液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

qyu2008-10-15

9月の終わりころ、3日連続で展覧会へ足を運んだ。ひとつずつふりかえってみようとおもう。せっかくだし。なんかこう連続感として。づおおーといっきにかきました。明らかに2つ目以降ちょっと気力が落ちている。


液晶絵画 STILL/MOTION @東京都写真美術館

大阪から巡回してくるのをひじょーに楽しみにしていた展示。だってBill Violaの『The Reflecting Pool』という作品が展示されるという事だったから。私は今まで見たヴィオラの作品の中ではこれが一番好きだ。あと学生の頃見せてもらったヴィオラの夢見てる様子みたいなかんじの60分くらいのビデオ作品とか、ヴェールとかってタイトルのインスタレーション作品も好きだ。でもビル・ヴィオラという人への確信みたいのを得られた作品としてはThe Reflecting Poolがあるのでぜひともこれは再度見てみたかった。これは大学3回の頃に、ゼミの先生に見せられてとても印象深くてそのイメージがずっと頭にこんとんと残り続けた。はじめて見たときからヴィオラの作品は、うわなんかすごい、あたらしいせかい…(絶句)という衝撃感のある人で、そしてそこに惹きこまれてしまう強さを感じる人だったが、The Reflecting Poolはヴィオラが作り出すものの認識だけでなく自分が見るべき世界を抽象的に教示されたようなそうゆう気がした、する作品。1977-1979年に制作されており、その当時か、そのあとかにビデオ化されただけで、今では作品は販売されておらず、普段では目にすることが出来ない。youtubeにあるが、youtubeはどうしたってyoutubeなので違うので違う。

そして肝心の展示はと言うと、真っ暗な個室で大きい液晶画面にどーんと流れていた。最初はその画面が壁の突き当たりに置いてあるのかと思ったら、どうやら部屋の真ん中に置かれていた。でも入口はひとつだけだし、暗いしで、もちろん誰しも一方向から見ていたが、大阪ではスクリーン的なものに投影することでその両面から眺められるということだったらしく、こちらでももしや裏からも見れた?いやでもいくらなんでもそれは無理そうだったような。しかしいずれにせよ、部屋の真ん中に、つまり奥空間はなにもない無空間として扱われていることによって、作品の映像の中身の妙な心地をより倍増させられる気にもなった。

画面はずっと固定カメラで、枠がぶれることはない。森の中と思われる中に池のような、まあそれがつまりプールという水空間がある。そこに現れる一人の男。これはヴィオラ本人と聞いたような気もするがどうだったかな。男は水へ飛び込んだ、と思ったら、あれ?男は空中で静止してしまう。しかし男が静止している間に、その男の時間とはべつもののように他の時間というか、他の存在は働いている。周りの木々や空が流れるのと同じように風に水面はなびき、波紋を広げたりする。また水面には男女の姿が映りこんでいる、しかしもちろん地上に彼らはいない。そして気づけば静止していた男の姿はいつのまにか消えていた、まるでとけこんでいったかのようにいなくなっている。はっと気付かされる。そして水面のみが呼吸のような動作をしたのち、男はプールからあがる。はじめにきていた衣服はなくなり、裸になっており、そして森の奥へと歩いて消え去る。そんな映像作品。

まず最初の驚きとして、ひとつだけの時間がひとつの画面に働いているのではないという事。ふつう、ひとつの枠のなかにはひとつの一定の軸の流れしか存在していない。しかしこの作品の中では当たり前に流れているまわりの風景と、静止してしまった男の個体とか同居し、いつしか男は姿を薄めていくなかで、やはりそれとは別の時間、動き、生がある。周りのみどりを持ったゆらぎない木々とは対照的に、水面が変幻自在に放つそのことはぞくっとするような恐ろしさとともに、ひそやかな、そぎ落とされたような神聖さのようなものを感じる。そして裸になって戻ってくる男の存在はまた大きなパンチがあり、あ、かえってきた、という感想をもつことにより、それまでにさまよった意識がこの男によって収束される感じになる。なんつうかなー、ほんと好きすぎて、衝撃過ぎて、決定的なことがけっきょく言葉にはならない。できない。こうゆうときのは、ほんと、頭のてっぺんに直線でさしこまれる感覚。啓示をうけてるようなかんじなのだ。光の直線が頭に突き刺さってて、大事なことは口に出してはいけないような感じ。

