液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


昔の写真を見ているとふと不思議になる。むかし、と言ってしまうあたりがもうそうゆうことなのかもしれない。言葉を選びとっている、感覚が。写真を眺めていて不思議に思う。そこは大阪における大学生の場所である。なんだかもう知らない場所のようでもある。写っている人たちは知り合いである。そのはずが、なぜかそのことが疑わしく見えてくる。この人たちはみんな本当に私と知り合いだったのだろうか、ほんとうに、ほんとうに、どうだろうかとわからなくなってくる。しかしその写真を撮ったのは私自身である。カメラを持ちそこに身体をもって私がいたことは揺るぎない事実である。写っている彼らと同じ場に、空間に私はいたのだろう。しかしそうなると、自分自身の不在が見えようとしてくる。自身がゆらぐ。なんだか浅い思考めぐり。

リセットされる、ということだろうか。リセットされる、ということを発言したのはゼミの先生だった。まだ卒業する前に一度聞いた時はあまりピンとくる言葉ではなかった。あまりうまくその言葉の意味がはいってきていなかったのだと思う。しかし卒業後に聞いた時、うわ、でた、やっぱり時々先生が発する言葉はすべてのうやもやを飛び越して覆うものだと改めて思った。それくらい自分の中でリセットされるという言葉が自分に合致するようだった。先生が与える言葉によって瞬く間に霧が晴れることはよくあった。大学を卒業したことによって、学生でなくなったことによって、色んな事が戻ったように感ぜられていた。もどったとは、どこへか、大学に入る前の時分に。そう感じていた。それは妙な心地であった。けれど、そこにリセットされるという言葉をいれこむと、とてもすんなりすっきりし、頷けるものとなるからことばの力は不思議と思う。リセットという言葉が体現する。

そうやってリセットされて、大学に入る前に戻ったとなると、大学時代に知り合った人たちとは知り合っていないということになる。いや現実的にはならないんだけど、なる。そう考えると納得できてしまうようだった。つまり大学の4年間というのは、ばっさりなかったことのようになっている。すべては感覚の話。実際何があったと言われても、何もなかったと答えられる気がする。まあそうゆうもんなのかもしれない。



小学5年生まで住んでいた都内にも友達はないし、越してきた土地での小学校、中学校での同級生にも卒業したきり友達はないし、中退した高校にはもちろん友達はないから、実家には友達がいない。大学の時はそう言っていた。では、今はあるのだろうか?というのが自分の中での問いかけだった。大学に入って、おそらく、友達と言える知り合いはたくさんできた。でも正直よくわからなかった。これが、こうゆうものが友達という関係なのだろうか、友達というものはこうゆうものなのだろうか、普段何気なく友達という言葉を使っておきながら常に隅に追いやった疑問があり続けていた。継続する友達というものを知らず、わからずにいたから、どうゆう具合が友達というものなのか決定的な形を知りたがっているように思えた。同時にそれはこわかった。もし決定的な形があったとしたら、自分はそのようなものは持ちえないのではないかと強く考えられた。実際それだから今までにもないのだと考えていた。だから、なるべく友達という言葉は適当に使わねばならないと思った。私は友達という役割は担えない人間なのではないかということが、中退したころからきっとずっと気にかかり恐れていた。それでいて同年代の人たちを、高校生に軽蔑の嫌悪感いっぱいのまなざしを向けていた。大嫌いだった。制服を着た人たちは、自分とは違うんだって何度も言い聞かせた。壁があることを描いていた。その感覚が強すぎたせいか、大学生になっても今になっても高校生という制服を着た人たちを見ると苦痛感がこみあげてきて、たまらなくどうしようもなくなる。未だにそのことと決着をつけられないでいる自分へのいらだちと、どうしてもそれを解決できず感情に圧迫されてしまう感が余計に増幅するからさらに悪い。大いなる劣等感。いかに劣等感を打ち破るかであっただろうけれど、結局劣等感は存在するのだから。

