液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

manhattaner’sのキャミソール



このあいだ深夜にテレビで映画アイデンアンドティティが放送されていたので見た。予想していたよりも、あんまりだった。なんとなく。単純に、好みじゃないってのもあるかもしれないけど、映画というものに対して自分が求めているものなどがなかったのだろうな。それでなんだか少しさみしくなった。
昨日テレビで放送された明日の記憶も見た。予想よりも、上回ってなかなかよかった。予想というか、想像では、あまりなにもなかったものだが、見てみないと分からないものだと、自分の目で。やはり演出が堤幸彦だからだろうか、時々それらしいカメラワークなどがあって、その点でも楽しめた。それでも一番惹かれたのは、主演の渡辺謙だった。あの演技を見ていたら、ずっと自分の中にうずくまって顔を見せずにいたものが、あふれ出てきた。あの泣き沈む演技は、私にはとても痛かった。まるで、自分を見ているようで、とても痛かった。もちろん泣く理由は原因は違う。けれど、あのような泣き様は、初めて自分を客観的に姿形として見てしまったような気がして、私の中にしまわれてしまっていた感情を、出したいのに出せなくなっていた感情を、再び開いてくれた。ああそうだった、と、なんだか色々なことを思い出せた。なんだろう、私はまた記憶を失いつつあったのだろうか。感情の記憶。私にとってそれを忘れるというのは、いいかいくないか、分からない。失えないのではないか。結果的に。映画全体の尺としては、テンポが良すぎるような妙な速度やはぶきも感じたけれど(まぁCM挟んで見ているのでなんともいえない)、印象に残る映画として刻まれた。