ってなんだかThe Reflecting Poolのことしか書いてないじゃないか。他にも楽しい作品はいろいろあった。サム・テイラー = ウッドの映像作品はとてもきれいだった。ヴィオラの作品に通ずるようなきれいさを感じた。静かで、おだやかで、画面全体が均一に整っていて、そこに一般に称賛されはしないがしかし力強い生の美しさが凛としてたっている映像。とても見入る。しかし設置空間がやや微妙だった。ブライアン・イーノの『Thursday Afternoon』という作品は、やはり以前に見たことがあったが今回はでかい縦長の液晶画面2面に、さらにその両脇に『ミステイクン・メモリーズ・オヴ・ミディーヴァル・マンハッタン』という作品も同じく2画面で流すという展示で、なんでこんな形をとっているのかはわからないが、ぶおおおーっとソファに座って眺めていた。縦長の液晶画面かっこいいなー。特にこの二つの作品は生き生きとしていてとてもよかった。Thursday Afternoonは、も、美しすぎて、すごいな。美しいとさえ言えない。ジュリアン・オピーは絵画と映像作品とあって、映像は初めて見たがとてもミニマルな空間が生き生きとしていてとてもかわいかった。この人の色や線は漲ってる感じがすごいする。やなぎみわはやはり縦長液晶画面3つを使った展示。同じ映像作品なのだが、タイムラグが生じている。老婆と少女たちの永遠につづく、つづいてきた親愛さと憎しみのようなものがズレをもった3つの画面で流され続けることによってそれらが何重にも倍増し渦を増し深みを増していくように感じた。こうするだけでまた新しい面白さがうまれるんだなあと思う。鷹野隆大の『電動ぱらぱら2002/2008(上半身)』は写真を繋げた映像作品で、人間が洋服を抜いでいく様の上半身、下半身が次々にバラバラに組まれ繋ぎあわされていく。これがまたたしか壁にだったかおおきく数面映っていて、とてもストレートで見る者として迫力があった。これだけ人間に真正面からむきあっていく、しかも服を脱いでいく過程の中、性差が消えていきその個々があらわになっていくことに、どうしてこんなにこころをひりひりさせる自分があるんだろうと考える。森村泰昌は映像だけでなく、空間をつくりあげて筋道を拾うようにしてインスタレーションになってるとこでわかりやすく面白いなと思えた。やなぎみわのギャラリー・トークに参加したが、そこで学芸員さんと言われていた通り、いったいこれははたしてなにを見に来たのか、映像を見に来たのかどうかわからなくなるというところがおもしろい展覧会だと思った。縦長の液晶画面かっこいいな。




アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち @森美術館
フランス人のメサジェは1970年代から主に日常生活にあふれている素材を元に制作を行ってきたという。私はこの展示があるまでまったく知らず。世の中知らない人ってたくさんいるよな、と思う。大きいインスタレーション作品がもりもりとあった。しかしどれもがぬいぐるみや、愛らしい素材がつかわれているために、どんなにえぐくてどろどろとしててちょっとおぞましいような残酷さがあろうとも、愛らしいエネルギーに満ちたうえでの発信のような感じが強くした。なんか直感では突き放せない、どこか触れていきたくなる引き付け感があるのは素材性が強いんだと思う。はじめに出会うのは天井からつるされた沢山の剥製の鳥。そしてすべてはぬいぐるみの頭をかぶせられている。そしてそれらを見上げると鳥の土台につけられた鏡によって自分が映りこむ。こうゆう単純な機能ほどずっと見上げていたくなる。また、小さな雀のような鳥たちの剥製がならんでいる作品もあった。おばさんたちや、子供を連れた若そうなお母さんたちはそれを見て散々な言葉を投げていたが、なぜに、かわいいではないかーと思う。ニットを着せてあげようともするが、無理強いをさせようともしている。それってなんかわかるものなんじゃないのかな。そこにはほんとは純粋な気持ちしかないような気がするけどな。滑車を使ったインスタレーションはどれもどかーんと包み隠さず開かれていて、すんごいなと思う。こんな風に、こんなことができるのかーーっと驚く。いびつで壊れかけたグロテスクサがあるのに、でもやっぱりにこにこしながら見てしまう気がする。「カジノ」という作品はこれまたおっきくて、ピノキオをテーマにした本当は3部作の作品らしいが今回その内のひとつ。ここでもやはり滑車は使われており、照明が落とされた部屋に赤い大きな布がめいいっぱいゆらめぎうねり、その下にはいくつもの光がともり、布は常に大きな風が奥から送られてきてごうごうとしていて、これだけの大きなもん作ったら誰しもこれを体験せずにはいられなくなるその雄大さというか、寛容さのようなもの。最後の最後まで大きな作品で見せ、森美に観光でやってくる様々な人々にも確実になにかを与えていっていると思った。どれもがでかすぎて、思わず口開けてぼーっと見つめてしまう。量もひとつひとつに多いから、一緒にその中に集積されるような気になる。



現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング @東京国立近代美術館
これもなんやか面白そうーと楽しみにしていた。なのでシンポジウムがある日に合わせて行ったにもかかわらず、東西線で寝過して到着したためか、眠さがうとうとやってきていてあまり真剣に聞けずじまいに終わってだめなの。気を取り直して展示を速足で見る。閉館時間がせまりくるまで75分ほどしかなかった…。まずレイコイケムラのドローイング作品はどれもよかった。とても好き。特に「樹の愛」という16点のシリーズ作品が好き。木々や光が眼の前に踊るようなかんじがする。辻直之のアニメーションは静止画像では見たことあるけど作品は初めて見た。すごくよかった。でかい黒い眼にものすごい不安を誘われるので、いったい作品はどんなものかと思えば、木炭で書いては消し書いては消しで一枚の紙の上でアニメーションを作り上げていくという手法の痕跡のおもしろさはもちろんあるけど、ストーリーがそれ以上に魅力的だと思った。って、もはや詳しくは忘れたが。2作品上映していたが、ずっと人で満杯。なんだろう、つい食い入るように見入る。子どもの時のように。奈良美智は量がすごかった。ひとつひとつ見ていくと今日は奈良美智を見にきたっけかと錯覚する勢い。grafとの家もあったし。すごいなー。描くことに対するものすごいパワー、執着みたいなもの。それがまた手紙ややあらゆる紙に書かれているから、すごい生々しくて、この紙に奈良美智という人が描いたんだっていうことがすごく眼の前に現れてくる。一気に時空が縮まるような気がしてしまうのだな。あとはピナリー・サンピタックがよかった。箱に入ってる感じ、繰り返される同じモチーフ、そうゆうところがぐっときた。つつましやかな感じがして、しかし着々と生き延びている感じ。アヴィシュ・ケブレザデの映像もよかったなー。わくわくした。大きな模造紙に書かれた背景のうえに薄いスクリーンを重ねそこに動く映像を投影していて、いくつか現れるモチーフの連なりが永遠な感じがする。全体を通して、おもしろいなと思うのと、うーんどうなんだろう…というのとが混在していた。でもなかなか楽しかった。



うわすばらしいな。charles & ray eamesによるポラロイドカメラSX70のプロモーション映像。写真を実に楽しそうに撮っていて、カメラを手にすることもまた楽しそうで、非常に魅力的なだけでなく、わくわくさせられるこの感じ。やっぱりこの方たちの映像はとても軽快で整理整頓したようなすがすがしさと同時に人間味をとても感じれてほっくりする。