あまりちゃんと考え悩まずして、せっかく働き出したところを10日ほどでやめてしまった。なぜなにがいやということも自分でもよく分からないくせにして。ただなんとなく、こうゆうふうな仕事をこうゆうふうにずっとやっていくということは、自分にできるもんなんだろか想像つかないなぁ…というよな無駄なかんじの思いめぐりはあって、いやいやそんなこと今考えたってしょうもないとも思っていたはずなんだがなぁ。そして結局はその現場状況に耐えられなかったということ。結局何がなんだったのか自分でもよく分からないという、悪い状態と思う。これだからいまのわかものは…という台詞に加担したのではないかとおもうと、若者たちに申し訳ない。まあ若者はいつどの世代の若者も同じ雰囲気があるんじゃないかと思うけどまあそれは今回おいといて。こうゆうふうなことずっとやっていきたいのかなぁ、どうだろうと思うことや、色んな立場や人間を見てみて、ああやっぱり社会というものはぜんぜん理想状況じゃないんだということがわかって、きたないんだなぁとか思って、きたないというのは何かと比較しての思いでそれは今までのほほんと生きてせかいのありようを見ず知らずでいられた状況、自分の思いのうまくいかないことはただ否定してみたいな状況と比較したときそれは汚いと呼べるが、でもなんかそうゆうものなんだろうかと思うしかないのかな。汚いっていうか、なんていうか、そうゆうふうに流れる事でいろんなことがうまく流れること、裏表があって当然でそれできれいに流れること、人々が発言する言葉にいったいどれほどの真実味や重みがあるものなのかはいつのまにか勝手に測れるようになって、それに真実も重みもなくてもよくなったりするんだろうかとか、うまいこと流れている世の中、それでできあがっているもの、それを受取る人間、まぎれもなくその世の中にいる自分、ぼそっと気持ち悪いものなんだと思う。それらを受け入れざるしては生きていけないのだろかというか、他に生きようが自分にありうるだろうかいやないので、じゃあもう答えは出てしまってるのか。なんだか頭がぼうっとしている。土日は自意識過剰な罪悪感で確実15時間くらいねむり、今日また月曜の昼間、昔買ったギリシアローマ神話の本をてらてらと読む。



金曜日にはレイトショーで2回目の「スカイ・クロラ」を見た。もっかい見たいなとは思ってたんだけど、ほんとに見るとは。1回見て、原作4部まで読んで、2回目ということで、1回目の時より戦闘シーンでいったいなにがどう起こっているのかを理解することができたのが嬉しく楽しくあった。うひゃーーーっとその美しさに自分の体が浮かび上がるような空にあれるような感覚。1回目の時は戦闘シーンはとても速度が速く展開されて何がどうなってんのかついていけなかった。しかし原作で細かに描写される戦闘シーンを読み込んだおかげでうまくのみこめて、より一層全体の物語に入れた感じがした。そして物語全体への理解が深まっていたので(前状況やキャラクター設定)、それがまたアニメーションとして描き出されているという目の前の視覚状況に私はずうともやもやいろんなことを考えるようなぼうっとするような風にして見ていた。私はただふつうに原作にもはまっていて、繰り返し読み進めたりしている。うーんなんなんだろうなあこの感覚は。彼らの生きる世界への理解は完全にはできないし、彼らの持つ生や死に関する見方に共感するわけでもないのだけど、ただ何かに縛られているようである彼らがそれでも生きていく姿、その在り方に、何かを見つめていて何も見ないようなその飛ぶことをすべてとした生き方に、くすぐられるのかなと思う。なんだかよくわからないな。映画で変えられたラストは、好きと思う。希望というか、彼らの意思を感じ取ることができる。それを感じ取れることができるということが、見る側として救いのようなものを感じる。最後にも掲げられるタイトルをもってしても。この映画は特別なにがここが!っていうんはなく、そうゆうガッツがあるものはないんだけど、物語全体に流れる延々とした空気感がまずすごくいいなと思うし、それでいてそこに流れてしまうキルドレを含む人間のやりとりの温度があることが肌に感触がよく残るんじゃないかと思う。


