決定的になった。今の今までずっとわかっていたようで、そうとは思っていなかった。いくつかの点としてはわかっていたけど、それらが線になるとまでは見ていなかった。なんだかもうそんなんばかりだな。いくら自分をごまかしているのかと思うと、その力量にあっぱれだ。受け入れることはさまざまある。自分の弱さをみとめ、うけいれ、それでどうするかが大切なのだと思っているはずなのに、ついそのことをいつのまにか踏みつぶして違うほうをよく見ている。

おととい、久しぶりに母とすこしの口論になった。ひらりと思う、ああまるで16歳の時と同じじゃないか。私は未だに母に対してどうしてもさめざめとした強がりの口調になる。ひとつ軌道がずれ、大幅にずれたままそれを固持し、自分が本当は信じてさえいないところへ終着してしまう。だがそれを訂正はせず、もうそのまま悪い状態をよしとしてしまう。たぶん、母ではない人と喋っていれば私はこんな事態を起こさない。それは母と子でなければ起こらない。

母は突き詰めてくる。私はこう思うからそうなのだと言うと、それはなぜかと、どうして違う風にはできないのだと母は言うが、それはもう愚問だと私は思うから、それは知らない性格じゃないのかと返す。私はいままでがずっとそうであったしそう考えてきたしそれが自分であるとまでしか考えていないから、それを変えるとかどうとかには興味がない。それが自分という人間なのだと、私は一人で考え、決め付け、信じてやってきた。きっとそれだけが頑なに自分を守る方法になっている。人の意見に耳を貨さないのはよくないことかもしれない。でもしらないけどいつのまにか自分はそうなっていた。なにのせいだかなんてもうここまで来たら考えもしない。いろんな要素で環境で今の自分があるのだと思っていた。それを変えようとすることは勇気がいることで、私はそうゆうものを一切見ようとしない。嫌なものからは目を背ける。そして後で回復させれない後悔をする。

最後になって思い当る事があった。ああもしかして、高校生の頃の事がなければ私はこんな今の風になっていなかったのかもしれない。そういえばあの頃からよく今のようなものの考え方をするようになった。いろんなものを疑うようになった。そして私は未だにずっとずっとその頃のことを引きずっていて、ずっと忘れられなくて、日常的に起こるさまざまにあの頃を思い出しては結びつけ、あの時と同じことが起こるのではないかということに脅えている。あの頃を繰り返してはならないと思い、振り棄てなければならないと思い、あの頃の長い印象から逃れられないままでいる。時としてひきずっていることはわかっていた。けれどそれは幾つかのうちのひとつとしか考えていなかった。けれどやっぱりそれはうそで、常に進んでいく現在の自分におけるすべてなのだと思った。これは真実かどうかわからない。今までそう思わなかったのは、いくらかは振りきれている片付いたものとして見ていたからと思う。それは願望でもあり。でも私はいつもあの頃に立ち返っているではないか。あの頃の考え方から変われないでいる。あの頃の感情がぬけないままに続いている。高校生という制服を着ている人たちは常に正しくて、私は常にわるい。高校生を見るのは息苦しい。これらから逃れることはありうるのだろうか。

また母を虐めてしまった。母は自分自身を責めている。以前にも言わせたことがある。何度も言わせている。それを言わせてしまっているのは私があるからだ。私はずっと母に嫌われないように、怒られないように、嫌な思いをさせないようにってそれだけを気にしている。だから家事はぬかりなくすべてやらなければいけないと思うし、何にも反抗してはならないし、本当はへらへら笑ったり喋ったり食事をすることだって許されていないのではないかと思う。そうしていつの間にか本当に笑わなくなっている。母と父のよく起こる喧嘩も、姉が不機嫌になるのも私が悪いからなのだと信じるところがある。一直線にそう思う自分がある。いつのまにかそうなっていた。高校に行けない長い期間の頃、父は単身赴任をしていて家にはいなくて、母とは常に緊張状態が続いていた。仕事から帰ってきた母はいつもすぐに私の部屋へやってきた。そして重いため息をついた。私にとってそのため息は忘れられないものとなった。そのため息がこわかった。それから、もう二度と母のため息を聞きたくないと思った。すべてを含みうるため息だった。なによりも悲しく苦しかった。自分が恐怖から逃れるために必死になった。だからいつのまにか今状態になったのかもしれない。自分がしたさんざんの迷惑という自負がまた一層強くする。

もういろんなことが絡み連なりすぎていて、こう書いてもまったく整理がつかない。なにがなんなのか、右と左に別れた点と点をつないでおしまいなんてありえないのだ。しかし、わざわざ混沌をひも解こうとすることなど必要あるのだろうか。それをせずとも生きる道はいくらでもあるはずで、私は他者が正しいのではないかと思ってしまう。





NUOU

NUOU

5月の野音で聴いて新曲にすきなものが多かったのでうれうれとして購入。野音で聴いてうわっこりゃすきだと直感に思ったはじまりから山本さんのギターのフレーズが繰り返される曲が1曲目で興奮する。やっぱ山本さんのギターはいいわーととてもううっとりする。なんかやっぱこうぎゅっとしてるかんじがする、5曲を通して感じるものは。太い木の幹の根っこが土から水分をくみあげてるかんじがみえるかんじ。ぐびぐびとしている。5曲通してーというより、1曲1曲で好きというかんじ。来月のワンマンが楽しみ。タワレコ特典でDVD-Rとステッカーをもらう。



ムーたち(1) (モーニング KC)

ムーたち(1) (モーニング KC)

ずっとずっと半年以上前から探してた一冊。一時期忘れてたら本屋で積み上げられてて思いだした。以前天王寺の本屋ではなぜか2巻しか置いてなくて、買わずにいたのだった。はがーしかしすごい。すごいしおもしろいしなんじゃあこりゃああうわあへすごいなおもしろい!変な言いようだが、現代アートみたいだと思った。この言いようはなんか漫画というものを現代アートの枠にいれてないからの言いようになっちゃってるんだけどんな枠は関係なくて、すばらしい表現だと思う。うっはすごい。1話数ページなんだけれど、とても丹念によみこんでしまい1話1話がなにかとても大切なもののようなかんじがした。強烈。むげんなかんじ。こわいわ。