西洋美術史

西洋美術史の授業を同じく取っている友達がいて、お互いいれば大体隣に座りあう。このコは、とことん私と正反対だと感じる。べつに性格がじゃなくて、なんだろう、生きていくうえでの見いだす点みたいなもんが。
今日発見したとてもまさにな例がある。私は携帯の待ち受け画面に自分の携帯のカメラで撮った写真を設定している。その写真はこの季節の夕方の風景というか、空。色は下から黒に真ん中に少し赤く上は濃い青のグラデーション。彼女もまた、同じように自分の携帯のカメラで撮った写真を待ち受け画面にしていた。けれどその中の色は、昼間に撮ったと思われる明るい光に満ちた空の写真だった。これが、私と彼女とそれぞれを表すあまりにもそのままの姿だと思った。思わず自分でもうわぁと思ってしまった。
私も彼女も同じ会社の携帯で、しかも買い換えた時期がほとんど同じで、カメラの性能など恐らく近いと思う。だから、写真の写り具合などすごく近いの。けれど、その中身はまるで違う。対象は同じでも、違う。すごい、そのままだ。
例えば彼女は夢を見る。毎日見るらしい。その夢の内容は非現実的で、とても夢というものに満ち溢れていると思う。私は夢を見ない。小さい頃から今まで全くと言っていいくらい見ない。まぁ覚えていないというのが正しいのかもしれないけど。どっちにしろ、目覚めている私に夢は無いものである。
例えば彼女の感動の表し方は自分とは少し似ていると思う。けれどやはり、そこの目の付け方というかなんというか、感じる場所が私には全く知らない世界のもののように思う。だから、彼女の話を私はとても関心するように聞く。意識を失い、その意識が戻った時にそこが真っ白だったような感覚。しかし私は彼女の話を聞いたところで彼女と同じように感動することはないと思う。感動を見いだす場所自体が、とても正反対な気がする。
まぁこれらは私の推測に過ぎないのだが。でもやっぱねぇ、彼女と2人で話してると話の進み方がおかしいんだよな・・・。中々話の理解が進みにくい。おもしろいからいいんだけど。彼女は、私とはまるで違う人間で、とっても魅力的でとってもおもしろい。だけど、五分五分かなぁ。楽しさと不安さと。おもしろい。