液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


昨日で学外での卒業制作展が終わった。午前中に大学へ行って他学科の展示を見て、カメラ屋で写真を受け取り、それからお昼過ぎに会場へ行った。るびさんが来てくれたのはすごくすごく嬉しくて、あの場という完全に大学を模倣したようなといえる先生や友達があちこちにいるといった場所で会えたのはすごく不思議なんだけど、すごく納得がいく感覚も同時に、いや強くあった。自分があそこにいることを強く実感できたのは、おそらく自分ひとりでは出来なかったものと思う。喋っていて、ふと気づいたことがあった。生後十日後の自分の写真。ああこれは、本当に22年前の写真で、22年前の自分があって、そこから今があって、この今の前には色んな人との出会いがあって、というふうに突然全部の時空がぐあわんと揺れ動いた。当たり前のようなことを認識すること。そんな認識は簡単にはやってこない。その時の瞬間性とか衝撃性ってなにものにも変えれないものなんだと思う。

15時過ぎになって家族が来た。嘘をついて私の作品はやってみたけどあわなかったから展示してないと伝えてあった。母はそれを信じていた。それにその私の発言は完全な嘘なんかじゃなかったとも言える。本心はそうだった。出来ることなら片付けたいと思っていた。展示するのをやめたいと思っていた。しかしそれは簡単に許されることでないから、だから苦しくて醜態ついてもがいた。そんなもののためにわざわざ新幹線で足を運ばせるのは申し訳なかった。だから嘘をついた。しかし、父が見破ったそうな。いつもそうやってだますのが私だろう、と。この手法もそろそろ潮時かなと思った。

同じように家族が来ている友達は数多くいた。だから一応わかる。親というものは子供の成果を見てみたいものなのだと。まぁましてや高い学費払っているわけだし。学校からDMなどの通知が来れば、足を運んでみたくなるのが親なのだろう。だから、私は嘘がばれたからと言ってもうそんなに抵抗はしなかった。私は実家に帰ると学校のことを話さなくてはならないと思っている。高い学費を払ってもらっているのだから、何をしているのかを伝えるのは義務と思う。だから。

うまく過ごせるものかしらと少しの心配はあった。搬出作業後、家族と合流して食事をしてウェスティホンテルに私も一緒に泊まることになっていた。たった1泊の短い時間。嫌な態度を出さずに、変な態度を出さずに、うまくやれるだろうかと。しかし、妙に冷静をもって過ごすことができた。搬出作業をしている時、何度も涙が出そうになった。悔しくて情けなくてどうしようもなくてようやく全部終わり終えてしまったふがいなさに、視界が白けた。でもそんなものは家族の前に持ち込んではいけないと思った。そうしたら、自分でも恐いくらいにいい感じに過ごせた。私からしたらそれは変な心地なのだが結果として悪くなかったのだから良かったと思う。私は私に代わりはなかったのだし。

自らのことに関して自らは泣けない。外部にあるものを通して泣くことしか出来ない。それは例えば朝ドラをはじめとするテレビから流れてくるちょっとした話。ほんのささいな琴線。それによって自分の内にあるものがゆるまされ、結局その外部に対しての涙が本当にあるのかどうかは疑わしい。しかしそれはどうでもよくて、泣くことができない私は泣く装置を外部に探すしかない。しかしそんな風にして流す涙がなにという。

もういいんじゃないかって思った。もういいだろうって思った。もうこれ以上はないんじゃないかって思った。静かに浮かび上がってきた。許されるんじゃないかと思った。あの時の自分の感覚はとてもおそろしいものと思う。あまりにも冷たく落ち着いていて。

そして今日で、学内あわせて全ての卒展を終えた。片づけをした。本当にすべてが終わった。長い長い時間があった。どうしてこんなことを始めてしまったのかとさえ思った。けれどもう始めてしまったからには後には戻れないと何度も自分に言い聞かせた。向かうしかないと唱え続けた。終わりが来るなんてことは、考えたことなかったのだ。だからふいに訪れた本当のおわりに、ああそうかこれでもうやっと何にもしばられなくてすむんだという言葉がすっと出てきた。なんだか楽になった気がした。賞からも、ようやく開放されたような気が、なぜかしたのだ。