液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

うーん頭の方がふらぐらする。断薬6日目くらいだろうか。しばししばらくはこれがつづくのだ。頭の中身の方で南京玉すだれが起こっている感じ。これは他では体験しえない感覚症状。普通に歩く程度なら時々ぐらっと世界がゆがむ感じがするだけでまあ平気だけれど、自転車で坂道をこぐとか、椅子にのぼってクローゼットの上の棚を整理しようとするとかというのはなんか危険なにおいがする感じがほのかに漂う。洗脳されていく状況を具体的にするとしたらこういう感じかもっていうのがイメージされる。寝起きの体はくそ重いし、ずっと気持ち悪い感じが充満しててもやもやしていて、脳みそがままならない感じに満たされているんだけど、これはのりこえる他ない。一度成功しているのだから、きっとまた知らぬうちにこのぞわぞわ蝕まれる感もどこか違う場所へ移っていくだろうと思う、まっくろくろすけみたいに。

昨日のカウンセリングは事前に行くのがそんなに嫌にならなかった。ある程度、話の焦点が自分にあったからかもしれない。いつも行く前にノートに何を話すかの箇条書きをして確認する。というか日々何かしら思い出したり思い当たっり気づいたり考えたことはメモしておき、さらに大きな出来事が起こればその時の状況と自分の気持ちの辿り方なども書いておく。それは自分で後から期間としての空間を見通すためでもあるし、忘れたくないという感じもあるし、すべてを書けるわけじゃないけれど(その物事に向かえないときは書けない)なんだかんだでカウンセリングのために役立たせる意識がある。だいたい考えたことは忘れていく。感じたことだって忘れていく。忘れてしまうとちょっと意味がなくなっちゃったりするように思う。べつに意味がなくなっちゃっていいこともあるだろうけど、とりあえず今の自分の場合は違う。ひとつひとつを把握していくこと、それをひとまずは自分の中に点として置くこと、その点をさらに注意深く検討していくこと、時がたつこと、そうやっているとしばし自分でも思いもせぬ線が生じてくることがある。しかしそれも断片的な短い線にすぎない。前髪を少しだけ切りそろえたときに床に落ちたそっけない髪の毛みたいなもの。それでも、線というものが生じると、その線がさらに伸びるかもしれない可能性みたいなのを感じたりする。単純な因果関係はないかもしれないけれど、針穴くらいの光は通じ合うのかもしれないという感じを最近思ったりする。

家に帰ってからカウンセリングの最中、実際どんな話をしたかについてまたノートしようとするんだけど、もう結構わすれてる。話しているときはそのことに必死で、いつもなにかを言葉を見つけだすこと繋ぐことにあくせくしてと、そんなふうにあっぷあっぷしているからまあ大抵すぐにその場でぜんぶ飛んでってる気がする。期末テストのためだけに勉強して記憶して、テストが終わった直後にはもう忘れてるってのと似てる。なので大きな樽にはいった脳みそを上から見下ろすようにしてそれをゆっくりかき混ぜるようにして思い出していこうとする。ぼんやりその時の空気を思い出していく。それでも自分に統一感がないのでなかなかはかどらない。頭は考えようぜーって言ってんのに、目があきらかに遠いほうを見ちゃってる。なかなか司令塔にはなれない。っていうか、いないのか?

って、ここにその内容を書きだしていこうと思うのに全然そこに辿りつかないというのが生々しい。えーとえーとー、なんだったっけかな…。そう、二年前に母の些細な一言で衝動的に髪の毛を切ってしまったことに付随する様々な自分の思い、そこに繋がりを持ってやはり言いたいことを口に出来ない声に出せないという小さい頃からの自分の中の大きなわだかまり、それの象徴的な言葉として「ごめんなさい」とずっと唱えてきたこと、その言葉の役割とか、あとは「普通」ということ、あとはうまく書けないけれど前回からの同じもの。それは主に家族とのことで、その場ではその場でだけは話をすることが声に出すことができる内容のものであって、それをあとでその具体的内容をもう一度ふり出そうとすると(七味唐辛子とかをふり出すみたいに)鎖で首をしめあげられるような胸苦しさがこみあげてきてしまう。次のひと足のところはもう地割れしている。突然テレビが映らなくなる状態。おてあげだーと正面向いたまま逆走する。むずかしいなと思う。なにかむずかしいんだってかんじだけど、単純感覚として、むずかしいな、と思う。

お金の話がすごくこわくて、お金というものを考えるとどこまでもずぶずぶ沈めそうなんだけれど、このカウンセリングの場があることによることがとても大きいことは実感してて、だからこれを失ってはいけない簡単に切り離してはいけないと思ってる。だからカウンセリングのお金をもらうことには積極性を持つことがなんとかできる。罪悪感は他のものに比べたら少なくいる。だからそうやって思うと、自分を貶めていく言動とは矛盾していて生きたくないのか生きたいのか全然なってないなと思うのだけど、今現在生きてること、死なないことを選択しているのだから、それぞれバラバラであってもしょうがないと思う。と、結局許しちゃってることがいいのかどうか、なんだが。でもそれもきりがない。




こないだようやく中公文庫からスカイ・クロラシリーズの「スカイ・イクリプス」が出てるのを本屋で見つけたのですぐに購入。あーやっぱりスカイ・クロラすごくいいなと思った。また読み返したくなった。映画を見てる影響も強いとは思うけど、いつだってその世界がさーっと蘇ってきて染められる。森博嗣の本は他に全然読んだことがないのだけど沢山出してるからどうも手を出していない。まあいいか。それより今はまっとうに村上春樹をつづけて読む。図書館で借りてきて読む。漱石と似てるんだな、読んでて感じる心地が。今は漱石が一番好きと思う。漱石の作品にはすべてがそこにあるって気がする。

スカイ・イクリプス―Sky Eclipse (中公文庫)

スカイ・イクリプス―Sky Eclipse (中公文庫)

国境の南、太陽の西

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