液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


先週、新たに赤坂の病院へ予約を取っていくも、やっぱりだから医者はいやだととても落ち込んで帰宅することになった。自分の中が呆然さとそれに寄り添うようなかなしみでいっぱいになってしまった。ただでさえ新しい病院に行くということへの様々な要素の不安があってむずがゆいものがあったけど、診察後余計に頭が全方位からゆがんでいくようになって疲れた。自分が甘かったのかもしれない。自分でも何を求めて病院に行くのか考えても答えがないまま行った。

何枚もの問診を終わらせるのには40分以上かかった。必要性はわかるけど、どひゃーと予想しない焦り。何枚あるのよこれは…同じような質問が違う用紙でつづく。以前にもやったことのある50問くらい答えて結果で5本の棒グラフみたいのになるエゴグラムもやった。これの詳しい見方はわからないのだが、棒の伸びた数値や全体の様子は昔やったときも同じ感じだったような。ただ病院独自の問診用紙には面白い質問があり、虫や雷など極端に怖がる時期はありましたか?とか、保育園などで親と別れる際よく泣きましたか?とか(もっと幅広い言い方のものだった)、へーそんなんが関係したりすることもあるのかな?と思える質問事項がいくつかあった。親との関係性についての項目もあったような。とりあえず私は雷、虫、保育園などによくよくあてはまっていたから、わざわざそんなことを聞かれるとは面白いものだと思った。

しかしいやなことはやはりもはや忘却をする。おそらく圧倒的勢いでその日の出来事はフィルムに焼き付けた感はあるけど、実際にそれは正確な輪郭を持ってして目にすることはできない。これはしないようにしてる、動いている働きを自ら感じる。決して「よし思い出さないようにしよう」などと思ってはいない。ただ、あれあの日はどんなことがあったっけと思うと、頭がまったく動こうとしていないのを感じ、さらにそれを頑張って動かそうとする意志も働かない、つまりまあほっぽりたいのだろう。ここに不思議を感じる。私はずっと過去の出来事を思い返して生きている。過去にとらわれている。それに苦しんでばかりいる。しかしこうやって苦しい思い出を封印している現在がある。あれ?と思うが、これもまたある程度の時間を持つとようやく紙にフィルムがやきついていき、見えるようになっていくんだろか。しかしそこには時間のズレが発生しているために真実味と同時に色々な歪みや解釈が付け加えられるのでは。

とりあえず記しておくこととして、医者は「それはあなたがそう思ってるだけでしょう?」と言ったこと、それに私はたいへん驚いた。なんて当たり前のことを言うんだと思った。自分が止まった、時は動いている。あたりまえじゃん、そんなんぜんぶぜんぶ私の勝手な作りこんだ他者たちの意思で、きっと本当の実際には大きな食い違いがあり、私が勝手に自分で作り上げた世界で路頭に迷っているだけで、私の思考は現実とは食い違うばかりで時間やその他もろもろの無駄と言える。そんなことはとうに自覚している。してるから余計にややこしくて苛立たしい。それなのに、わかっているはずなのに、それら正当性を全て排除することのできる、実際をすべて無下にできるほどの自分の様々な方面からくる思い込み、決め付け、そう信じてしまうことの強大な力がありそれがすべてになり、それがあるとこの世界で生きていくにはどうにも困難でいろいろと錯乱しているので、それをどうしたらいいものかみたいなことで病院に行く。しかしそこで医者にまっとうなことを言われてしまうと、おおよそ全否定みたいな感を受ける。それ言ったらだめだろ、と思う。

私が人間として、患者として甘いのかもしれないと思う。男の医者は厳しく言う人が多く、それは正しく、しかし私はそれに打ちのめされ、逆に医者に対して牙をむける。そうゆう性質がよくないとは思うが、そうゆうふうに自分はプログラムされていると感じる。自分の弱さをつきさされることに一番臆している。信用しないことが当たり前になっている。そうゆう態度が悪いと思いながらも、それを制する自分はいない。

人間は分かりあえないのだということに、私はとても悲嘆する。こんなに悲しいことは他に一切ないと思う。しかしこの考えはどこか設計ミスがあるようにも薄々思う。しかし設計ミスを告発できるほどのものは今のところいない。だれもいない。私はただ一人でそれをつくりあげる。

思考はただ勝手に生まれたんではない。そう思考する環境、状況、出来事があったからと思う。それらを覆すことは誰にも出来ない。そこを生きてきた以上、それをなかったことにはできない。私にも、誰にも。

18歳になる頃、ああ今までの自分のしてきたことはきっと意味のあることだったんだなと、過去の自分を肯定的に捉えることができた。そうやって思える日が到来したことは喜ばしいことと思った。成長のようなものだと。しかしそれはすぐに潰せるものだった。そのたびにあの時自分が思えたことはなんだったんだろうと思う。今となってはまぼろしのよう。ここ最近でとくに一段と自分が微塵となってどこかに消えていった感がある。それは解放の意味合いも含まれているような、よくもわるくもあるようで、もはやよいもわるいもわからない。そうゆうことを考える力が減ったような。

すべてに幻滅すると、家とも喋らなくなるが、10日くらいでそれは回復していく。私はそうゆう事を繰り返す傾向がある。決して躁になることはない。しかしそれによって私はこの家を乱している。何度となく、よって家自体が家の雰囲気が私の内部と同じような繰返しをしてしまう。ああ気持ちが乱れてきているとわかると、気をつけようと思う。でも、大抵それが我慢しきれなくなるのは姉による些細な一言。家、母と父、母と娘、姉と妹、それぞれの関係性が複雑に絡み合っているようにも思う。まあそれがつまり家なのだろうが。しかし特に年の近い姉と妹という関係が厄介と思う。なのでこの感じをことばにするのはなんだかむつかしい。