液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


すこし嬉しくなってしまう。本当は火曜日に病院に行って薬をもらわねばならなかったのに、小さなイライラムカムカの波が漂い行かなきゃ行かなきゃという気持ちと同時に行きたくない行きたくないの気持ちが勝ってしまい、つまり薬がなくなってしまい、つまり毎晩飲んでた薬4種類くらいがなくなると、ほうれみたまえまたまた夜の睡眠においてうなされるのである。今回はただうなされるんでない。変な夢、色濃い濃厚な二本立ての夢つきである。

一本目のあとで微かな目覚めの意識で、ううへんなゆめみた、という意識をもったことを覚えている。二本目の後も同じようなことを思った。しかしそれはあまりにも微かで、微かという言葉がぴったりなほどかすかで、そこにはその意識以外存在しない。音も、色も、形もない、ただ私のこころの声が頭の中でそう声を出したそれだけがハッキリと澄んだようにして残されている。その前後にはまどろみが澱んでいる。

2本目のあとはまた眠りに入ってっていて、正式な目覚めをしたときは2本目から時間がたっていることを私自身は確認をできていた。そのような様々な意識のサンドイッチのなかでも、どうしてもやはり見ていた夢の内容というのは正式な目覚めを得たその瞬間から何層にもなっているうすいレースのカーテンが一幕ずつ次々と下ろされていくようにしてどんどん姿形遠ざかってゆく。私はそれを追いかけようかどうか迷うのだ。つぎつぎに閉ざされていくうすいカーテン、私の足はどんどんうしろへうしろへと退いていく。前への進み方を知らないような気がする。

目覚めてしばらくしてから、は、これはまた薬飲んでないせいか!?と気づいて、やや嬉しくなる。うれしくなるのはなぜか。やはり夢というものに対するおもいの現れにことはよる。ずっと小さい頃から夢を見れてない(覚えてない)という自意識。そこから夢を見たい(覚えていたい)という欲求の出現。見ること(覚えていること)への努力。その努力が徐々に結果を表し始めるという素敵な体験!ということにより、こう改めて、ようやくやっと、夢というものの面白さにとりかかることができるようになったという嬉しさ。夢とあわせて、眠りもそうなのだな。うんうんうんうん。ハタチになったあたりからだろうか、夢もそうだし、家族ということもそう。それらのテーマがいかに世間、社会、世界で扱われる問題、テーマなのかということが実感をもってわかるようになってきた。

先生に次出すはがきネタはこれでいこうかな。




先週の水曜日は有楽町のシネカノンに「クローンは故郷をめざす」を見に行ったのだがその感想は又あす以降。あといくつか話題があったはず…。カウンセリングについてとか、書籍についてとかかな。明日は銀座方面へ映画を見に行く予定。今日は短く終わりです。

そしてついでにさいきんtwitterはじめました。http://twitter.com/qyuu あれだ、むかしやぷーすしてたみたいなかんじ。それよりさらに便利でひとりよがりでないかんじ。やりだしたらとても楽しい。そしてtumblrもときどきやってます。http://qyu.tumblr.com/