液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない



一ヶ月がすぎ、前回の更新から。みくしぃもすっかりはなれてしまい、まさに文字ばなれが著しい状況。本はまぁあいかわらず漱石や、今はスカイ・クロラシリーズを。5月ころに応募した新潮文庫漱石時計も無事やってきた。ふと目をやればあの憂いにみちたあの眼差し、顔の角度に出会える。うれしい感じ。


生活は相変わらず苦しいと思うことのつづきつづきで、それはただただ家族との暮らし、この家で生活をするということにまざりまざった感情から生まれる抑制のきかない、抑制をきかせればきかせただけそれが爆発した苦しみを感じてしまうというような機能を私がいつのまにか作り上げ備え付け稼働させている、ただそのこと。それは贅沢だろうか。あまいことだろうか。いくらどんな見方があろうとも、私にとってはただそれだけが大きなそれ以外には見上げたところで何も見えないそれだけの暗闇だけしかないのだから、しかたがない。こうゆうとき、それはなにものとも共有できないのではないかと考える。まぁでも家族というものは永遠に語られたり語られてきているものだから、私のこのものだって分類されたりするのかもしれない。とりあえずしばらくの目標は家を出る資金をためることだなとうなずく。

そのためには仕事を得なければならないわけで、なんとか希望する職につくことが出来た。アシスタントという仕事の中身も全然未経験で知識もなく、その業界の仕組みみたいのもわからぬままだが、選んでもらえたということだけは信じなければならないと思っている。正直未来もどうなりたいと具体的になんもまだ考えられないが、やはりなにかつくりあげれる、表現することができることをしていきたいのではないかと考える。今はまだまだ毎日びくびくのまっただなかで、しかしこの人には緊張感と一緒に安心をおぼえる、というよな人につけたのだから、それは出会いとしては自分にとってよいものとおもう。まあまだふつかしか働いてないので、明日からはたまたどんな日々になるだろうか。


携帯から、なんとかつづける意志を。