液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

qyu2005-11-14


今日は寝坊した。急いで学校へ行くと、チェコのアニメーションをはじめ、様々なアニメーションが見れて嬉しかった。しかしやはりチェコのアニメはすごいな。なんかもうここまで来ると思わず、みんなそんななのか・・・と思えてくる。どうなんだろう。それにはやはりもっと歴史を知らなくちゃいけないのかもしれない。中国の水墨画のアニメーションがとてもきれいだったなぁ。カナダの作品もすばらしかった。映像の世界って本当におもしろい。授業後、先生が喋りかけてきたので驚いた。先生私がアニメーション好きなのわかったの?
午後の授業では引き続きイメージデッサンみたいなもの。もう皆作業に入っている中、以前描いた形をより洗練させようと挑む。も、何度も何度も描いてもイマイチなものしか生まれてこない。なんかおかしい。なんか変。なんか違う。なんなの?あんた誰なの?どっからどう生まれ出てきたの?私は一体何をしたかったんだっけ。何を感じていたんだっけ。もう色んなものが交差しまくって堂々巡り。結局断念して先生のところへ相談しに行くと、あぁ・・・流石先生見事に言い当てられてしまった。ははぁ・・・たしかにそうです・・・。やっぱり自分は絶対作り手にはなれないなぁと思う。かるくしょんぼりして、再度取り掛かる。またいくつもいくつも描く。そして授業終了の時間になってしまった。最後にまた先生のところへ行くと、先生はとても面白いことを教えてくれた。そうかぁ、そうかぁ、そうなるとやっぱり芸術と呼ばれるものはなんて面白いんだろう。見えてるけど、見えてないものはまだまだまだまだ沢山ある。
私は作り手には絶対向いていないのだと思う。観る方が好きだ。けれど、観る側だけでいたら学べないことが、この授業を通じて、作り手側にまわることで学べるような気がする。そうかぁ、そうゆうものの見方もあるのだ。線も空間も円もなにもかも、あなどれないものはたくさんある・・・。先生はやっぱ流石一応美術家なんだな・・・と思い知った。いやはやー。ってことで結局家で描かなくちゃ。もうこれ以上授業で遅れを取るわけにはいかない予感。でも、やっぱり、むずかしいよ・・・。なんだかなぁ、美術ってやっぱり小さい頃から苦手意識強くて、自分で描いて作って良いものなんて出来上がるわけがないと思ってる。だからなんかやっぱり、すごく嫌には嫌なんだな・・・。でも、がんばろう・・・。はあああぁ、なんだか色々思うことはあるんだけど、なんだだめだ自分には色々と向き合う気持ちが物凄く足りないのだろうか、言葉にならない。




羅針盤が解散。山本さんのことばに感情を強く押し込まれるようだ。
羅針盤を生で見ることは結局なかった。モサムもそうだったけどな、なんだかライブを見に行くのは心のどこかでこわかった。あの音を生で聴くなんて、自分の器では何かが振り切れてしまうような気がした。そこに、期待ではなく恐怖感を感じた。悪い意味ではないけれど。けれど、見れなかったことに対しての後悔とかはどうやらあまりない。
羅針盤のはじまりというアルバムを買ったのはもう3年前かぁ。これを視聴したときも、今も、変わらない気がする。いまだにこれから感じる気持ちはうまい形になっていないもの。あやふやな形で、山本さんが歌っていることもわかるようでわかりきれない。ただ、胸ん中でもわぁ〜っとぶくぶくと膨らんでいって、どうしようもない切ないような哀しいような嬉しいようなじりじりと迫られてくるものがあって、軽くえぐられている感じ。それはなんかたぶん言葉になる必要がないんじゃないかって思ってしまう。それがこの音の役割のようなもんじゃないかって思う。そうゆうものもあるんだと思う。だからこそ、そんなものを生で見るのは自分の許容範囲が対応できるかどうか定かでなくてこわかった。
最初に聴いた時はとてもおどろいた。山本さんのへんな歌に。なんなんだこれは・・・という戸惑いがあったけどそれは異物ではなくて、まるでなんだかやさしく頭をなでられているような感覚があった。高校へは行ったり行かなかったり、行っても誰とも口をきかず、駐輪場でお昼食べて学校サボってたような時、そうゆう寄り添い方をしてくれるものは、異様だった。そして確実に繋ぎ止められものがあった。不思議な感覚で、今も不思議で、他に同じ体験はない。
私にとって15−17歳のときに出会った音楽は今において大きな存在を置いている。羅針盤は確実その内のひとつ。だから、なんか、やっぱり、さみしいのかな。
私は結局、その初めて聴いた時に買ったはじまりというアルバムしか聴いていない、持っていない。新譜は視聴したりしたこともあるけど、購入はしていない。そのうえライブも見に行っていない。唯一ライブビートの音源があるだけ。ただただ一枚の存在と付き合っていただけと言える。そんなんでも、バンドの解散、おわり、活動がもう続きを見せることはないというのは、痛く迫ってくるもんなんだなぁ。それは、色んなものものを通してズキンと注入されてくる。それは一体どういうことだろう。

すべての夢には終わりがあるから あたらしい場所へ行けたら
同じこころみも少しだけちがい 限りないことのしあわせ


すべての夢には終わりがあるなら いずれ苦しみも終わる
同じこころにも違う影がさし 限りあることの しあわせ

羅針盤 / 無限のうた
昔からなんか一番好きなところ。