4月の終わりに朝から夕方までかけてなんとか免許証を取得。連休前だったせいか、受験者殺到。合格者だけで800人くらいはいたっぽいような。ていうか警察の人をはじめてまじまじと見たような。制服とか、おお、ドラマだ、とか。みな口がたいていわるいかんじが気になった。てか、免許の試験と手数料とでかなりもうかるなー。計4200円かかった。待ち時間はたいていDSでマリオをしてすごした私は2月で24歳になったわけだけど、それ以降18〜20歳くらいの若い人たちに年齢聞かれてこたえると、たいていそう見えない、若く見えるといわれ、ひとり19歳の女の子には同い年と思っていたと言われ、24歳らしさが雰囲気にまったくあらわれていないらしいことに、なんだかうしろめたさを感じてしまう。ちゃんと働いてないから24歳らしい苦労感とかでてないのかな…とか。

家の車は教習所の車よりブレーキもアクセルもハンドルもやらかくて感覚がちがう。たのしいけどこわい。でも、合宿中、運転もすこしは慣れてきて楽しい気もしてきたとき、ふと気づいて、ああ車を運転できると今までいけなかったとこに行けるのかもしれないということが光のようにぱあーっとひらけて、悪いことばかりじゃないかも、と思った。そんなポジティブな考えを自分が持ったことにもおどろいた。これはひとえに一番おそわったTさんのおかげではないか。Tさんのおだやかさぐあい、冷静さぐあい、的確な言葉の説明ぐあい、親しんでくるとなんかかわいい人と思えるぐあい、これはなんだっけと思ったところ、ははあ〜大学のO先生に共通するかんじがあるやもと思った。そこでひとりパシーンと手をうった。私はこうゆう人がすきなんだなというか、いいんだな、と思った。好きになるっていうんだとまた違ったタイプの人で、でもそれはたぶんやめといた方がいいというか、あんまり正解ではないもののように思う。まだゼミもとるまえ、O先生が一昨日と同じ靴下やTシャツなどを着ていることを指摘すると、洗濯でとりこんだ一番上のものをまたとるからという返答がきて、まったく私もしょうもないと思いつつ、ここからひとつの正解が見えると思うわけで、そうゆうぐあいの人がきっといい。ときに過剰に神経質になるような私には、と思ったりする。まあでもどうだろ、特にもとめてるわけではないかな、今とか。

長野に合宿 DE 免許に行く一週間前に金沢・岐阜に行き、長野から帰ってきた週末には岩手に行き、今年は半年のうちでもういろいろ行ったなあ。しかし岩手はいろいろとひどかった。行く前から気分がめったおちしており、まあそれでもとりもどして岩手に行くものの、夜に脳貧血をおこし(一年に一回くらいやる、ビールコップ半分で)、そしてもう帰るというころになってなんてことないようなおばの些細なひとことで久々にどっぶんごろごろ沈み落ち、一ノ関の駅でいい具合の醜態、自力じゃ歩かず新幹線の車内までずるずるひきずられていった。今回のはその前々から思考がくだっていた流れがあったからよけいにわるかった。いやほんと私はもうちょっとちゃんと恥を知らねばならないのではないか。子どものころからかわっていないというか、ここ2.3年のそれはもどっている感覚がたいへん強い。でも頭がいかれてる〜おかしくなってる〜とおもう感覚は違う。むかしはないもの。でもまあきっと人間は壊れやすいものなのだ。おかしいからといって死ぬんでもない。

写真をいっぺんに同時プリントにだしたものの、最初はいいと見えてても、なんかそのうちどんどんどれもなんてへたくそと思えてきて、そうすると過去の写真とかどれもくそばっかりに見えてくるし、まあ実際最近のはそれが多かったと確実なんだけど、なんかこのただ安いフィルム買って安い同時プリントだしてって流れをちょっとどうにかしたほうがいいのではとようやくのろのろ思うところ。どうしたものかな。私は写真の何が好きと?何をするか。まあこれもこれでいいとも思うんだけど。でもあれだなあと気付いた。大学出てからは人がぜんぜんいなくなってるよなあ。まあそれはそれでってかんじなんだけど。まあただの記憶うつしなのだ。それ以上とかにはなりえてないよなあ。

久しぶりに文庫本とか買ったりして。小説なんかずっと図書館で借りたの読んでたからなあ。カポーティの未読作品3冊と、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』と、漫画『プラネテス』1.2巻。カポーティカズオ・イシグロは去年読んだなかで絶叫的な驚きをもってして読んだ人たちで、私ん中では漱石のつぎくらいにこころ射止められる感をついてきたので、全作品もっとしりたいなと思う。でもそこで思うこととして、訳はだいじだ。むらかみはるきがもっとカポーティ翻訳してくれないかな。そんで『プラネテス』はうわほんと、アニメはかなり原作の構造を変えてつくってたのかということがわかり、驚がく。アニメからの私はけっこうびっくり。でも、キャラクターそれぞれの個性、ありよう、生きようはしっかり持ってってるし(ヴィジュアル面ではいくらか変えているキャラクターもいるんだけど、決して壊しているんではなく、全体の物語を通すうえでアニメにおける強度をあたえた、というかんじがする)、描くべき本質もぶれてない、むしろアニメで制作していくうえでいくつか構造を変えることによってこそまた確実に強固なものとして描かれていたと思うから、なんとも、漫画もすごいしアニメもすごい、すすすごすぎる。

ひさしぶりにかいてとてもつかれた。最近はなにもやるきがなくなってしまった。長野行ってからだよなあ。ふがふが。たのしかったとか、そうゆう言葉でかたづかない広い空間性をもった出来事だったのだとおもう。じたばた。てきとうにつぎからつぎにかいてしまった。