液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

phone camera


やっぱり、一日のうちに、いっきに、いっぺんに、色んな人と喋ったり、喋らなくても、聞いたり見たりするのは、なんだか疲れる気配がある。でもそうやっていっぱい触れて、一人で帰る帰り道というのは、とてつもなくむなしく、むなしいものがあるように感じる。道を歩き、バスの列に並び、バスに乗り、ホームに立ち、電車を待ち、電車に乗り、家路を急ぐ人の群れの中で、いつものドラッグストアで水と豆乳を買って、のろりのろりと自転車をこぎ、ライトをつけた音だけに耳をすまして家へたどり着く。その間、へんな感覚におそわれつづける。あまり人と喋らないでいれば、触れないでいれば、特におかしくもないはずなのに。じゃあどちらがいいのか、とかそうゆうことではないのだ。
映画の歴史の授業で見る映画は、なんだか、異世界。でも、現実であったのだと思うと、より異世界。でも、あったのだ。うまくのみこめるような、のみこめないような。波にさらわれるような、さらわれないような、そんなかんじ。
それから後はずっと先生の研究室にいて、すべてがはちゃめちゃだった。ふと今日の朝、先生の研究室をはじめて訪れたときのことを思い出していた。一回生の冬だった。夕日が遠くにまぶしかった。なんとも衝撃的であった。なんて変な部屋なのかと思った。びっくりした。今でこそあの研究室はあたりまえに見えているけれど、あそこはやはり、おかしいのだ。慣れてしまっている、あの状況に。過去の遺物がごろごろ、ごろごろしていて、それでいて、現在が嵐のようにまきまかれ過ぎ去っていくあの部屋に。
ずっとなにか似ている、根の方で似ている部分があるのだろうと思っていたTさんは、動物占いの結果が同じだった。同じ動物だった。こじかだった。ものすごく納得した。Tさんの行動の仕方に、いくらか、なんか同じにおいを感じたり、そう行動する意味が理解できたりするところがあって、それは理屈じゃない性質的のようなもので、あぁだからそうなのか。動物占いという分けられたものがただ同じ、ただそれだけのこと。しかしそこに妙になにかしらの意識があって、それに吸い込まれてゆくという、気持ち悪いこと。うお座の人に同じにおいっていうのは、実はわたし、あんまりわからないんだけど(同じ水星座の蟹座や蠍座の方がよっぽどわかる)、こじかの同じのにおいっていうのは、なんかすごくわかる。Tさんは、友達ってかんじでも、お兄ちゃんって感じでも、先輩ってかんじでもない。どれでもない、そうゆうこと。
Tさんの手伝いで、久しぶりに粘土や石膏に触れた。なんてことない作業。相変わらず不器用な作業。それでも、久しぶりに「もの」に触れる。あぁきもちいい。ものにふれることって、なにか透き通っていくようだなぁと思った。そしてやっぱり簡単なことでも気力は使っていたようで、買ってもらったりんごジュースとポッキーが、とてつもなく美味しかった。そうゆうことだ。
しかし先生と向き合うのはなんだかまだこわいし、人は沢山いるし、やっぱあんま行かないほうがいいのかなあどうなのかなあとかなやんじゃうへたれれれれ。



ところで今は10日の25時35分なんですが、こんな真夜中にクッキー焼きまして、あつくてあつくて。大量の“Q”クッキーができましたよ。あした配り歩こうかしら。いや違うほんとうはもっとちゃんとした計画目標があったはずで…。いろいろと計算ミスでもうぜんぶめんどくさくなってしまった…。てかこんな真夜中まで起きているの久しぶりすぎて嫌。