液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

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きのう、そう昨日は維新派梅田芸術劇場へ見に行ってきた。初めて見た。今回の公演のナツノトビラはたしか春頃にどこかでチラシをもらって(内橋さんが出てたナニカのような気がするんだけどそれがまるで思い出せない・・・このごろあんまりちゃんと記録していないので今年何を見に行っているのか記憶があやうい)、そのチラシをずっと冷蔵庫にはっていて、あー行こう行こうチケット買おうと思いながらいたら7月で、なんとなくめんどくさなくって、結局当日券で。S席(1.2階)5000円でA席(3階)3000円なので、A席で。3階の一番後ろの席だったのだけど、1階などの目線がどんなもんなのか知らないから言えるのかも知れないにしても全体を大分上から見渡せる新鮮な位置で十分に楽しめた。当たり前だろうけど、大きい劇場は大きい劇場でどこからでもちゃんと楽しめるものなのだなぁと思った。

昨日の14時からの公演後には維新派主催の松本さんのトークショーがあって、それもまたおもしろかった。一人じゃ30分も持たないからと、客席にマイクをと言い、知り合いの人を見つけては名前を勝手に出し喋るように向け、出てくる辛口に対応する松本さんの人柄とか、また他のお客さんの感想なども聞けて、たのしかった。長年見ている方々はどんどんシンプルになっていっていてそれはどうなのか、とかってのが多いみたいだし、やっぱり野外の方がーって意見もミクシィ検索では見かけたかも。

などなど辛口な意見も多いようだけど、初見のわたしは、もう、もうもうもう、圧倒されたなあー。虜にされたなあー。なんか今でもあの舞台のイメージに脳みそが全身が支配されているようで、浮いているかんじ。べつにもとから地についているわけじゃないけど、心地良く軽くなってふわついているよう。

10の場面から構成されているナツノトビラ。私はその中でも一番最初の場面、光景に圧倒された。幕があがって発される光、光、満ち溢れる光の世界。必要なものがそこにあった。そこで繰り広げられる30名近い役者の動き、リズム、音、ことば。その世界がすごく嬉しくて嬉しくて、こんな風に世界が存在することがあるんだと思ったら、たぶん嬉しくてたまらなくって涙腺にぐっときた。最近ずっとずっと自分がわからなくてわからないままでどうしようもなくてそのまま毎日を過ごして過ごして気持ち悪くても過ごしていて、そうゆう不安をもっている私には、とても力強く生きることを訴えかけられるようなものを感じた、おおげさかもしれないけれど、なにか、そうゆうようなものを感じた。おかげでなぜかしょっぱなから泣くという自分でもよくわからないぐあいになった。ほんとあの一番最初の場面、うたたね、と題された場面は、素晴らしかったなぁ。脳みそが全て光で満たされたようで、くらくらした。しかし同時に永遠に薄くなることもなさそうなほど色濃く刻み付けられた。ずっと胸にだいていたい。大事にぎゅっと抱え込んでおきたい。

内橋さんの音楽がこれまたすごーくすごーくよくて、その点でも泣けた。最後まで内橋さんの作る音楽どれもよかったけど、一番好きな曲は場面1の曲だったなぁ。なんていうか、改めて内橋さんすごいなぁとおもった。こないだのアルゼンチン音響派のとき、開場まで少しの時間ドアの外で待たされていたのだけど、そのドアを開けにきたのは内橋さんで、「おまたせしましたぁー」となんの気取りもなく、ちょぼんとした姿がわたしにはいつもハリネズミのように見える・・・。でもでも演奏しはじめるとまるで別人になるし、おわればまたもどるから、面白いなぁと思う。2年前のFBIで初めて見たときはほんと驚いたからナぁ…。

維新派の音楽はずっと内橋さんがやっていて、それは知ってたし、そこにも魅力をおぼえていたんだけど、まさか本番のときにダクソフォンなどを生演奏していたとは驚いた。全部テープなんだと思ってたら、ちゃんと、ステージ下のかこまれた一角に内橋さんの場所があって、オーケストラ演奏みたいなかこいの、そこで、もちろんテープも使ってなんだけど、まさかその場でやってたとははーー。いやはや内橋さんほんっとかっこいいです。ほんと、BRIDGEでの働きっぷりとかあわせてかっこいいなあと思う。

場面が進むにつれてステージの地面に描かれていく光と影の関係が変化していく。その様が見渡せるのは2.3階席ならではだったみたい。セットであるビル郡がぐんぐんぐいぐいと移動していく様がこれまたすごくかっこよくって、とても重量のある躍動感を感じた。セットからパワーを、エネルギーを感じた。重く硬いものではあるのだけど、その動きにはなぜかみずみずしさのようなものを感じた。そしてそれにより作られていく空間の変化や、光と影の変化がとても面白かった。

とにかく光と影の関係の作りが終始おもしろくて魅力的で、それはわりと最初から思ったんだけど、植田正治の写真世界に似ているように思った。多分それは特に砂丘シリーズにおいての作品だ。あのモノクロの世界で繰り広げられる、ひとつひとつの存在が浮きぼりあがって見るものを誘い込むような弾んだ世界、黒と白に遊ぶ世界。それにとても似ているようなものを感じた。なんてたのしいんだろうなと思った。

途中、一時間を過ぎたあたりかに、眠くなってきた。眠気に襲われる。しかし、どうしたって舞台は見ていたい。その一心で何度もあくびを、涙をぬぐい、重くなってくる瞼に抵抗をし、なんとかどうにかこうにか目の前に広がる光景をとらえようとした。それはそれで、また、おもしろいことだと思った。どんどんどんどん舞台上の現実と、私の身体の中だけで起こる現実とがまざっていく。私に抵抗する私。まじりまざっていく。それも、このナツノトビラにおいては、アリなのではないかと思ったし、私はこれを楽しんでいた。少女a、なーちゃんに少しちかづいたかもしれない。 

話が進むにつれ、時間軸が経つにつれ変化していく光。そして同時に進行していく物語。セリフ、ことばによる明確なストーリーなどなくても、時間の流れを染み込ませられていく。そして出てきた満月。そして月食する。美しいというか、丸という存在が、強く何かを発していて、不思議な月だった。

最後の場面でまた、舞台が光で満たされた。でもそれは最初に見た光とは、感じるものが違くて、すごくやわらかくなったような光に感じた。最初の光はもっとはつらつとした感じだったのが、終わりの光は色んなものを通過したゆえに光に変化が生じてある種すこしにごった様な、そんな感じがした。

また、アンコールでは派手な演出でまたまた楽しませてくれた。たぶんこっちの方が純粋に言えばたのしかった。明らかにお客さんみんなぐいっと持っていかれてたような。どちらもどちらで私は好きだったからなぁ〜。あぁでもぜひアンコールのような派手さで通った維新派も見てみたいなと思った。