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きょうはなんだかハイテンションになっていて、気づきながらも自分でそれを止められなくて、走り続け、すこしつかれた。多分、一日の内にいっぺんに様々な人とそれぞれに色々と話をしているとそうなっていくんだと思う。朝のバスで人と一緒になる時点でソレは決まっていってしまうのではないか…。昨日はやけに知り合いの人がいっぱいいたからなぁ。時々そうゆうことが起こる。友達とか少ない方なのになぁ。
はいてんしょんすぎて、先生の研究室でうたううあを歌っていていいのかどうかすらの判別もつかなくて、でも先生がかけてくれているのでまぁいいかと思って数曲歌っていました。うたううあは本当に素晴らしいなと思う。歌も曲も、特に驚いたのは歌詞カードの仕事で、これが本当に素晴らしくて素敵。これ欲しさにCD買いたくなっちゃう。中身も本当にいいので、CD買おうかなぁ。うーあの歌が最近すきになれてきたぞっと。べつに嫌いだったわけじゃないんだけど、そこまで馴染まないかなぁと数年前までは思ってた。でも、私が年とったからかなぁ、今はすごくはまる感じがする。
そうしていたらめん玉が猛烈に痛くなってきて、それでも我慢してて、ぐるぐるるるううんとしていて、そうとう目がなにかを訴えかけていたのか、そうしたらすてきあふろのTさんが去り際に「じゃあこれでジュースでも買いなさい」と言って百円を唐突にくれた。さすが浪費家。Tさんと話をしている時の私は敬語とそうじゃないのとがまさに五分五分でまざっていてとてもへんだなぁと自分でも思うけど、年金の話から、自分らいやらしいなぁという話でそれぞれうなだれて終わったのが切なかった。でもそれがTさんなんだとおもった。
痛すぎるめんたま外して(コンタクト)世界がぼやぶれている18時半ごろにひとり帰るわとふらつきながら外へ出たら、にゅおああーー、すきなひとがばっちりなタイミングで歩いているのが見えた。そう、わたしには見えた。これよりも前の時間に話をしたのもあるし、私がすきな色の服を着てくれていたのもあって、どんだけいくら他の人の顔も何かもが判別できなくたって、その人だけは見えたのであった。
たとえば朝とか、帰りとか、1本の道上において、人と会うというのは、なんて偶然性をはらんでいるんだろうと思う。だから、わたしのなかでは、学校における中心の道で、朝や帰りにすきなひとと会えたら、横に並んで歩けたらいいなーというのがほんのした憧れで、朝に会うのはこないだあって、それは相当うれしかったんだけれど。帰りに偶然一緒になるのははじめてだったので、うれしかった。
まあ、すきというか、憧れの男の子と言ったほうがやはり適切だとは思うんだけど。でも憧れはすきであるから、すきな男の子に違いはない。



さへ、明日はなかざきちょうへ探索だー