この夏見た他の映画として、「百万円と苦虫女」は、映画館で予告を2.3度見ながらいつもああなんかちょっと自分にはあんまりひっかからなさそうだなぁという感じがしており、予告でもなんとなく質感は感じてしまうものだから、なんとなく、でも蒼井優が主演だからなぁと見るか見まいか迷ったけれどとりあえず見なけりゃどうにもならないということで。

見てみて、あやっぱり思ってたのはあたってるなぁと思ったけど、なにより蒼井優がなんかもうものすごいいきおいでかわいいとかきれいとかじゃなくて、うわっぐわっと来る感じですばらしい具合がぐっとくる。しかし細いよほそいよ。クワイエットルームへようこその拒食症の役作りにはいってからはすごい細いまんまだなぁと思う。それのまえのハチクロのはぐの頃と比べることさえできると思う。ちょっと細すぎるのが気になってしまった。ぺらんとした綿素材のよな白いノースリーブ姿とか、どーひゃーーーとなぜか内心冷や汗かくような気持ちになったくらいほそい。うでが。

蒼井優はやっぱり目の動きがいいなあと思う。うろうろする目。友達いないからと携帯も持たず、人を信用せず人と深くかかわることを避け、当たり障りなく生活を進めようとし、一人であちこちを移動する。そのなかでいかに対人間をやり過ごしていくかという鈴子という役柄の感じが蒼井優のほそぺらい背中のやらかくまあるい感じとか、いつもなんだかぼおーっとしていて気迫もたてず流すままのような眼のうつろいとか、特に大きくはない動作みたいなものが台詞や鈴子が遭遇していく状況とかより断然印象的で説得力があるようだった。

ただなんかあんまりリアリティみたいなもんがないなぁと思って、映画にリアリティを求めてるんかと言われたらちょとわからないが、まあつまりいまいち映画の話が自分の中にはいってこないなぁという感覚。家族との感じとか、同級生との感じとか、なんかその、映画の中では出発になる大元のところがうまく掴めなかった。

蒼井優の相手役に森山未来というのは、なんとなくこの人には幼いイメージがあったのでどうなんだろーと思っていたら、ちゃんと男らしい体格をもっていたので意外とあっていた。でも男女の展開のかんじとしては、人のセックスを笑うな蒼井優に強く思い入れがある私にはあんまりピンとこず。でもなぜか突然ちゃっちゃと進んじゃうあたりは正解とおもう。妙な納得を。そんでもってこの二人の関係の最後に向かう方向も、ええ?!というかんじで、最終的にそうか、と思いつつ、こうゆう形ってありうるものなのかどうかわからないなぁと思う。単純に私はこんなんあんま好きじゃないなぁと思ってしまったので、いまいち言おうとすることに納得できず。

ただひたすら蒼井優はよくて、時々固定カメラでばちっと蒼井優を切り取るところが出てくるんだが、とくにそうゆうとこがすごくいい。カーテンにくるまっているところなんかすごくきれい。映画全体にときどき笑いがふくまれるのは見ててとても心地よかった。ピエール瀧蒼井優のからみはだいぶよかった。しかし腹でてるのがとても気になった。男の人の腹における太り方って女の人の感じとは違うものでなんか妙に宇宙人とかが入っていそうでこわく思う。

そんな感じで蒼井優は主演はらないもののほうが好きかもーと思ったりも少しした。ドラマもピンとこなかったし。でもまあそれは作品との関係もあるだろうからわからない。しかし良い。色んな髪型の蒼井優がみれてうれしい。エンディングの郁子ちゃんの歌はよかったなー。


