液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


これは長野だったか岩手だったか…山奥のダムとかだったような…5月頃でもものすごく寒くて孤高なうるわしさが潜んでいた。携帯写真より。



これもどっちだったかな。なかなか危うい場所だった。水がきらきらしている。なんかたしか帰省時にリュックを電車内に忘れ一眼レフもそのなかにはいっていたため折角なのにカメラがないというときだったような。



自分は何か欠陥しているってことなのかもしれない、と考えるに至るになった。そう閃いた時、すくなからず納得しやすい感じがした。自分の発見による納得というのは大抵それの真偽は曖昧にある。常にもう一つの否定的な意見を持たずにはいられない。その思考の原因は何から起こっているか、とかんがえてみると、その納得した思いなんてのは自分をやすらかにするための、甘やかしの、ずるい、地獄に行くことを願いながらも天国の入り口を見ているというような、そんな濁っためのたまの色からきているかもしれないとも考えられてしまう。もしそっちが本当ならばと考えるだけでこころの中が一気に灰色の煙にふかされてしまう。まあつまりきもちわるい。もちろん、たとえどんな否定が考えられようとも自分が信じざるをえないような、信じるという力が働く限りはどんな否定もかなわないものと思う。信じるなら信じるでそれでいいと思う。

大学生くらいまでならやれる。眠ることも食べることも買い物をすることも公共の乗り物に乗ることも環境が恵まれてあれば当たり前のようにできて、朝に太陽で起きたりあとはだいたい自分の欲とかで生きていく。学生として身分が保障されて生活を守られて外からも自分自身でさえも認められるほどのことなら、できるものかもしれない。けれど、それ以上、それより先、この生活の社会の中で生きていこうとしたとき、欠陥があらわになる。ねじが一本外れてる、というよなことではない。そんな比喩はわたしの頭の中にはまったく入ってこないもの。欠陥、欠落した部分はもはやあとかたもなく、はたして以前はそこは在ったのかどうかさえ見えない。今はただかけおちた断面が岩肌のようにいびつで不安定をもって、残されたものとなくなったものとの境目がうかぶだけ。落としたのはもう5年も前で、ずっとその頃の記憶にこだわりつづけているのが表すように、あいまいで決定的なそのころに支配されている私は、ずうっと同じものをひきずっているよう。私にはそれが悪いこと、あまりよくないことなのかどうなんて判断できない。捨てなくちゃとも考えてない。すこしは改善を目指すことや、抑えることを掲げても、それらが自分というものなのだと考える節がある。これは救いでも何でもない。

でも、他者からしたらろくでもないことなのだ。少なくとも表面的なことは見て知っている同じ家の人間でも。あきれた笑いのような表情と吐息を出されるような、頑固と片づけられるような、おのれの愚かさということになるような話なのだ。ああそうなんだよなって、わかる。意固地になっているのは私だけで、それは固定観念にがんじがらめになっていて、どんどんどんどん他者と私はずれていく。傾斜のある鋭く重厚な、元には戻せそうもない断面をつくってるのはいつも自分ひとりだ。でも、私にとってはそれが正当で、他の方法が分からなくて、固定観念に縛られることでしか自分を肯定できないのかもしれない。とかなんとか考えているとだいぶひどい人のように自分が思えてくるんだが。

これは一体なんなんだろうとずっとわからなかった。2年前に医者にあなたはなにか強いものに立ち向かう力をどこかで落としてしまったのかもしれないという言葉ははじめて出会うものとしての衝撃感があったけれど、それは比喩的なものとして受け入れていた。抽象的な物言いなのだと。でもそれは実際の話をしていたのかも、とようやく最近思った。それは現象としてありえない話ではない。でも本当の本当はもちろんわからない。自分で解釈するにはそうゆうことがありうるかもしれない程度までしかいけないし、まあそれでいい。

欠陥ということに対してどう立ち向かうかということになる。今まではずっといつも同じで壁に全身で助走をめいっぱいつけて突き破っていこうとする方法を取っていたし、そうすることが輝かしい認知に至るんだと信じ込んでいた。けれど私はそれで壁を破れたことがあっただろうか。あったかもしれない。でも成功率は一割もないほどで、失敗がほとんどで、失敗すればするほど再挑戦しつづけなければと思った。どうしてさように挑戦しなくちゃと駆り立てられたかも、わかっている。マリオがスターをゲットして無敵一直線に走りこむように、私も同じようにすべてをはねのけられるのだと証明することに、躍起になりつづけているだなぁ。生きることには常々母親が絡んでいる。

いくつもの面接を受けに行っても、なぜかその最中からおそれが生じてくる。自分でも制御しようとするも、おそれの芯の強さに軍配を上げている私がいる。断わりを繰り返す中で、自分がどんどんすっからかんになる感をいつも覚える。じぶんはなにをしたんだろうと思いながら答えが出ないまま、また繰り返される。止めることができる、そう強く信念をもっていたはずが、まるでそんなことしらないよっ、なんてことになる。軽薄。そんな風にして月日はながれつづける。