私は頬に肉がよく付いている。すごくつかめてひっぱれるほどのものがある。頬がぷっくり出るのがすごくきらい。その流れの感じで顎というかそこらへんもまあるい。体が少し太っていても顎がシャープな人はよくいる。それは骨格全体の問題かもしれない。どうであれ、羨ましく思う。私のこの頬ぷっくらを基本とする顔つきは、父方の祖母似と言えるらしい。それは、母が昔から言った。
私やパパには似ず、あっちのおばあちゃんに似てるわね。むかしから、よく何度も聞かされる話、発言の一つとして、それは言われることだった。小学生高学年くらいからだろうか、その言葉に戸惑いのようなものを覚えるようになったのは。母は姑をよく思っていなかった。父方の家自体をよく思っていない。できれば関わりあいたくなく、なるべくは避けている。母は何事にもよく皮肉めいた事を言う人だ。それは小さい頃から聞いていればわかることだった。私自身、ものすごく人見知りだったのもあって、親族のどの人のことも苦手だったし、隣に住んでいるにもかかわらず全然面倒を見られることもなかった父方の祖父母にはなんの思いもなく、むしろ母の言動の影響を受けてかきっとあまりよくない人たちくらいに思っていた。今でもどの親族も苦手で一緒にいると窮屈さを感じるしはやく逃れたいと思うし、しかし年を経てきて付き合いというものがあると思うとそれに屈折しやりこなしたりするが、小さい頃からのまったくよくも知らないのに最初からなれなれしいような関係をしなくちゃいけないような人たちというのは、なんの実感もなしにがんじがらめを強いられている気がして意味が分からない。
母が嫌っており、私もなんだかよくわからない人と思っている祖母に似ていると言われた私は、え?それってどういうこと?と思った。えーとえーと、とすぐに理解が進まない感じがあった。進ませたくなかった。私を産んだのはきっと目の前にいる母で、それは母と父からできていて、しかし私は父方の祖母につくりが似てて、母はその祖母を嫌っていて、そしてわが子はそれに似ているという、しかも顔が。え、それって私の顔がきらいっていうか、憎いっていうか、きもちわるいんじゃないのかな、と考えた。嫁にとって嫌いな姑の顔が娘に表れている、というのは考えただけでなんかおぞましい。当人にならないとそれは詳しくはわからないが、大小の差があれどそこにはどすい気持ちが生まれているように思う。子どもながらにそうゆうことを思った。私は母に嫌われる顔をしている。私の顔にいやなものを見ている。私の事が嫌いでわざわざ私の顔は祖母に似ていると言っているんだろうかとも考えた。
実際はどれだろうか。私が推測するに、やはり自分の娘ながらも自分には似ず父の母に似たということが誰にも向けようのない憎悪的な気持として生まれ、それがとりあえずあまり被害のなさそうな私に、とりあえず向けられていたんじゃないかと思う。なんとなくいつも、発言をする時の母親は皮肉だと言わんばかりの表情をしているように思えたから。それはわざとではなく、無意識のことのように思う。まあなので本当は分からない。けれど、子どもの頃に母が嫌いな顔を自分が持っているということに気づいたときの衝撃は忘れられないなぁ。そしてそっからしばらくは母がどういうことでその発言をしているものかと思う月日が流れ、成人式の際に祖母と一緒に撮った写真を見て親族ではほかに見当たらない顔のぷっくりがそっくりだったのを見て、あーこりゃー似てるわーと自分でも母親の発言が的を得ていたのを理解したとき、ようやく子どもの頃から思ってたものを少し客観的に捉えるようになった気がする。
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