液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

これからは、なるべく携帯からの入力ででも、それがまた短い内容であっても、毎日綴ることを目標にしたいとおもう。なんとなくそれがいい感じが気がする。
毎日のたわいもないこと、日々移り変わること、いくらかの期間を通して見渡せること、とかが必要な気がする。あばうとにではなく、丁寧にじゃなきゃだめなんだとおもう。そうでないといつまでたっても過去と現在というとほうもない隔たりと思えるものもののはざまから永遠に閉じ込められているように思える。わからない。私にはわからない。過去と現在の連なりがいつになってもこんがらがってしまってて、その空間は自然と広まっていくしそれと同時に否応なくゆがんで膨張していくばかりな中、私個人はただ空間の先の端にひっぱられるまま瞼を開け閉めしているだけにすぎない。それは悪いことのように思える。私が生きているのは悪いことのように思える。私のものの考えかたは悪いことのように思える。なにもかにもにつけて、私は私を悪いものと思える。
そうすると、まるでなにもないような風景を感じることになる。なにもないというぽっかり広まったものを感じることができている。そこには、ただなにもないだけ。無とは違うんだろう。なにもないということを説明するのはむずかしい。それとも、誰にでもイメージできる簡単な世界なのだろうか。私は知らなかった。なにもない世界はそれを目にして初めて知ったような気がした。それの存在を手に入れた。

昨日は診察に行ったら、薬を毎日飲んでいないということに対して若干叱られ口調でそれなら意味がないから薬全部やめましょうと先生に言われた。普段からバサバサとした人だからいまいち態度の起伏を掴みきれなくて、それが私の心をすさませにやってきた。私が毎日薬をちゃんと飲まないのには薬に支配されるのに嫌悪を覚えてしまうのと、自分は良くなってはいけないのではないのかという思いと、お金がかかることが本当に気持ち悪くてたまらなくて自分を押し殺したくなるからというよな面がある。でもそんなこと先生には言っていないからしようがない。でも言いたいことがあって口に出したいのに声にならない傾向を持つ私は、聞いてもらえずわかってもらえないことは大きな否定を感じてしまう。誰にも理解されないという烙印を改めてしっかりはっきりと押しつけられることを感じるというか、それはもはや後ろを振り向くことが許されないほど重みをもったものを背負うというような感じ。私はそれにまっしぐらに落ちていく。周りが色を失っていく。自分のさかのぼる血の
気だけが真実のように思われる。どんな正論も一般論も蹴り落とすことができる。私の世界に私の垂直な考えだけが生きることを許されてる。
家に帰って誰もいないのがわかると泣いた。私は私の考えをどこに運び届ければいいのかわからない。誰もどこも受け取ってくれないそれは、もはや私のとこに戻ってくることさえできなくなっている。まるで消えていく。私が消えていくようなものが見える。私には私の生き方がわからない。生きる道はないと私は言った。それはどういう意味になるんだろうと考えるが、口に出していったことは大抵はよく意味がわからない。でもどこかそれがなにかを一点として刺しているものともとれる。
結局のところ何に泣いたのだろう。私は極端に否定が苦手なんだと過去のさまざまな事象をまた改めてふり返る作業をした。否定のとらえ方の異常さがあるかもしれない。どれにせよやっぱり16.17歳のことを確認しなくちゃならないらしい。診察代は計算すると四種二週間分の薬だけで1600円かかっていたことがわかった。というか先生との会話が1200円かと思うと意味がわからなくなってきそうになったので考えないようにしたいけど現実だからやっぱり罪悪感は現れる。この罪悪感というのは結局そのお金を許している自分がいるという矛盾をはらんでいるから自分が余計疑わしくてどぶ色な汚さを感じて総合的な想像として洪水のような気持ち悪さに身体がみまわれる。薬を完全に断ち切るのは私には簡単じゃなく、立ちくらみや頭のふらつきとや体がうくような心地と対抗せねばならない。前に断とうとしたきも大変だったけどいつのまにかできていた。去年の二月のことなんてよく覚えてないんだろうか。