aiko

友達にaikoの桜の木の下というアルバムを借りた。これがびっくり、歌詞カード見なくてもどの曲も歌えた。自分でびっくり。歌詞覚えてる。
このアルバムは、買ってはいないんだけど当事レンタルしてよく聴いていた。ような。ってゆうかそうだから歌えるんだけど、既に微妙に中学生の頃の記憶など薄まっていっているもんで。発売されたのが2000年ってことは、中学三年か。ほおー・・・記憶ないような。。
この人の歌詞って、わかりやすいんだよな、すごく。だから私はこんなに歌詞覚えてるんだろなーって思った。
私は小中学生のころってそこまで、まぁ今と比較するもんでもないかもしれないけど、あんまり好きないわゆる歌手などはいなくて。ってゆうか単純に惹かれる人は少なかった。そうゆう中でaikoを聴けてたのは、歌詞が大きかったのかなと。つまり、聴けてなかったのも歌詞が大きかったのかなってこと。ただある言葉の羅列は、今でもそうだけど、まるで何も入ってこない。ただある言葉の羅列っていう表現は悪いかもしれないけど・・・。まぁ単に自分に引っかからないってだけなんだけど。ってゆうか、意味がわからないって言う方が正しいのか。内容が理解出来ないのね、頭が足りなくて。
その点、aikoはとてもわかりやすい、と言う意味だ、言いたいことは。ああ無駄な遠回りをした説明になった・・・。だから、今でも好きだなぁと思った。

歌詞が分かりやすいから好きになれたっていうのではシロップも同じだし。あとはだれだろ?高野寛さんもそうかな!Rain or Shin(高野さんの初めて買ったアルバム)のOverture〜僕が二人にできること〜とかいつ聴いてもスゴイと思うわ。あとは井上陽水Coccoもそうなのかなぁ。べつにどの人も結局歌詞だけってわけではないんだけど。私にとって歌詞がわかりやすいっていうのはこんな人たち。
んでモーサムソウルセットとかキセルとかだと、連なった言葉の意味ではなくて、単語であるとか一章節でとかの意味の連なりに惹かれる。モサムとソウルセットはそうゆう点がもしかしたらすごく近いかも、私の中では。特に意識することはないけれど、とても重要アイテムであって。みたいな。
そいでもってここ一年くらいで特に好きになったのは歌詞がない音楽。それはもう、べつものになるのかなぁ。この分類はまた、また分類があるからなぁ。それぞれ違う求め方をするってことで。
そして外国人が外国語で歌う場合。どうして私がPIXIESだけは大好きであるかと言えば、うーん。まだ自分でもスッキリ出来る解明はないけれど、好かない他を聞いて思うのは、どれも同じ曲に聴こえてしまったりとかなわけで、それは興味がないからそうなる部分があるんだろうけど。言葉が分かれば多少は違うのだろうとは思う。言葉が引っかからないから。その点は勿論PIXIESだって一緒なのに。なのに聴けるのは、言葉が分からなくても、それはもうまとってる空気のせいではないのかどうなのk−。ってゆうかもうそれにしか行き当たらないんだが。ジミヘンはすこぐかっこいいと思った、これも同じだと思うし。PIXIESは音が好みすぎるし。

と、延々自分を探っただけだけど。興味を持つっていうのはすごいことですね。例えば一つの音を好きになって、その音を例えば何度も生で見に行く。そうしたら、自然とその音に詳しくなってしまう。その音を出す人のこと、その音の変化の仕方、その音の意味、そうゆうことにいつの間にか詳しくなっている。音だけじゃなくて、その周りの様々なことにだって。興味を持たなければただ過ぎてゆくだけなのに。
そんなことに気付いたのは、友達に音楽の話をしてて言われたことがあったからなんだけど。そんなことただの日常に過ぎない何も特別でもないものかもしれないけど、私はそれをどうにかしたいということ。こと?うーんなんかよくわかんなくなっちゃった。
しかし私は自分を探るのが好きだ。なんでそれが好きでそれがキライかとか。