液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


いくら過去について、過去をめぐろうと思ってもそれは確実に現在によって中断されていく。確実に常に現在はやってくる。そしてその現在は過去を持ってしての現在としての形をなしているから、あれ、あれれと頭の中がもつれていく。たぶんそこは冷静であればそんなにこんがらがることでもない気がする。でもそこで私はもつれる方に俄然傾斜していく。そこで思考力がストップする。それまで動いていた水車が動きを突然とめる。れれれれれれと、脳みそが乳白色に浸食されていく感じがする。液体の流れがそれを満たす。現在は常にやってくる。やってくるものはいつも突然で、それに対して私はいつも驚く。世界が本当に一変する。ナイフで水道から流れ出る水を切る感じ。しかしそれに対応する私は突然現れたものとは言えない。それはいつも過去から続いているもので、過去と変わらないもので、そのにおいが染みついている。そう、急にぷんとしたにおいがやってくる感じ。鼻に入ってくるにおいのようなものがある。鼻から入ったそのにおいは一気に全身へかけめぐって全ての記憶を呼び起こすのかもしれない。自分の身体の色が変わる感じがする。

なんでか、自分が叱られたり責められたりしているわけでもないのに、あ、やっぱり自分は生きてちゃいけないのかもしれないという思いに包まれる。私は生きててもいいの?という問いをするときは最初から答えとして生きてちゃいけないんだって思いを持っているのだから、意味のない質問を自分でして答えて、それがどうしょうもなく哀しくなってつらくなる。生きてちゃいけないのに生きているという矛盾。その矛盾のことにどうしてこんなに苦しむんだろうか。涙がぽとぽと見事に玉粒をつくって落ちてくるんだろうか。そのことを信じたくないのだ。生きてちゃいけないなんて信じたくない。けれど、私はそれを絶対視している。

誰かが私の頭に叫んでいる気がするのだ。おまえは生きてちゃいけないにんげんなんだーって大きなメガホンで私の頭をすっぽり覆って、そしてその声は距離感を失って私のがらんとした頭の中にこだましている。その叫びに、ああそうかあって思うとなあんで世界は境界線を失って溶けていってゆげをあげたようになるんだろう。私はその声を否定できないのだ。うなずき、肯定し、泣きつづく。

どうしてまともな人間になれないんだろう。どうして普通になれないんだろう。ふつうのにんげん。普通なんてべつに在るものじゃないかもしれないんだろうとは思っているけど、それでも普通というものに対する羨望が私の中では絶やされない。それはつまり私が持たないもので、持てないもので、きっと永遠にもつことはできないんじゃないかと描く世界のこと。具体的な世界なんかじゃない。ただ対極に置いている世界。見えない世界、見ようとしない世界かもしれない。






ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

家にあったので読んでみた。前に第一部の少しだけを読んで(20ページくらいかもしれない)なんだかあまり面白くないような気がして読むのをやめていた。でもやっぱりそれは正しくないかもしれないと思って読んでみた。一部、二部、三部と連れこまれるようにして読んだ。そしたらすごく面白いというか、すごくて、圧倒されたというか完全に頭がぐるぐるとかき混ぜられた。この作品世界に。段差のある道をずっと車で走っている感じが残された。頭の中ではずっとガゴガゴと段差が刻まれている。おかげで読み終えて次に何を読めばいいのか分からなくなった。選択ができない。その余韻があんまりにも強く残っているから、文章の違う世界を選ぶことができなくなった。漱石の『文鳥』を手に取るもなんだかだめ。同じものを求めているんでも違うものを拒否してるんでもないような。頭にナイフがたくさん刺さっている感じ。黒ひげ危機一髪みたいなやつが。