液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


なんだか、漠然とよく分からない日々。頭がぼうっとしているんでもないような、でも、やっぱりぼうっとしているんじゃないだろうか、とか、むだな転がり。ひとつのじゃがいもがあっちへごろごろ、こっちへごろごろしている感じ。うぶぶぶぶぶ。自分は今何と向き合うべきなのか、ぱったりとなんの風景も見えない、風景が止んでいる感じ。雨が止んでいるように。こうゆうふうに、なにもないときが、ぽんと訪れたりする。怒りも悲しみもうすらいでいておだやかで、何かしらにとり付かれていることもなくて、なまぬるい風のように微量の不安感は漂ってはいるけれど、普通の声量が出て会話ができてテレビを見て簡単に笑うことができて家事も全部こなせてなにも怖がっていなさそうな、ふつうそうな、そんな状態。

こうゆう今の状態の自分はなんと表していいものか全然わからない。言葉の形を取らないものほど一番やっかいなのかもしれない。言葉にならないというより、言葉にすることを避けているのではないかと思うと、自分のいくじなしと思う。自分が今までに見てきてなかったものを、今になって見ようとすることは無意識に避けてしまう。ものごとには解釈のしようがある。自分のものの見方というのは、勝手にそれが自然で当たり前で当然と思いこんでいるから、そこに突然自分の位置よりも高いとこから見たかのような見方の話を持ち出されると、それは新鮮さをもって面白く新しい価値観として受け入れられることがある。けど、そうじゃないこともあるんだなーと今回で痛感する。そこに、もう既に以前から決まり切った話として確立されているものであったとしても、その話をのみこめたとしても、そのことを認められなくて、ただうわのそらでそれらの言葉に自分の内のこころのあたりはぐるぐると引きずりまわされてしまう。そうすると、自分はどうしたらいいのかさっぱりわからない。

まず自分の心の所在地はわからなくなってるし(常に動き回っていてまるで姿がみあたらないように見える)、既にある物事の話を受け入れようと思うし、でも実際なんか拒否感があるから入らない感じだし、じゃあそれを絶対に否定できるかというと全然それはなくて、既存のものの方は信頼はできるわけだし、でもやっぱりそれに両目をまっすぐに向けることはどうにもできない、すぐに黒眼をそらしてしてまう、ええとだからじゃあ自分は何がしたいのかという。誰かに何かを言いたい、この状態のことを伝えたい、その動作、言動をどうにかして自分から引き出したい、誰かに気づいてほしい、でもできない、そんなに激しい高ぶりをもってこの今は存在していないから、これはただ時がすらすらと流れているように思えるのと同じようにただすらすらと流れていて何の弊害も及ぼしたりしないものだから。

ぐがーがーがーーー、むずむずする。そうして結局また自責感にかられていくループにはまっていくんじゃないかとも思う。そうゆうような思い、言葉は薬物療法で消えるものじゃないじゃないか。自分の中で作り上げた言葉の規律、信念、決めつけ、それらは薬が体に入ってすっと消してくれるものなんかじゃない。薬は言葉を消すわけじゃない。私は言葉に突き動かされているのだ。自分の心の中で自分で作りあげた言葉の揺るぎない立場は、千歳飴よりきっとずいぶんと太くて堅い。

ああもうだめだめぜんぜんだめ。本当に思うかんじや言いたいことは一切出てきてない現われてない。うがーーーーだめだめだめだめだわわたし。







先週つくったベーグルとみるくの寝姿がそっくりな件。姿形、色合いもね。みるくの場合ロールケーキのようにも見える。必殺ロールケーキ。