a sweet Ⅱ


帰りに同時プリントに出しておいた写真を受け取った。36枚取りの2本分なので、それなりの量となってかえってくる。ああ、やっぱり良い男は良い画になってくれるわ。そしてようやくやっとふつうに笑顔を撮らせてくれるようになったなぁという女の子もいるし。ノーファインダーで撮った写真たちは意外にも大分よく撮れてしまっていて良くも悪くもびっくりだ。おもしろいな。最近はブレ写真もすごく楽しいし、とにかく毎日シャッターを様々な形で場所で押す。それが今いちばん楽しいことかもしれない。また、カメラさげてると、沢山の人にカメラについてつっこまれ、話が出来上がってくる。良くも悪くもだ。今年に入って既に何百枚撮ってるんだろか。っても、200枚くらいかな。あまり数を口にするのはよくない。


昨日22日は後期最後の日であった。そして4回生や3回生は絶対に提出しなければならない提出物の期限でもあり、べつに22日じゃなきゃいけないわけじゃなく、それ以前に提出していいにも関わらず、結局のところほっとんどの人が一斉に大慌てで22日に提出するってもんなんだから、もう学科は朝からてんやわんやだった。夕方のピークさといったら、あれはなかった…。
そんな中わたしは、授業課題のためのインスタレーションをした。一応映像の授業のものなので、映像を使ったインスタレーションてのが課題だったと思う(気づくと課題内容の詳細はすっかり忘れていた)。去年からずっとどんなものにしようか悩んでいた。どうゆう題材、場所、意味、うんぬんかんぬん。そして冬休み中に考えつき、学校が始まってからイメージをなんとなくでかため、先週に撮影をし、急いで編集をし(ただカット編集しただけなので、たいしたことはしてない)、つまり行動としては1週間で準備をした。でも、内容的にはずっと頭ん中でぐるぐるさせてきてたことだったので、そんなに浅はかな考えでやったつもりはない。いちおう。
昼休みから先生に頼んで地下スタジオからテレビ運んだり、再生機運んだり、色々繋いだりして、あとは自分が持参したものをセッティングしてと。場所は、学科にある狭い暗室を使った。場所とか、そうゆうのはイメージの先決にしろ、意味は細かにある。それは制作ノートに記している。
テレビには映像を流す。テレビの上には私がいつも使用しているデジタル時計を常に発光させる状態にして設置。テレビの前にはビニール袋にパンパンにつまった土。その土にはある写真を表示させたままの状態の携帯電話をさした(植えた、とでも言えるか)。部屋の電気は全部消して、鑑賞するという形をとった。映像はたしか7分程度。映像の中身と、時計や土、携帯電話の写真、というのは全てリンクしている。それは補足説明がなければ見ている人にとってはわからないことかもしれないし、それはわからない。そしてこのインスタレーションにおいて、私の服装は真っ黒でなければならなかった。
この作品が良かったのか、そうでなかったのか、まるでわからない。全体的に落ち度が沢山あったのはたしかだと思うけど、見てた人たちも特になんも言ってくれなくて、しょんぼり。なにもないものだったのかな。まぁ、しょせんそんなもんだよな。わかってたけど、それでもなんだか、かなしかった。のかもしれない。無駄な行為だったのかもしれない。無駄な時間だったのかもしれない。あーあ、この先ずっとこんなんかと思うと、憂鬱でたまらない。それでもこれは自分の課題としてのものであるから、これはこれでいいのだし、なんだって、どうだっていいのだ。ゴミでいいのだ。糞以下でいいのだ。
ただ、私のゼミの先生でもある、この課題を出した授業の先生が、機材の片づけをしているときに、なかなかよかったよ。と言ってくれた。これは一体なんなんだろうか。これはどこまでどう受け取る言葉にすればいいんだろうか。私は昨日からずっとそればかり考えている。先生は私の弱気な性格をきっと見抜いている。臆病で、うまくものごとに手を出せなくて心肺ばかりして不安に全てを包み込む私の性格を大分見抜かれている。その先生が言う言葉を、私はどう受け取ればいいというのだろうか。これからも。ああ、なんて憂鬱なんだろう。今日も先生とおしゃべりしてたけど、もちろんこのことを聞くことは出来ないのである。おはし先生は、やさしいからな。自由だからな。先生たちなんて、だいきらいなんだから。


授業をやったらやったで、展覧会の仕事に走り回って、自分の調査書のコピー取るのも結局暗くなってしまい、そのあとも会議らしいことをして、20時半ごろ帰宅することとなった。家を出て12時間後に近かった。その短い時間で、沢山の人としゃべった。友達、先生、先輩、後輩、いっぱいのいろんな人。私はいつの間にそんな人間になったんだろう。大好きな先輩は嘘の発言が凄く似合ってかっこよくってずるくて羨ましくて憧れる。同じゼミの大好きな人は留年すると嘆くので一緒にあがろうよーと励まし続けて、はて、なんで私がこんながんらなきゃいけないんだ?とふと気づく。カト先生はセロトニンが足りない足りないとこめかみを抑えながら狂っていた。隣の教室からは素敵先輩方がピアニカや太鼓やギターや歌でバンドの練習。もう片方の隣の教室からはガッタンゴットン奇怪音。そこに挟まれた教室で展覧会の会議をするも、ちょっと、しようがなかった…。でも、おかげでかなんなんだか、不思議な会に誘われた。たのしみだな。


とにかく22日の月曜日、3回生の後期最後の日は朝からとても慌しく忙しく疲れた一日だった。そんな中で交わしたつたないことば。「おう。」と言うから、「おう。」と返す。それはきみにとってどんな意味があるだろう。どんな景色があるだろう。どんな時間があるだろう。流れてゆくすべて。そんなことをすごく感じさせられる。そして私は流れて、流れて、粒子になって、崩れ去って、消えていってしまう。きっとそうなんだ。そんなこと、前からいくらでもわかってることなのに、繰り返してしまう。
駅からの帰り道、牛乳やら少し重い買い物袋をさげながら歩いていた。目の前に一組の恋人があった。手をつないで、とても幸せそうだった。そして私はそれを追い越した。それからまた今度は目の前から一組の恋人が歩いてきた。手をつないで、とても幸せそうだった。そして私はそれとすれ違い去った。
それで思ったんだ。私は手をつないだり、キスをしたりしたいわけじゃない。ただ、私のことを見て欲しい。目の中に見てほしい。入れてほしい。それは一体なんて、なんてむずかしいことなんだろう。私は風景の一部にしかない。
わかってる。わかってる。だから思わずふと、思ってしまう、気を許した友達の前でこぼしてしまう。言う必要あるのかなぁとか、言っていいのかなぁとか。
あなたの目に入る人を見ている時のあなたのその目は一体どんな風?私には想像することも、何をすることも出来ない。わからない。あなたのことを、私はなにもわからない。