液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

α SWEETⅡ



おひさしぶりなんです。その間、わたしはどうしていただろうか。自分のコントロールが瞬く間に出来なくなっていた。その流れは、前の日記を読めば察しがつく。こうゆうとき、日記を書いていて良かったと思う。記録として活躍してくれている。記録は、必要なのだろうか。胸に起こるざわめき、ざわめき、ざわめき以上の何者かが住み着いている。虫歯として歯に潜むバイキンを表したキャラクターがまさに私のこころにズカズカと入り込んできて、暴れまくっている。ずっとずっとそんな状態が胸の中にあって、それのうまい対処の仕方がわからなくて戸惑って、戸惑ってとにかく食べ物を口の中に放りこみ続ける。それでしか、胸の活動を納められなかった。他の考えはなく、考えるということすら出来ず、頭の神経がプチンと切れてしまったかのように、ただでさえ見えない私を、更に更に見失い続ける。それは得体の知れない苦しみのようなもの。最初は何でそんなことになっているのかわからなかった。もっと最初はそれ、その行為自体を見失っていたように思う。でも、徐々に分かる気がした。私はやっぱり不安に勝てなかった、不安を抱えずにいられていなかった。いつも、負けることしかできない。
大学4年という位置において、進学への不安と、卒業研究への不安と、家族への不安と、全部うまく考えようとした。そう、そうすればいいのだと思い聞かせた。でも、それはやっぱり嘘にしかならなかった。自分を励ましたり、だましたり、言いようはどうとでも出来る、それを何もできなかった。そしてそれを自分でことばで実感できずに放り出してやり過ごした結果だ。まぁ、一部かもしれないけれど。
5日から14日まで急遽大学が休講になったので、実家へ帰った。ここのところずっと実家に帰るとすぐにもの凄い過食をする。2,3日続く。夜中にごそごそとしているので、母はそれを怖いというくらいだ。不安をおさえられない。不安を何かに代えられない。不安をことばに、口に出来たら、その他なんでもいい、何かに置き換えられたらどんなに楽だろうと思う。私の不安は何にも変わらずに、ただひたすら私の胸の中でうずめいて騒ぎ立てている。それを止められるものはあるのだろうか。私は少しパニックのようになっている。いれていれていれていれていれていれて、何も満たされたりしない。ただ重くなって、気持ち悪くなって、罪悪感を抱いて、醜くなって、眠りに着く。眠りは、最大の癒し。実家に帰ってきて過食をするのは、大阪での1人暮らしと実家というそれぞれの生活に境がなくなってしまったからだと思う。結局それが違和感になってしまった。1年生の頃は、それぞれの生活に入った時、いちいち違和感をきちんと感じそれからその生活に入っていった。それがだんだんと慣れてしまい、境界線がなくなり、それぞれにすぐにすんなり入り込み馴染めるようになった。しかしそれはやっぱり本当はおかしいことなのではないかと思う。けれど体は馴染んでしまっている。馴染んでいることに対して体が拒否反応を起こしているのではないかと思う。反動、というか。自分の身体がどこにあるのか、本来はきちんと戸惑わねばならないのではないか。戸惑い、確認する。そうでなければ、身体はないのではないか。それを失くしてしまったら、頭は、身体はおかしくならざるをえないではないか。これが、私の実家に帰るともの凄い過食をする原因の持論。
実家に帰る前に、もう、なんとなく決めていた。進学は諦めよう。無理だ。やめよう。正確に言えば、自分を保つためには、不安に覆われないためには、不安要素を持って生活するのはやめた方がいいんだろう、という、とてもちっぽけで情けない考え方なだけだ。不安要素に阻まれて、胸がざわついて、苦しくなりたくないから、そんな理由で諦める。逃げる。それがいいかどうかなんてわからない。そんなことは、全ては、本当のことは誰にも言えやしない。すべてを言葉に出来る私は存在しない。逃げ出したくない。逃げたい。どれが本当の筋だろう。自分の気持ちなんて、いつもわからない。




