液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


ときどきバスや電車に乗っているとき、あ、今の感じ映画を撮るときとかに組み込んだらいいかも、とか思う事がある。人間のちょっとした動きとか目線のやりかたとか、偶然観察するとそそられるものがある。もちろん映画を撮りたいんでもなんの構想があるんでもなく、ただ、映画を見ててこのシーンやカットをいいなと思った時の感じがすきだから、ついなんの脈略なく思ったりする。バスはとくにおもしろいかな、と思う。小さい空間で。



アトピーがあったりで、昔から皮膚科にはよく行くことがある。小学生の頃から眼鏡をかけるようになり、コンタクトにしたり、また眼鏡にしたりで、やはり眼科にも行くことがある。それなりにいくつかの病院の類に行っていると自然と、ここはこうなのか、あそこはああだな、とかって比較をしていったりして経験のようなものが増える。風邪などでは病院に行った記憶がないけれど、まあときに他の科へも行ったけれど定期的にという点では主にこの二種類の診療だった。

そこに近年、心療内科が加わった。今日までで4つの病院を見た。いやはややはり色々なやり方がそれぞれにあるのだなと病院経験値が高まる。病院というひとつの場所といえど、心療内科だと大抵は人の密度が高いかんじがあるのもあってか、世間の縮図みたいな感じを覚えたりする。性別や年代や服装や見えるだけでもばらばらな、実際はもっとばらばらで、でもそれってつまりふつうでもあるような、ううんなんかつまり、ふだんの街中では感じないもの、ああ社会というか世界はこうゆうふうになってるんだなあ、まわってるんだなあということを妙に冷静にまっすぐに現実的にすんなり感じるということ。なんとも病院の空間はまかふしぎにおもしろいなあと思う。でも心療内科意外だとどうだろう、これは私の心理作用なだけなのかなー。

ふむ、ところで今日はじめていったとこは今まででは一番よかったように思う。それは病院だけを見て言える事でなくて、自分のありようもあわせて、相性みたいなとこもあわせて判断はするのだけど。でもまだ一度行っただけで、これからは自分の向き合い方がまた問題になるのだろう。今まではたぶんずっと病院というものへの嫌悪感が少なからずいつもあって、それだから医師という人によけい疑りがあった。今はもう自分だけではどうにもできないんだってことを認めるようになった。さんざん抗ってむちゃくちゃして、ああ自分はむりょくなんだなぁと思うになった。薬も受け入れなきゃいけない。私は薬ってやつがずーっと嫌いで、薬なんかに作用され、操られるのが受け入れ難かった。自分の気持ちは自分でコントロールできると、ぜんぜんできないくせして、そう信じてやめなかった。やめられなかった。一面だけでの判断でなく、近さも遠さも360度移動できることが必要なんだろう。

なんとなくの感じで、あれれなんかへんだなという刺激がやってくる。大抵感情が爆発して疲れ果てた翌日にはやってくる。なんか腕らへんの皮膚を小人みたいなのにちくちく刺されてるような感じがする。でもなんでそれは刺されてるのかわからない。なにかの信号の送り手として刺されてる気はするんだけどな、と。

それの意味にがばっと気づいた時(気づきが真実であるかどうかの判断は不明で、私が単純に作り出しているとも言う)、しょっくすぎて、混乱がはじまる。混乱が始まると自分のコントロールが失われるんだと思う。身体の動かし方も、思考の速度や密度も混乱に支配されていく。思考の渦のスピードが予期しない様態となっている。
わたしはいなくなってしまったのだとわかった。わたしはもういない。わたしまでわたしを置いて行った。わたしがしっかりしていないから、わたしはわたしを捨てた。前々から尋ねる私とそれに応える私という境界線を感じていたとこがある。
不安というより恐れなのだと思う。私の隅から隅までに行きわたり溌剌と生きているのは。現状を変えられることがあるだろうか。先はなにも見えない。一日という時間に対しての捉え方がよくわからない。意味を際限なく求めているわけではなくて、ただぽかんと、そうゆう事象だけが私の目の前に置かれている。これはいったい何なんだろうと思うと、何も浮かばない。そしてそれはぽつんと置かれたまま。私もそれも、そこからまるで呼吸をしならもが動かない。ことばにならない、抽象とも言えないイメージともいえない、ただ在る。いつでも沸騰する準備は万端とばかりにいつでも弱火でことことと煮られているらしい。
診察を終えて夜になるとなぜか頭を抱える。ときどき本屋に行って立ち読みをすると書籍たちがぜんぶ無価値に見えてくるからふしぎだ。反動とかかな。書籍に限らずともいう。世界が真っ白の平坦さをあらわにする。



なんだかくらぐらとした日記が続いてしまう。明日はピットインに行く予定なため(もちろん芳垣さん)感じることあればそれを書きたいと思う。まあでもくらぐらはしょうがないのでしょうがないけれど。毎日ゆぶねに浸かる故かねむりが早く訪れる。夜のねむりだと昔から夢は全然覚えていない。最近は昼間寝ると浅いせいかどっぷり見れる。んんん、夢ということに意識をするようにし初めて、そしら少しずつ夢を覚えていられるようになって、うわゆめってなんてふしぎ、と知った。