ピーターラビットみたいな。


ざらしみたいな。


うるわしゅう。



GWを無事穏便にすごすことができた、達成感みたいなものを感じてしまう。連休というものに自分がまた変な調子に狂ってしまうと時が訪れるのではないかと4月からすくなからずびくびくしていた。でも、逆にのほほんと気楽でいられるところもあり、実際そっちがすらりと勝ったように大きな変動なく過ごした。去年に比べたら、一人でふんぬふんぬしてる気が抜け落ちたと思う。抜け落ち始めたのは半年くらい前からだと思うけど、それまではすごくいらいらむかむかどっかんとしていて、空回った怒りを巻き起こしてはそれは持ってはいけない感情だと無理やり抑え込むようにして、でもそんな器用にコントロールはできないというところで更なる空回りのマラソンをしていた感じがする。けれど次第にそれにも飽きて疲れたと思う。もうなんかそんなことどうでもよくなった。何かの為の代償とか、つぐないとか、もうぜんぶ素直に受け入れてしまえばそれでやり過ごせることだ。怒りをもつことにもエネルギーはいるし、それより他のことがらへの怒りの方が発生するようになったから、そしたらゆで卵をむくみたいにつるんとすべってなくなっていった。

毎日なにのためにも生きていない。未来に何がある訳でもなく、具体的に見たいものもなく、見ようとするなら何もない未来が見えるということがある。前も後ろもない。ただ、ああ今日も生きてるなあと思う。朝に目が覚めて、ああ今日もまだ生きちゃってるんだなあと思う。ただ思い確認する作業なだけ。もはや私にはなにも残っていないようにうかがえる。しにたいという強い欲望さえうすらいで遠のいていってしまった時、自分がひどく感じられなくなる。自分は何を感じ何を考えるべきか、正当な基本的なものをすっぽり失ってしまう。自分の意識は自分の体の外側にいて、乳白色に外と内がすけている自分の身体を見ることができている。

死への強い欲望があって、それは日に日に斜め上がりに増していって、そこに確信みたいなものができあがって巨大に膨張して、って過程をたどってるはずなのに、なぜかいつのまにかそれがしぼんでいたりする。何かの作用によってそれは気づくとうらびれてぽとっとそのへんに落ちている。落ち葉より断然むなしい臭気を放って。それが自分でもなんでそうなるのかよくわからない。いつのまにか自分の中の方で死の煙が弱まっていて、火元は小さくくすぶっているかどうか程度になっている。そこにはなんの覇気も感じられない。ささやかな痕跡感を感じるだけ。

私の頭の中では死について考え続けていたはずなのに、それは椿の花がぽとっと落ちてしまうみたいに突然にさりげなく姿を消してしまう。考え続ける思考が、まるで自分の内側だけをすぽっと抜き取ってべつのフレーバーに変えるみたいな。しかしそれでも考えてたことは疲労感のようにして残っているし、それはずっとずっと昔から繰り返されてきてることもその都度分かってる。全部覚えてる。はじまりは思い出せないけれど。けれど、いつもなんだかんだでその呪縛から離れることができているというのは、結局その思考はとても軽々しくて実際的じゃなくて嘘なんじゃないかって思える。自分の思いなんて、どーしようもなくくだらないもので、もうそのまま海に放り投げられればいいんじゃないってくらいのもので、つくりごとの学芸会なんじゃないかと思う。なんて虚しいんだろう。自分はその都度それにがんがんに振り回されて、洗脳されていくような思いでどんどん周りがゆがんでいって、他の何物をも受け入れなくなっていくというのに、それの司令塔の姿は本当はすごくすごく小さなものでしかない。

激しく強い思いと、くすみ落ちた思いとの、その距離がひどくある。たぶんそれはまあ直線なんだけど、いちいち遠い。何が嘘で何が本当か分からない。自分の思いの。あああもうだめ。だめだめだめ。ぜんぜんだめ。何があるのかぜんぜんない。だめだー。もうぜんぜんくそ。私の体の中にはくそがたっぷりたまっているのかもしれない。最悪な文章になった気分がする。だめだな。東のエデン見忘れたしな。なにをどうしたいのかぜんぜん。私は本当に私の思いに率直なのか?どうなんだ?ということかな。そうだ私はいつも答えというか、言いたいことはさらりとあるくせしてそれを突き詰めるのが嫌だからうだうだすることで問題見えなくしてばかなことしているだけかもしれない。こんなならしななくちゃいけないと脅えている時の方がましなんじゃないかと思ってしまったりする。その時の苦しみはその時まさに感じているときにしか分からないからこんなことを言えてしまう。その時感じた絶望さは忘れていいのか?そのとき自分が思い描いたものは、感じたものは、嘘だったのか?私は私をどこまで信じるのか?信じるってそもそも何かということだ。

カウセンリングだって、なんのためにやっているのか、まったく無目的のようなままで、もちろんゴールは見えず設定すらされていないようなものだ。だから考えてしまったらそもそも無意味なかんじ。

だめだあああ。