こないだ36枚撮りのフィルムを4本ビックカメラにだした。お金ないので一番安いコース。夏ころからあまり写真を撮らなくなった。4本といってもだから夏からのものだった。なんつうか夏の写真っていかにも夏なのですやはり。なつですーーーーーってプリントされた面がさんさんと発している。なんてわかりやすいやつなんだろう、夏ってやつは。ってくらい夏の写真はとくに発し方がつよいやつだと思うもの。だから今のこの夏のにおいを撮りたいと思うが、今になってくるとやっぱり冬がいちばんいいよななにするんにも、と思っている私。そうゆうことすべてをだって2月生まれだからな私、というよなことで片づけることができて、これはまあよかったことと思う。
しかしなんか凄くだめな写真が多くてへこむ。ああまただめなのばっか。なんでこんなへたくそなんだろ。なんで学習がないのか、反省がないのか、理解がないのか。写真はそんなにあまくないのです。それでへこんでてはいくないものだろう。ただ撮ればいいというんではない。あでもやっぱり安いのは色がへんちくりんなの多いな。このこともまたむつかしい。まあへたへた思いながらも少しはほっとするものもあったのでなんだかんだでこう載せている。

昨日の深夜はねつけず、NHKたらいまわしにしてたらNHK教育のある番組に大学のときの同級生が出ていた。学部は違ったけどひとつの企画で知り合った。4回生になって会ったときに向こうが私の名前を覚えてて少し驚いたけどでもそれ以後会うこともなかったし、でもなんとなく印象に残る人ではあった。なのであの番組に出てたのもなんとなく納得、適当に。ただ私はこの番組が以前から苦手で、若者に真正面から向かう感じが苦手なわけだけど結局気になって流れてるとやや見ているという。でも登場する若者にほんとにそれはちょっとおかしいだろうと思うときもあるから、でもそれもそれでこの番組の意味なのか、どうにも微妙な番組として気になってしまう。そんなわけでこんな形で人を目にすることもあるんだなあとわかる。

やはり昨晩も姉の些細な一言で自分のすべてが崩壊していくのを感じた。なぜだろう。私は姉を嫌っているし、姉もほぼ同様と思う。これが完全な他者でなく、姉妹だからぜんぜん繋がりが見えてこないのだろう。姉と私は母への視線ということで共有しているものが確実にあると思う。しかしそこには、だからこその姉と妹のライバル関係も生まれている。それがまたそれぞれある程度に成長してきたから話が単純でなくなった。ということか。母は厳しいというよりも怖ろしい人という感じが強く、小さな頃はとにかく体での戦いだった。悪いことをすると、ベランダから逆さにつるされたり、ぶたれるとかはあたりまえだが、とにかく外へ出されることになると、私などそれはよくあって、いやだいやだと柱にしがみついてもどんだけ抵抗しても引きずりはがされてドアの外へ放り出される。しばらくの時間。小さな私はよく母にヒステリックだと言われたが、今になって思うに母とてそれは私に言ってるヒステリックと同じような内容なんではと思う。だって自分がされたことを他人話として聞いたらちょっとひく、こわい。でも当時の私はそれは当たり前のようにしか思っていないのだから。まあ私が相当言う事を聞かない子どもだったとしても、母のようなやり方はなかなか悪い方法だと密かには思っている。でも実際というのは私にはまだわからないものでもある。
最近はとりあえず父と姉への軽蔑感をもつことにしている。前まではそれを抑止しようとしての糸がこんがらがることで悪い深みへはまっていった。そんで結局今はなぜかそれを抑止するのも疲れたのかストレートに抱いている。きれが完全な楽ではないともおもうけど、なんだかめんどうなのでもう軽蔑してるなら軽蔑してようと思っている。そう感じているのだからしょうがない。すべてほおっているんではないだろうか。




