液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

無気力とはこうゆうことなのかもしれない、と気づいても、それが本当にそうかどうかなんていう判断はくだせない。無気力に限らず、概念は知っているようであってもそれが実際に自分の身にふりかかったとき、それがそのものかどうかなんて計るものさしを自分は持っていないことに気づく。そのものさしは、他と対比したりして時間を積んでなんとなく自分の中に築きあげていくようなもんじゃないかと思う。むきりょくって、なんだろう、とぼおっと思う。いくら言葉で説明されようと、自分の状態を自分でわかりきれないとき、その言葉の世界と自分の内部のおりなす世界とがどこでどう交りあいすれ違うのか、どんなイメージさえも浮かんでこない。ただ無気力という言葉が浮かんでおり、しかしただそれがくっきり浮き上がっただけで、私自身はまるでぼんやり古びたにおいのする場所で机に乗った小さな地球儀をひじをついて頬を手のひらで押し上げて眺めているような、古典的な世界のありさまのようでしかない。
まるで自分のこころがわからない。ひとつもわからない。今までに体験したことのない自分の状態が続く、そのこと自体が不安でもある。今までにこんなに自分のことがわからなかったことがあるだろうか。わからない。なんだかすべてがシンプルになってきているように感じる。その実態の詳しい中身についはまったくわからないのだが、ただそんなふうに感じられている。すごくシンプルなものが自分の中には残されていて、それだけなのに、それだけがまったくわからない。そのことについて私は何も触れられない。空虚感のようなものがある。自分の身体の外側を感じるが、その中身が空であることを感じる。内と外がかみあっていないような、すかすかした感じ。すべてシンプル化されて、問題は自分のこころだけ、というようなことかもしれないと思う。今までにそれがなかったのかもしれない。そんな状況が。ひたすらに自分のこころを読み解くとか、整理するとか、なんかそうゆうことだけだと思うのに、それにまず向かう事もできに。自分のこころを知ろうとすることが出来ないのだ。
ただ毎日なにもできずにすぎていく。何かをしようとする気持ちのないまますぎていく。ただなんだかよくわからない苛立ちや不安や怒りや焦りや悲しみやらやらの波長が下の方でゆらゆらゆらゆらと延々と波立っている事をなんとなく感じ、それらがこわいままに自分をどう対応したらいいものか解決できないままにしてしまう。最後まで考えようとする気力がないように思う。いろんな事に対して、どんどんどんどん思いや気持ちや気力や意思がなくなってきているように思える。ほんの少しかろうじて残るものだけが頼りに思う。しかしそれにはもどかしさがつきまとう。億劫になると、それらは効力を失う。どんどん自分がいなくなる。私は私を知らず、私を知っている人もいないように思う。どんなに生活していようとも、自分のこころがあるようには思えないのです。音楽を聴くことも映画を見ることもできるのに、それでも自分のこころがないように感じてしまうということ。実際の筋としては矛盾だが、私はそう感じている。そこになにがあっただろうか。