液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

そして一昨日の土曜日は、梅田ガーデンシネマに「運命じゃない人」を観に行った。本当は「いつか読書する日」を観に行くつもりだったのだが、モーニングショーのこの映画の時間には起きれなかったため。舞台挨拶を逃してしまったのが悔しい。生岸辺一徳…。しょぼん。まぁしょうがない。ちゃんと観に行けるかなぁ、これ。
運命じゃない人は、元々かけ持ちできたら行こうと思っていたくらいで、わりと結構見たいと思っていた。結果これはこれでとても有意義な時間をもらえたのであった。

この映画の予告を見たときに、なにか違和感を覚えた。それは今から思えばこうゆうことかもしれない。運命じゃない人というタイトルと、おもしろそうと感じる中身とのズレ。運命じゃない人というタイトルは、どうも一般的なイメージで定着している「運命」という、キラキラしているかドロドロしているかなんかよくわかんないけどおとぎ話っぽい感覚を与えられる。韓国映画っぽいとでも言う感じ。しかし内容を聞くとどうやらそのイメージとは結びつかない。なんかちょっとおもしろいらしいのだ。そんな感じに私の中ではズレが生じまくり、おもしろそうだなと思いつつ、一体どうなってんだ?ともやもやした疑問を抱え、どうも足を踏み入れにくいような違和感を感じた。だからと言って見たくないってことにはならず見てみたいってことになっていた。このように具体的な言葉に出来るのは見た後だからであって、観に行く前はもっと漠然とした形も色も何かもあやふやなものとして私の中に存在していた。

ぴあフィルムフェスティバルPFF)スカラシップ作品。なんとも新鮮で、「素晴らしい」という言葉が似合うような感じではないが、今までに見たこと感じたことのないような後味を残してくれる、とても素晴らしい作品だと思う。なんだろうなーなんだろうなーこのなんともいえないワクワクするような後味。ドキドキハラハラというようなスリルさじゃない。それよりもっとちゃんと暖かさがあって、愛らしさが全体にふりかかってる。もっと困難というか、変というか、どんな仕組みなんだろうかと思いながらしかし同時に深く考えず見に行ったところ(つうかなんかただ考える作業がめんどくさかったみたい)、それらを見事に切り裂いて新しい世界を見せてくれたのだ。そこに私は一番ドキドキしているように思う。それこそが観に行く前に抱えていた疑問だとかズレだとかを吹っ飛ばしてくれたということである。

時間の扱い方は、頭で考えようとすればややこしくなる。しかしあの映像にされると、見事に次から次へと繋がる様にするりするりと見ている私は落ち着ける。その繋ぎ方とか段階の踏み方とか、あれってすっげー上手いんじゃなかろうか。その構成の上手さと同時に内容の話の上手さ、その噛み合わせの良さには思わず驚き、笑う。描かれる小さな狭い世界に、途中に思わずそのまんまスケールの小ささのようなものを思ったりもした。だが、話が進むにつれそんなことは気にならなくっていった。それは、一つ一つの細かい事象がきちんと見事に描かれ、またそれらが見事に繋がっていて、とにかく完璧であるからだろうか。そうやって繋がっていることは決して不自然ではなくて、リアリティを感じることが出来る。それは自分が今まで生きてきて、そう思えるからで、だって人間の世界なんてそうゆうものなんじゃないかな。

また役者さん1人1人がすごく良かったな。うまい具合に1人1人であったりそれぞれの繋がりであったりが、どこか一つに濃く偏ってしまうことなく、それぞれの部分が平等というか平均性を保っていて、1人1人の人間味がちゃんと味わえる。主な登場人物の5人、みんな良い。みんな良い顔してるんだよなー。そう、この映画に出てくる人みんな表情が良いんだ。みんな大好きだ。
内田けんじ監督、これからもちょっと楽しみだな。パンフ600円なり。


映画を見た後は梅田をぶらつき、心斎橋へ行って堀江の方の行ってみたかった雑貨屋さんを3軒くらいまわり、結局心斎橋でドイツ生まれの鞄を買って、なんやかんや色々買い物して疲れて帰宅。運命じゃない人、おもしろい映画だ。