きょうは、いよいよとうとう、いよとういよとう、好きな人にずっとずっとながいあいだ、ことしのはじめからだったかきょねんからだったか、たずねたいことをようやくくちにだすことができた。いままでなんどもなんどもきかいをうかがっていた。きくちゃんすはなんどもあった。しかししかし、なかなかどうしてこのひとつだけは、はずかしくってくちにだせずにいた。のどのおくでつまってて、ひっかかって、ずーっとくるしかった。もががもぐごご。しかしきょうついにちゃんすはあった。

きょうしつにはいっててきとうなところへかばんをずしりとおろした。ひとつまえにともだちがすわっていて、ひとこと、ふたこと、あいさつをした。そしてふと、めせんがややうしろのしたにいった。そのとき、みおぼえのあるくつがめにはいった。んんんんんんう?う?とおもいながらかおをあげた。うをを。わたしは、かばんをおいたせきのうしろのひとにむかって、おもわず、素のこえで、うあぁしらないひとかとおもってたよ、などとなにもつまらないことをいってしまった。ああなんでこうゆうときもっとかわいらしいこえでもだせないものかしら。まあだせないものなのだから、しょうがない。

じゅぎょうがはじまるまですこしじかんがあったので、すこしはなしをした。ああ、きょうきているふくのいろがとてもきれいだったなぁ。いまのきせつにつうじる、えだまめやすなっぷえんどうやそらまめ、さまざまなグリーンのあざやかさをはなっているおまめさんたちのいろみをあわせたようないろのようふくがすてきだった。わたしは、あわい、からふるないろがすきですから。

そしてじゅぎょうちゅう。すこしきんちょうしながらかんがえる。かみのけのうしろ、へんじゃないかな、とか、ぬけたかみのけがせなかにくっついてないかな、とかかんがえながら、これはちゃんすではないかと、かんがえた。先生が、じゃあきょうはこれでおわりという。みんな、たいてい、のーとやふでばこをかばんにしまう。そしてしゅっせきかーどをまえにだしにいく。その、すこしのあいだ。そのとき、、、。ううーんううーーんかんがえただけでしんぞうがばくばくする。

いいまわしをこころのなかでとなえて、れんしゅうをする。それでもしんぱいなので、のーとにかきだしてみる。これはいれるべきかな?いれるべきじゃないかな?どっちのほうがしぜんだろう?てか、しぜんらしさなんてひつようなのか?うはーわからない。って、え、せんせい、もうじゅぎょうおわりなの?!はやいよ!せんせい!まだこころのじゅんびがととのってないのに!ばか!!!ウxfh;追いmstrpオスgsflgkhふぉgいhs:0yw450イーwb

どくどく、どくどくどく、どっくんどどくどくどどどど。魔女の宅急便のジジがにんぎょうのみがわりになっていぬのジョンにみつけられてひやあせたれながしまくってるようなぐあいになりながら、ふーっとこきゅうをととのえて。さりげなくのーとやふでばこをかばんのなかにしまって、わたしはくるんとうしろへふりかえる。そして、「あ、あのさぁ…(えーとうーんともごもご)」とはじまって、とてもおかしなじぶんになりながら、かれにはなしかけた。とてつもなくきんちょうした。とてもろれつがまわらなかった。しんぞうをしぼられているようだった。そしてそれからかいほうされたときの、よろこび。へろへろになってどこかへとんでいってしまうんじゃないかとおもったよ。

わたしはかれをみんな(かれのまわりの、おとこのこのともだち)がよんでいるようになまえをよびたかった。みょうじでなくて、なまえでよびたかった。かれのなまえをしったときから、そのなまえがうらやましかったし、そのなまえでよばれるかれはとてもかわいらしくおもえた。けれど、なまえでよぶというのは、とつぜんできないことで、よびたくてもよべなくて、みょうじでよびはじめてしまったときからもうそれは道をまちがえているようなもので、でも、やっぱりなまえでよびたかった。だから、いつか、いつかいつか、かれにたずねようとおもっていた。みんなとおなじように、なまえでよんでもいい?って。

かれは、りょうしょうしてくれた。ずっとずっとむねのうちにあった、じぶんのおもいをうちあけられた。はあ、おもいだすだけでも、むねがおもくてくるしいくらいに、とてもつかれるできごとだった。でも、がんばって、よかった。わたしにとって、かれは、とてもあこがれなひと。わたしはおとこのこだったら、かれみたいになりたいんだ。ずっとずっとそうおもってきた。そうおもって、もうにねんになる。