その次に「TOKYO!」を見た。ミシェル・ゴンドリーレオス・カラックスポン・ジュノの3人の監督、それぞれの作品の出演者を把握しただけであんまり内容は知らぬまま見たので、最初のミシェル・ゴンドリーの「インテリア・デザイン」にはとってもやられる。ああミシェル・ゴンドリーだああーと思い、感じ、うれしくなる。作品として描くテーマはちょっと痛く感じるとこもあるけれど、最後にはなんかこう嬉しくなるぐあいがこの人だと思った。加瀬亮のちゃらんぽらんのようで何かに充ち溢れ子どものような感じはミシェル・ゴンドリー恋愛睡眠のすすめのゴンドリー自身の投影だという役に似てるなぁと思ったから、なんかまたゴンドリーみたいなかんじのものかなと見た。加瀬亮はそれをうまくやっているなぁと感じた。ぐるりのこと。でも思ったけど、あの声の感じにぎょっとさせられちゃうんだな。で、話のメインは藤谷文子であり、見たことない人だなと思ってたけど庵野秀明の監督した映画「式日」に岩井俊二と一緒に出てた人とわかり、不思議な感じ。東京で一人暮らしをする友達のところへ(伊藤歩が演じていてかわいい)カップルでお世話になってしまうのだが、そのせまっこくて日も当たりそうになくごちゃごちゃとしているその一部屋の感じがすごくよくて、そのせまいたった一部屋に圧縮されていくかのような過程から、一気にびゃっと世界を飛び出ちゃう感じがすっごく魅力的で、うわああおもしろいーとこころがとびはねてきた。そこにまた大森南朋が出てくるので、画面に妙にあたたまる安心感が生まれて、対人間ということよりも、一人の人間という感触を得ることができてすごくよかった。すこし切なくほろ苦いような、でもキュートさのレベルによって全体がころんとしてまとまって、いいなあ。

レオス・カラックスの「メルド」は、3作品中、一番美しい作品だなあと思った。映像としてとても美しい。美学が通ってる感じがとても見えるので、この人の他の作品を見たことはないけれどきっとどれにも通されている美があるんだろうなぁと思った。話はなかなか奇妙で最後まで謎に取れる部分があるけれど、その不可解さは不可解さとして凛としてたっている感じ。台詞も意味深なことが吐かれるも、日本語でもなくフランス語でもない、世界に同じ言語を話すことができるのは3人だけという何事も言えない言語を話すメルドというものが語ることによって世界が浮き立って来て、しかし余計におうとつが歪んでくる。真理がどうのこうのより、私はもうこのぼっこぼっかな具合そのままにうへへへへと思うので、この不明な言語のやりとりだけを数分間通す場面と言ったら血圧あがる感じがした。いやーこの人の映像はすごいなあ。

最後のポン・ジュノ「シェインキング東京」は香川照之演じる10年引きこもりをしている男性が、蒼井優演じるピザ配達の少女と出会って、という話で、この蒼井優の役がちょっとおもしろい仕組みでその味わいがぐっとよかった。家、というものの内部構造がおもしろすぎる。そこに暮らす香川照之の動きがまた生き生きしてるんだなー。そしてそこから外に飛び出した時のどうしようもなさ、次から次へと沸きだしてくる言葉とそれにともなわない行動、それを突破させようとするだけのパワーをもつ蒼井優のみずみずしいはねるような魅力は説得力がある。蒼井優がこんな艶やかさを持つなんてーという感覚にどきっとした。ゴンドリーの作品も部屋というものが大きな空間だったけど、こちらでは家、部屋というものの描かれ方に息をのむものだった。また、渋谷の街を香川照之が歩くシーンとかすごく新鮮だったし、家という内部と外という対比がとくに印象的で光のきれいなものだった。

映像を扱う、ということで3作品ともすごくおもしろかった。テーマがあるオムニバスという仕組みの手伝うところもあるかもしれないけれど、映像という枠組みをどう扱うかーというところそのもので楽しめるのが見ててすごくうれしかった。うわっそんなふうにしちゃうんだ!っていうのが3作品通じてごろごろ転がってきて興奮する。どおれもよかったな。みんなそれぞれ映像がきれいだと思った。高画質とか言う事じゃなくて、画面の中の世界のそれぞれの質感がどれもぴしーと整えられていて気持ちいい。またエンディングの音楽がきもちいいくって嬉しくなる。