昨日は、国立国際美術館に、「様々なる祖形 杉本博司 収蔵作品展」と、コレクション展とを見に行った。特別展のベルギー王立展は混んでるだろうと思って遠慮した。杉本博司の写真を生で見るのは初めてだった。だから行った。一昨年の森美での個展には行こうかどうしようか迷って行かなかったのをよく覚えている。なぜか。立ち向かえる気がしなかった。展覧会においてこれはよくある。チラシ等を見て、行きたいと思う気持ちと同時に、恐怖に似た感覚を覚え立ち向かう気持ちが自分にあるかどうかと考えるとうろたえてしまう。森美は作品数が多いことだろうと思うと行けなかった。しかし今回初めて目にして、とてもとても良かった。とても大きくプリントされた12点の作品は、どの一枚もとても見ごたえがあり、写真の世界に閉じ込められた。建築シリーズの作品はとても面白しろく美しく色々な考えを巡らされたし、観念の形シリーズの作品は光と影について視ることを強いられた。ああ素晴らしかった。あの大きさのプリント、あの展示の仕方はとても良かったと思う。コレクション展とあわせて学生なら130円で見れるので、お得だった。むふふん。過去の図録等も見られて楽しかったが、どれも高くて手を出せない。
それからgrafへ行き、「MORIMOTO MIE」展を見た。grafへは新しくなってからはじめて行ったので、gmが5階になっていて、なんだか気持ちよくて良かった。写真の数々もとても良かった。様々な活動を一挙に見せるということ、撮る目的や意図も映し出す媒体も違う様々写真の数々をあのような展示で見せるというのはとても好きだった。楽しく、面白く見れた。素敵な写真家なのだろう。
それから梅田まで歩いた。川は好きだ。そして環状線に乗って、天王寺であれこれと買い物をして、疲れたので帰宅した。生理になると、なんでこんなに体がおもくてだるくて眠すぎるのだろうか。この場合、コントロール云々ではない。もう、私の言い分など何も聞いてくれないものである。お陰で、大河ドラマを見逃してしまい、日曜日の感覚を得られない不思議な体験をしてしまった。



東京都現代美術館の「Marlene Dumas―Broken White」へは、先に訪れたらしいK先生からメールがきて、よいかも。常設店もよいかも。ということなので、行った。どこかでチラっと見て気になっていたし。デュマスは現在世界的に最も注目を浴びている女性アーティストのひとりであり、オークションでも高値で落札されることで有名らしい。にしては日本ではあまり知られていないように思うが。客もそんなにいなかったし。でも、ゼミの先生はよくご存知のようであり、内心、さっすがーと思ったりもした。
さて中身は、K先生もおススメしていただけあって、腹の底から満腹になって楽しんで見ることが出来た。色がいい。目がいい。塗り後、筆跡がいい。どれもが肖像作品であり、ほとんどが実際よりも巨大なキャンバスに描かれている。とにかく色が大好きだった。暗い色も、淡い色も、何も言わせなくさせるような檸檬色も、どれも良くて、更にそこに残る跡が惹きつけてやまなかった。テキトーに描かれたかのような色跡が愛しい感じがした。近くで見ても、遠くから見ても。広い中で、高い位置に掲げられた作品に囲まれる贅沢。ちょっとした快感を思う。常設もなかなか良い作品がそろっていたし、明日の神話の巨大さにも出会えたし、楽しかった。この日はその後、上野で家族で食事をし、芸大美術館にも行き、それから神楽坂に行ってあんみつなどを食べ、父の母校に行ったりして(神楽坂のすぐ)、ドライブ帰宅。家族らしい一日。



今日はまたしてもやってしまった。卒業危うし。学校へ、外へ行きたくなくなってしまう。それは、徐々に直さねば。うまいこと。午後の授業に出て、15時過ぎに1人で学食で食べ、久しぶりにチョコレイトを買って、研究室へ。なにか胸騒ぎを感じながら、制作をしようと思う。Iさんとお喋りをしながら。それからはsくんといっぱい喋った。途中にyちゃんが少し入りながらも、結局20時近くまで喋っていた。私は少し制作をしながら。いつもの私とs君の会話。傍から聞いたらどう思うものか。まったく未来のないようなけれど筋は通して真実は無視した会話。説明のしようもない。s君はセクハラな発言ばっかだな、と言うけど、言われる私は特にそうとは受け取っていないと思う。s君の繊細さとか、常に様々なことに疑問や不満を持ち、沢山のことを考えてぐるぐるして勝手に言い分はなって、いつもとにかく求めては求め切れていない様、他、なんかそのうやもやさが時々疲れるんだが、でもやっぱり分かり合える友達として、なんだか変な関係になってしまうなあ。よくよく考えると、s君とってば、すごいいい友達関係なのかもしれないな…と今更思ってしまった…。