今年をふりかえってみると、まあだいだいいつもそんなふうに思うものかもしれないけど、それでも記憶や感覚の妙に遠く離れたものごとに対峙しているかのような距離のあり方からして、とても困難な一年だったと思う。これまでのことの積み重なりで育まれてきた膿が防壁を全壊にして一気に全方位に流れだしたような、そして明日からのまた新しい年に向かう気持ちを倒れそうな大木を雨風あたる中なんとかこらえ支えているような、緊張と必死さとだけでいっぱいいっぱいだけれどそうすることができるようになったのはささやかながらも自分のなかに意志を感じることができもする。去年のおわりから悪い体調がゆらめきたち始めていたもののそれが今年に入ってあきらかに悪化し、より頑丈に、より深みにはまり、よりはじまりもおわりも失ったよなとこに入っていった。それらの日々はこのうえなくつらかった。書き綴られたノートにはひどい言葉が毎日季節をかえても続いている。気軽に変われる気分もあれば、なにがなんでも変わらない変えられない考えや思いもひとつの私の中に存在する。自分が何をすべきなのか、選ぶことも、探すことも考えることも決断することもどうすることが自分に必要なのかもわからなくなって、自分の能力の衰えや欠陥を感じることがよくあった。病院もカウンセリングも、また途中で放棄した。何事にしても続けられない。それでも嫌い。すべてがすり抜けて、消えていく。この小さな世界ががらがらと崩れていく音を聞き、目を閉じる中に見た。この家が音を立てて壊れていくのを何度も目撃して、それの原因はいつも私が作り出していた。部屋を壊し、いくらでもなんどでも人のこころにけりを入れ、いくらでも自分をなぐってみたけれど、くるしみやかなしみに余計にしばりあげられていくばかりだった。自分を肯定し、生を疑うことなく、存在に疑問をもたず、自分を愛し、今ここにいることに泣かずにいれたならと、それはどうにも私とは無縁の世界ながらそれは楽園のように思え憧れてしまい、だからよけいに虚しくなる。そしてなぜだか突発的な怒りのエネルギーが発することしばしば、瞬間的に一歩を踏み外して谷間に落ちたかのように複雑な回路をたどったかなさしがむせ返すようにして全身を強ばらせ泣きじゃくることしばしば。ここで人間はもとより、家族関係に関しての問題が大ありありありなことに気付かずにはいられない。まあわかってたけど。そして一年以上ぶりの、最も怖れていた働くこと。約一ヶ月のアルバイトを紹介してくれたさやちゃんは、本当に今までに出会ったことのない人柄のふしぎなナチュラルさをさらさらとまとっている人で、その昔インターネットで知り合っただけといえばそれだけの私にもそのふるまいを見せてくれて、私は彼女と出会えて幸運な人間だなあと客観的に見て思ってしまう。一年ぶりの私にとって今回の仕事の内容、状況は私の苦手、不安とするものが削ぎ落とされていて、それによって自分が何をどう苦手としてだから何を選択していくことがいいのかということを考えられたし、仕事のやりがいやおもしろさを認識できたし、働くということを腹を据えて見つめられるようになったと思う。そう本当にあまりに苦痛源となる、としてしまう様々な要因が幸運にも少なかったことが今回やりとげられた大きな一因と思う。だから、本当にちゃんと働くときには今まで感じてきたような苦痛さや厳しさがあるわけだけど、今の私にとってそれらではきっと成し遂げられずまた挫折感を上塗りするだけだったろうし、そうしてきたわけだから、ほんとうに、このお仕事にめぐりあえたことはとてもとてもよかった、あまりにもできすぎなんじゃと思うくらいによかったと、おもう。自信なんて言葉をまともに信じて自分に使ったことがないし、目に見えないものとしてそれは簡単に打ち消去られそうでもあってそうゆうものは疑わしくて自信をもつ自信がないわけだからはじめからなにいってんだってとこに戻るんだけど、まあ自信なんて言葉を用いずとも、言葉よりもはっきりとした違いの感覚の意識があって その存在感に私は今いきていられるような気がしている。それはとてもふつうのようなことでもあるけれど、私にはまるで天と地ほどの違いとしての奇跡のものごとと思う。人格がよくなることはないにしても、この年のおわりにここまで気持ちを落ちつけられるようになるなんて想像できなかったことで今でもうそみたいに思えて、いつ簡単にがらっと崩れてしまうのかを考えずにはいられないし、極端な思考の巡りも態度の悪さも変わらない汚い面もあるし、何かが変わったなんて簡単には思わないんだけど、その落ち着きがそのままの自分でいれることの平静さがあって、またたとえ落ちていこうとどうしようもないのだろう。それでも、来年はがんばれる自分をつくりあげていきたい。英語もずっとちゃんとがんばりたい。まあほんと、できるだけ頭をこわさない日々をすごしたいとは思うのだが。考えることを続けられるようにいたい。そして今年最後にソウルセットを見たとき、ほんとうにこころから楽しくて楽しい気持ちがうれしくて、こうゆうときはとても軽々しく生きててよかったなあと思うわけで、でもライブを見ている間、すごく体もこころも軽くなってるのが感じられてふっと自分の体がからっぽに浮き上がるように思えたそれが心地よくて解放感があった。ソウルセットの年末ライブはいつも16にはじめてエゾで見たときのことからの過去を思い出すし、そしてその一年も振り返ることになる。今年はなんやか大変だったなあたぶんと思えた。そして、ソウルセットのライブを見にこれて、楽しめて、それがほんとうに奇跡のようなことで、ああよかったとつかの間かもしれない安堵をした。いつぶりだろうかっていうような心地。