qyu2008-10-21

19日の日曜日は国立新美術館にて開催されたクリスチャン・ボルタンスキーの「人生と芸術を語る」と題された講演会へ行った。美術館のHPで参加するには事前にはがきで申し込まねばならないと知り、申し込もうと思っていたにも関わらず期日を過ぎてしまい諦めていたら人数に余裕がまだあるとのことなのでなんとかぎりぎりで参加証の返信がきた。しかし美術館の講演会でこうゆう事前申し込みは初めて見た。美術館側は参加者に返信はがきを出すわけだから、それだけお金もかかるはず。ふつう、美術館の講演会等々というと企画展示にあわせて行われるものという捉え方だけれど、今回のは日仏交流150周年記念のものらしい。前日には東大でも講演会をしたらしい。

14時前に到着してはじまるまでちらほら客層を見ていると、年配の方が多いように見えた。とか30代くらいと思わしき人たちは男女ともにすっきりきれいな人がよく目にとまった。若い人の方は少ないものと見えた。まあ若いというのをどこで線引きするかも曖昧だけど。ボルタンスキー氏が60歳をすぎており、70年ころから活躍しているのを考えるとそれだけ昔から作品に触れてきている人が多いという事かなと思う。ビル・ヴィオラのときも同じような印象を受けたし、アーティストトークなどに行ったときは必ず客層を見まわすものと思う。こないだ行ったやなぎみわの時は女の人が多く、特に若い人がいた。まあこれは日時が平日だったせいもあるだろう。

だいぶしっかりとした体格を持ったボルタンスキー氏が登場。持つ雰囲気が一種ではないようなかんじ。それは作品からもっているイメージにすぎないのかもしれないけれど、とてもゆったりと落ち着いていて優しいであるのと同時に奥に険しい感じも受ける。人生と芸術、という大きなテーマに対して一区切りずつ丁寧に確実に話されていく。もちろん通訳が入るのだが、それが結構なひとまとまりを喋って通訳されるため、私にはまったく意味の分からない言語、フランス語をぺらぺらぺらぺらと話されているのを聴いていると、それは完全に音であって、今の私には音としか思えないものであるが、実はちゃんと単語や文法があって意味の通った言語になっているというのだからすごいよなあと思う。ずっと主題としてきている消失の消滅ということが話の軸としてあり、22歳の時に自分の子供時代が終わったのだと悟ってから行ってきた様々な作品制作やプロジェクトの話、またこれから世界各地で行う予定であるプロジェクトの話、アーティストであるということについてなど、まさにテーマ通り人生と芸術とが絡まって話された。

面白かった話の一つとして、ギャンブラーに資金を出してもらっているという事。ギャンブラーにひとつの作品を売る契約をしており、そのかわりにプロジェクトにかかる費用を出してもらっているのだが、計算するとそれはあと8年ほどボルタンスキー氏が生きると作品の値に値することになり、つまり8年以上生きればボルタンスキー氏が得をして、それよりも早く死ねばギャンブラーが儲かることになるという。そのギャンブラーというのは負けたことがないらしく、つまり自分が得をすることになるとふんでいるらしい。そうゆう契約を交わしているというのだから、すごいなと思った。自らの生死をそんなふうに捉えられるのかと、それを微笑みながら喋れるのかと。そこには人間の記憶や人間存在の消滅ということをずっとテーマとし、時代を生きると同時にアーティストとして活動を続けてきている氏にとってはとてもすんなりとしたことなのかもしれない。問題提起をするための最良手段をいつも選んでやってきているという言葉、言葉にできないほどなんともいえない大きいものを感じる。

また質疑応答で若者たちにひとことと言われて、パリの大学で教鞭をとっているそうだが、主題を発見させることが学生を育てることとか、何もするべきことはないただ待って来るべきものを待つことという発言を聞いて、たしかにそうなんだよなぁと思う。質疑応答も様々な質問が出ており、知識のよさそうな人が多かった(というのも単純すぎるけど)。



帰りは新宿でタワレコにより、オーネット・コールマンのCDを購入。とりあえずロンリー・ウーマンが入ってるものをと選ぶ。ぐぐ、やっぱりかっこいいな!

ジャズ来るべきもの(+2)

ジャズ来るべきもの(+2)