12/1、大阪で大学時代の友達に会った。彼とは同じゼミだったから少しは仲がよかったと言えるかもしれないけど、それは学校内においての多少の関わりに過ぎず、おそらくメールのやり取りだってしたことはなかった。でも卒業式のあとの謝恩会のあと、明け方まで一緒にいた面子であったのは、それもまたただ同じゼミであったからそれだけなんだけど、でも結局いまに続くまでずっとそのことだけで私は彼が気になり、またもうひとりの彼も含めた3人のいびつさについて考えざるをえないのだろう。

もう今となってはその共有した属性そのもの自体はなんの有効性もなく、生活にもなんの利益も支障もない。その無効性は誰もがわかっているはずなのに、それでもどこかその縛りを離し切れていないのではないかとも思える。それは先生のせいなんだろうか。

1年と少しぶりに会った彼はいま婚約中で、年が明けたら籍をいれ、5月には結婚パーティーをして6月には一緒に住み始める予定と言う。去年に結婚の話は聞いていたからそろそろしないのかな?とは思っていたものの、本当にそうなるのかと思うと急に寂しくなった。この気持ちってなんなんだろう。なぜ、こんな気持ちになるんだろう。

それは率直にいって誰かが誰かのものになってしまうんだ、という急激な距離の引き離しをかんじるものだと思う。もの、だなんて、ヒトはものじゃないのはもちろんわかっているけれど、でもやっぱり誰かの所有物、誰かのためのあなた、になってしまうのだと思うと、もうこれまでの私の知っている私たちのあいだにあった空気はかき消されてしまう、終わりにさせられてしまうんだなあと感じている。結婚をする、してないというだけでなぜこんなにも感じることは違ってしまうのだろう。恋人がいる、というだけではこうはいかない。

結婚という言葉、行為はそれだけの何かなのだ。結婚をしていないものにとって、結婚をする人した人は自分とは違う生き物なのだと感じざるをえないでいる自分がいる。そんな自分はみじめで醜い存在なのだろうか。だって、私にはわからない、知らないものごとの世界をその人たちは進んでいるのだ。知らない世界を生きている。私の知らない時間を生きているのだなあと、それは手の届かない場所のことを想像してしまう。だから、さみしい。

まあふたりともフリーランスな形で仕事をしているし、ぜんぜん型にはまった生き方はしてないのでそんないかにもな風情はないのだが。彼はそのまま今のままでいい人だからそのままそれなりにいい夫になりいい父親になったりするのだろう。たとえいくら無茶をしてやんちゃをしていたとしても。まあただ気になる点といえばこの10年くらいでいろんな女の子と関係持ちすぎてきているそうゆう欲求商人の強さ、本人も自覚し認めているそれを、どうするのっていうのはあるけれど。まあどうせその辺もうまくやるのだろう。心配というようなものはない、か。

でまあまた色々喋ったな。彼はあまりに率直になんでも話すので、話さずにいられないのだろう、それにつられて今まで誰にも言ったこともなかったけどというような話を私もしてしまう。いや待てよ、最近そうゆうこと多いよな、それは歳をとったからなんだろうか、そうかもしれないが。そう、私自身がもう最近はなんでも喋ってしまえ、口に出してしまえというところがあるだろう。自分の体のことも人の体のことも、個であり共有でありそれは話してみないとよくわからない。恥ずかしいことよりも、知られたく、知りたい気もする。そうゆうものを共有したい。