大学に入ってから友達が少しずつできては不思議なものだとやはり思った。この人たちは皆ついこないだまで私の大嫌いだった(と、その時は思っていた、継続的なものでないと)制服を着た高校生をやっていた人たちなのに、私はまともに話をすることができている。なんだそれはいかがなものかと思う。ただ制服を脱ぎすてたらもうそれで違うものなのかしらん、などと思ったが、やはり実際それだけのようなもので、高校生の制服というイコンがいかにどれほど強いものかということを思い受け入れた。やっぱりそれでもふと思い描いた。皆が以前は制服を着ていたことを。高校生であったことを。(不思議と私の周りには浪人はいても大検の人はまったくいなかった)それを思うとやはり違和感を抱いた。少なからず壁を描かずにいられなかった、衝動として。結局は劣等感の塊で、彼らは私が持ちえなかったものを持っていると、出来ている人間なのだと思っている。一般、としてふりあてられるものを持ちそなえている。当時の私にとっては、当たり前にできるべきである通学をできなかったことを責め続けていたから、そこに大きく線をひき、ちゃんとできている人たちとできない自分との関係を置き、制服を着た高校生に私が持ちえなかったものを見出したのだと思う。どうしてもどうしても、そのころの感情のつけ方がなくなっていない。なくならなかった。こんな風に思って人と接するのは悪いことのようにも思った。しかしそもそも友達という概念がわからず概念を求めようとしているところがあるからには、なんかどうしようもないなと落ち着く。私はだからやっぱり友達がないのかもしれないなと思い至る。

だからこうして日記などで友達という単語を打つときもギクリとするところがある。ほんとうにそれを取得した上で自分は友達という単語を扱えているのかと問いが出てしまう。実際はしてないとしか思えないのだが、便宜上として使ってしまっているではないか。

「友達」と表面上には言っておきながら、知り合いという言葉の方が適しているのではないかとも思う。自分に扱いきれない友達という言葉を使うよりはマシなのではないかと思うのだが、知り合いという言葉は少し冷やかな感じを含むので(全くそうでなく適して使えることもよくあるけれど)声で発するときには特にあまり適さない感がある。私という人間が、友達という言葉を扱っていいのかどうかがひっかているということかもしれない。友達という言葉に疑いをかけるのは、自分が疑わしいことなのかもしれない。



友達という言葉などどうでもいいかもしれない。そんな形式は要らないかもしれない。人間と人間なだけであるとは思う。けれど、10代の頃に疑いだした自分をふくむ友達という言葉の関係性、友達というのはひとつだけではなりたたなくてふたつがなければならないという仕組み、そのことはどうしても納得ができないゆえ流すことができない。私は自分が納得できないこと、筋が通らないように思えることなどに対して喋っていても流せばいいのにと言われてもどうしてもつっかかって問い詰めようとしてしまうところがあるからそれはまるでいいとは言えない。

大学に入って、大学という場所柄においてはいかに高校生というものが一般的であるかを改めて思い知った。色んな土地から来ている人が集まると、それぞれの高校の話になるということはよくあった。そのたびに私はどうしようものかと思った。うーむこのような状況の場合、私は聞き役に徹するべきなのかどうかうーんしかし正直つまらないし苛立ってしまう感覚がなきにしもあらずだししかしそんなわかりやすい不機嫌な態度もどうしようもない勝手な話でどうでもいいし、いかにそうゆう場で自分がどんな態度をもってそこにいるか、というのはいつも戸惑うことで回答も出なかった。いつも困てなんとなく居にくくなってしまって無言になり、無言になり、考えてるような考えてないようなでいなくなりたい気分、いなければよかったという気分になった。いかにしてそうゆう状況と付き合うか、自分の気持ちに折り合いをつけるかは絶対必要なことであると思っていた。うまく適応するなにかをあみださねばと思った。じゃないと、やりにくすぎるなぁと感じた。そうゆう風にいつもこの場をどう乗り切るかと考えているときに、茶々を入れられ図星だったときの頭の真っ白になったなりようは忘れられん。それはそれで自分にとっていかにこのことに関して折り合いをつけれていないかが浮き彫りになったから、いい機会であったとも言えるけど、それでも憤慨気分はなくなりません。その人は私のことをこう評したそうで。「○○(わたし)の言ってることってあたってるんだけど、すげーむかつくんだよね」あたってるから、むかつくのだろう。

なんだか散漫してしまった。からみつく。