液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない



昨日、久しぶりに大学へ行った。久しぶりったって、2週間程度なのだけど、大きい。定期はもう切れていたから切符を買って電車に乗った。なんだかあたたかくなったせいだろうか、突然にいろんなことがわいてきた。あたたかさが、すべてを語るようだった。この大学の学生としてここに来ること、この景色を見ることは、もうあと1回か2回くらいしかないのだなぁと思う。きっとすぐまたやって来たりはするのだろう。でも、それでは違う。そうじゃなくて、ずっと続いてきた目線、当たり前だった世界、地面であり空であり色々な感触に対して、なにか決別のようなものをせねばならないということが、深くのしかかってくるようだった。
同じことの繰り返しだった。あたたかくなって、桜がさいて木が繁ればやってくる世界があった。顔に感じる空気が象徴していた。でももう次にそれはない。場所はあるし、空気もきっと存在するけれど、私がそれを感じることはない。おわるから。
悲しくなるでも切なくなるでもなく、順番がめぐってきたんだなぁと思う。大学というひとつの場所、閉ざされた場所。その中は常にいろんな大小さまざまなうずがうずまいているんじゃないかと思う。個人のうず。学科のうず。男女のうず。職業のうず。それらは独自のペースでうずまいている。私のうずはもう消えかかっているのかもしれない。すなりと。
K先生に「いつ大阪を出てくんだ?」と聞かれる。そんなこと聞くような人と思ってなかったので驚いた。なんだか当たり前かのようにお世話になりすぎてなんてお礼をしていいものか、考えているもさっぱり思いつかない。私がいなくなってもK先生はきっと同じようにある。研究室は同じようにある。変わるかもしれない。
ずうっと体が悩まされている気分。なにかがこわくて、思わずこわいと口に出してしまいそうになる。必死でそれは言ってはいけないと言い聞かせる私。大丈夫と言う。自分がやっていることはなんなんだろうとか、考えにあがること自体しょうもないと思う。そうじゃなくて、それを考えるんじゃなくて、ちがうちがう。わかってるのに、見てみぬふりしようとしているのに、ふりきろうと努力しているつもりなのに、粘着してくるそれへの対処法は何が正しいのだろう。必死で捕われないように、逃れようと、それは間違っているんだろうか。どんな生き方が正しいか。そんなものはないとしよう。ないと信じようとしてる。それならそれで、自分の生き方を見つけなければならないと、焦っているのかもしれない。




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