ごろに帰るが明日も出勤することに。浦和でパンやチーズを買って、また牛乳を買う。1リットルを3日おきには買う。水よりお茶より牛乳を飲んでしまう。高い。ネトフリでシスターズを見てたら偶然クレジットでスタジオドラゴン制作と知り、ああだから映像がリッチなの?そのリッチ感たっぷりに見せつけるような映像で面白いけど、なんかちょっと脚本に違和感がないでもないんだよな。話があちこちに飛びすぎているとも感じてしまうし。そういえば年末年始に配信で「ゲット・アウト」、「ナイブズ・アウト  グラス・オニオン」、「ベルファスト」、「ソフィの選択」などを見たような。大晦日には新宿ピカデリーで「あのこと」を見た。映画館に一番よく行くようになってしまった。

近美へ大竹伸朗展を見に行った。でもなんとなく体がだるいというか、しびれくたびれるのがきっと早いという感じがあって、そんなにじっくり見ていこうという気にもなれなかった。いちばん最初の部屋がおもしろかったかもしれない。そこが自分が知らなかった作家の側面なのかも。でも子供の頃最初に作ったコラージュ作品の展示とか、ああゆうものがよくとってあるなあと思う。そんなものをとっておいてこんな権威的な場所で展示できることになる人なんて、そうそういるわけでもないのに、とか余計なことを思う。キャプションに書いてある作家の記憶の扱い方に関しての文章を読むとなんだかいまいちよくわからなかった。展示空間は面白かったけど、でも大きな立体造形作品は屋外で見る方がいいのかもしれない、直島などで見る作品のように。くたびれたのと空腹で常設展示は見ない。興味も失っている。パレスサイドビルでなにか食べようかとも思ったけど、モスバーガーが猛烈に食べたくなり、竹橋にはないし乗り換え駅の王子駅のモスに入った。前にも来たなそういえばここ。ちょうど西日がさしこんでて、2階も3階もみんな日の当たるところをさけて座っていた。日の当たる席はあきらかにクソ暑くまぶしそうだ。なぜだれもブラインドをさげない?3階に一席、日の当たらない席を見つけた。店員さんが来てもブラインドをさげていかなかった。ここの店舗は客になげられている。セリアでプラダンを買って帰る。窓に追加して冷気対策。効果あるのか?そのあとすごく眠くなってうなりながら2.3時間寝てたがまた排卵日あたりだからということか。くそだな。いやになる。浅井さんからメッセージがきてた。明日から仕事。