qyu2005-07-26



最近ちょっとしたお菓子作りにはまっている。今日はノーマルなクッキーを作った。うまい。こないだ作ったおからときな粉と黒ゴマのビスコッティも美味しかった。これは冷凍しておいて、食べる時にはトースターを使って解凍すると更に香ばしくなって美味しい。お菓子作りも楽しいなぁ。夜にはみそバタ肉じゃがなんてのを作ってみた。べつに食べたいわけではなかったんだけど、明日友達の家に持って行くのに&じゃがいもを帰る前に消費してしまいたかったという理由から作った。そんなにべたついた味にもならず、ちょうどよく、よし、うまい。料理は良いことだ。



一昨日の新日曜美術館イサム・ノグチを取り上げていた。ゲストとしてドウス昌代さんが出ていた。私が読んだイサムの生涯を追った本の作者の方である。すごくキリっとしていて素敵なかっこいい人だった。発言も。うおぉ。
番組の内容は簡単にイサムの生き方をなぞりながらモエレ沼公園のことまで紹介しつつ、主な話は広島の原爆慰霊碑の話だった。戦後60年シリーズだからな。原爆慰霊碑の話から繋がって最後にモエレ沼公園の話になり、そこでドウス昌代さんが述べていた言葉に心を打たれたというかなんというか。
広島の平和記念公園にある原爆慰霊碑は丹下健三によるものだが、その丹下の案の前に本来はイサムの案があった。しかしそれは突然却下されることとなった。その表向きの理由としては、委員会は丹下に依頼したのだし(その丹下からまたイサムへ依頼が来てイサムは案を作り出した)芸術的観念から丹下の案に変更されたとされている。が、当時からイサムがアメリカ人であるからという理由からイサムの案が却下されたのだと噂されていたし、実際そうだったらしい。それを聞いたイサムは深く傷ついた。イサムはこの原爆慰霊碑にとてもこだわりを持っていた。そのため、ずっといつかどうにかして実現させたいと強く思っていた。そしてこの原爆慰霊碑の案はイサムは形を変えてアメリカの何か(詳しくは忘れた爆)でも実現させようとしたが、こちらはこちらで真珠湾を攻撃した日本人だからと捉えられ却下された。日本人の父とアメリカ人の母を持つという2つの祖国を持ちながら、そのことで苦しみ続けた。イサムが生涯帰属というところにこだわっていたのは、やはりこのようなことが大きいのだろうか。
モエレ沼公園には原爆慰霊碑よりも前から構想し、しかしまた当時は却下されたこともある作品たちを広大な敷地に実現させることとなった。何十年もの間、あたため続けてきたもの。ドウス昌代さんは、構想を抱き続け、84歳になり、死去を迎える1ヶ月前にマスタープランを完成させたというそのイサム・ノグチの力強さには大層感動するというようなことをおっしゃられていて、その言葉にはとても感情がこもっていて、とても伝わってきた。思わず心の中で握手、みたいな。


東京都現代美術館で9月から行われるイサム・ノグチ展。中々良い感じの公式サイトが作られています。イメージソングって、なに、って感じだけど。ひとまずそれによると、イサムの仕事の一つである照明器具のデザイン、AKARIのAKARI 2OO5-1ABのブラックが日本で先行発売、展覧会開催中に東京都現代美術館で発売するとのこと!!1Aモデルは形がかわいらしくて、値段も手ごろだし、いつか欲しいなぁと一番に思っていたもの。めっちゃ欲しいなぁ…