VINCENTI

VINCENTI

VINCENT ATMICUSの出してるCD3枚のうち、これだけは未購入。でもそもそもはこの1枚目のアルバムをCD屋さんで視聴したのがきっかけだった。こないだこのCDを出した当時の宣伝用みたいなポストカードがでてきて、これはまさにCD屋においてあったのをもらったわけだが、なつかしーとびっくりした。もうかれこれ6年前くらいですよ。この頃から山本さんや芳垣さんに興味を抱いていくことになる。でもまだ全然顔とかも知らない。そしてこのころにいた菊地さんに関してはまったく知らない人であり、結局きちんと菊地さんを、菊地さんの音楽を知っていくことになるのは1年後くらいになる。菊地さんとは菊地成孔
なんでこれだけ買わずにいるかとすれば、NHK-FMライブビート2003年3月の放送をMDに録音したものがあり、まあこれですませているという節約みたいな。ここで4曲演奏してるから、まあだいたいカバーできる。菊地さんがいるVINCENT ATMICUSのライブ音源ということで、菊地さんはその少し後に脱退したため、そしてメンバー8人となった今ではもちろん聞けないし私も実際菊地さんがいる間にライブに行くことはなかったから、私としてはとても貴重な音源。でまあ時々わすれたころに聴く。
そんで最近改めて聴いて、あー菊地さんこんなサックス吹くんだよなぁそういえばと思いながら、とてもかっこいい演奏に何度繰り返し聴いても体が音楽につられてしまう。菊地さんのサックスがわりと曲をリードしていくように進んでく生姜煙草を吸いながら(という曲名)とかすごくかっこいいな。あとねむれぬ夜のためにもライブで結構聴いてるかなと思うけど、やはりひとつの楽器のあるないで、もとは同じでも体感は違う。松本さんのトロンボーンとのユニゾンも聴いてて楽しい。改めて菊地さん脱退後の2枚目3枚目を最近聴いてはないし自分のライブの記憶も正確さはないが、菊地さんのサックスがなくなったぶんは、ヴァイオリンの2人の存在が強くなったのかな。菊地さんがいるときからヴァイオリンのユニゾンはもちろんあるけど、それ以後の曲ではユニゾンもだし、メロディの部分でも役割が大きいかもと思う。2枚目からは完全に8人での曲作り、構成になってるんだろうけれど、やはり、菊地さんのサックスがあるとないとでは曲に対してもつイメージが異なるわけで、そうゆうことが単純に面白いと思った。ひとつ楽器がなくなってそしたらぜんっぜんちがう、とかいうことはなくて、曲の抑揚はかわらないし曲が持つ風景もかわらなく、どの曲も強い物語のよう。ただにおいというか、煙の流れ、流れ方が違うかんじみたいな。つまりどっちもすごくいいんだよなー。単純に昔の方がやはり音は若々しいけど、それでもすごくリズムにメロディに音のあふれる勢いは圧倒的と思う。
そして、大建設は初めて見た一度くらいしかライブで聴いたことがないかもしれないと思った。初めて見た時というのもそれが大建設だったかどうか…。右チームと左チームにわかれてかけあいのように即興のように演奏をするのがあったことを覚えている。でもそれはその後も見たような。私は全体に興奮して細かいことはぜんぜん覚えられていないから、この手の人たちのライブ感想を書いている人には細かな音の仕組みをよく覚え理解し書き連ねている人がよくいるのですごいなと思う。
VINCENT ATMICUSを初めて見たのは大阪のBREDGEで、2枚目のアルバムを出した時のツアーだったけど、結局その後に大阪にVINCENT ATMICUSがくることはなく、ってたぶん他にも行ってないと思うが、あのときに多忙なメンバーが集まるVINCENT ATMICUSをあの時あそこで見れたのは運がよかったなーと思う。そうとう衝撃的なライブだった。
VINCENT ATMICUSってまさに私が好きなものなのだ。VINCENT ATMICUSが好き、ということてすべて説明がつくような。音楽について。国王みたいなかんじと思う。