幸せは知らない

qyu2005-02-20

今日は19回目の誕生日。なんだか生意気に少々の重さを感じる。じゅう、と名乗れる最後。19になって私は何も変わらない。何も変わる。知らん。
いつの間にか出来上がっていっていく自分を、もっともっと作っていけたらいいなと思う。そのために、沢山の、出来るだけ沢山のものに触れてみたい。なんかそんな汚さ。たとえ今汚くてもなんでもいい。かもしれない・・・。将来の夢なんてものも描いていないし。そんなんわかるかこのやろー!って感じだ。自分にはまだまだまあだまだわからないけどなんでもかんでもが足りなくて、足りていたとしても足りていなくて。というかそんな考えすら白紙なのだけど。他人の意見だとか自分の意見だとか、めちゃくちゃめちゃくちゃ。だから、わっかんないのよ。とりあえず、なんかもうべつになんでもどうでもいい。自分をどうにかして生成していかないと、ならないような、なくないような。だから、お金も無いし、根性も無いし、飽きないこともないし、頭もないし、髪の毛はありすぎるし、もう、どうでも・・・。
最近、いつから自分は歌の無い音楽をすんなり受け入れることが出来るようになったんだったかなぁと思う。が、思い出せない。クラシックは別として。ヴィンセントを見ているとよく思う。こんなに楽しい音楽を、こんなに楽しんで聴けるようになった自分は一体どこからどうやってやって来たんだろう。わからない。けれど、そうやって出来上がったのが今の自分で。
色んなものを、自分の中に見せては取り入れるのがきっと楽しい。だからはてなも書いている。自分のなかで音をぐんぐんと取り入れていくことが出来るのはとても楽しいこと。とても浮かれた気持ちになる。音が見れるのが凄く楽しい。そうゆうことを感じ取れるようになった自分で良かったと、少し思うのだ。自分の感覚は、誰にも見せられない自分だけのもの。それでも、それだけでいっぱい満足出来る。けれど、それをどうにかして外に出したくなる。だから私は日記という名の日本語を書き連ねる。
もっともっと書き連ねたい。


沢山お祝いの言葉をもらって嬉しい。しかし相変わらず順序も何もない文だ!