ふいに、結婚したら彼女のことはなんて呼ぶの?と私は聞いてみた。すると、彼はしっかり準備した答えを持っていたので意外だった。すこし驚いた。彼は嫁でもなく奥さんでもなく、かしこまった場では妻と言うと思うけど、もっと適切な言葉はないか探しているというようなことを言った。なんと。私は結婚した女性が夫に嫁、嫁さんと呼ばれることに違和感を持ち、嫌悪感を抱く方なのだが、それでも世間ではその呼び名が多いので果たしてこの人はやはりそうゆうとこに無意識なのかどうかをただ聞いてみたかったのだ。それで嫁と呼ぶと聞いてもそうなんだ、へえ、私はあまり好きじゃないけどね、で終わってよかった。また関西、友達まわりでは嫁と呼ぶのが主流であるということにも気をもんでいるらしかった。なるほど。しかししかししかし、まさかここで同じ意識を持っている彼だったとはな。
考えてみたらもともと同じ志向性が少なからずあったんだろうけど、だからの同じゼミ、だからの他人行儀な距離感であったんだろうけどこんなデリケートな事柄において意識の共有ができるなんて思ってもみなかった。それは驚きとともにすこし嬉しく、ホッとした。もともと卒業して何年も連絡もっとていなく、ただ、人づてにどうしているかだけ聞いていた。それで一昨年久しぶりにあって、学生時代には話せなかったことも話せるようになって改めてまた仲良くなりたいと思った。面白いものことを共有できる人だと思った。信頼もできる。でも、所詮育った場所も住んでる地域も違えば、もう何もかも違うようなものだ。何かが一緒ならそれは偶然と呼ぶしかないような、ただの偶然と、ただのただの。
私たちは同じ大学の同じ学部で同じ先生のゼミを取っていた、それだけしか共有できるものはないと思っていたんだ。それ以上のものを何かを、人と人が分かり合うなんて、共有するなんて、ないんだと思っていた。私たちはわかり合わないよね?最初からそんなの無理だよね?だってバラバラの違う個体だもの。わかり合う必要なんてないよね?と思っていた。だから仲良くなる必要もないし、お互いを知る必要もない。そうやって、何も知らなかった。最後の最後になって、最後だからか、ほんの少し知った。でもそれで終わってしまった。
けれど時間を経たところで、ある時ある途中の道を共有したことの余波は未だあるのか。私たち、こんな簡単に同意して、語り合ってよかったのだっけ?と思う。もちろん小さな差異はたくさんあるだろう。それでも、自分の価値観を、譲れないものを、大事にするという彼の姿勢は好感を持ち、見直してしまった。まあ、おいおいと思うどうなのそれって話もたくさん聞いたので特に賛歌する人間とかではないのだが。

大学時代の話になると、もう一人の話をしないわけにはいかない。ちょうどこないだそのもう一人に私は会っているし。まったくこの私たちの関係は一体なんだったのか。しかし今回は新たな話を聞いたな。私は彼らの間で批判の対象になっていたらしい。まあでも私の中で彼らは批判の対象であったからな。お互い様だったんだなと思うが。私は男に負けたくなかった、正確には彼らに絶対負けたくなかった。こんなやつらに負けるわけにいかない、というのがガソリンではあったと思う。そしてそんな真意は知らずとも、彼らは私を少なからず認めていてくれた。だから素直に無邪気に遊びあうような友達には決してなり得なかった。そんな気の許し方はしなかった。いま思うと、それはなんてなんて寂しく悲しいのだろう。どうして私たちはあの時もっと近づき寄り添うことができなかったのだろう。そんなことできないほどに偉大なる不器用な私たちだったのか。私は誰のことも信用していなかったし、疑ぐりしかなかったから、そんなのできるわけなかったな。そのことが今になってなぜこんなにも胸を締めつけるんだろう。これは後悔と呼ぶの?でも後悔するにはあまりにも遠くて、あまりにも幼くて、その幼い私を責めることが結局どうしてもできないだろうと、思う。

卒業して10年が過ぎた。私たちこんな30代になってるなんて、思いもしなかった。でもこんな風にまた会えていることは、私に大きな安らぎを与えてくれている。誰かのことを思っても心配しても、もうすぐそばにいつもいるわけではない。毎日いとも簡単に顔を合わせられるわけではない。誰しもが遠く、わからない。何もしてあげられることはない。その無力感を味わいながら、それでも彼ら彼女らがどこかにいるのだということに私はなんとか生きる心地を感じている、気がする。


んでこれは羅針盤のライブ見るために大阪行ったわけでそうゆうライブのこともこれから書けたらなあ。iMacを手に入れたので、書く環境は整った。何かをしたい。何かをした。