液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

今25になったってことはー15のころから十年といういわゆる歳月がすぎたのだなあ。なんて思っても特に感動も驚きもなく、そうか、と目にもみえないそれをなんとなく噛みしめるくらいなもの。十年ていわれてもなあ。特になんもない。もっとすぎれば違うかな。ただシロップを聴いて十年ということ、ただそれだけのこと。十年なんて、だからなにってかんじ。それくらいシロップを聴いてることは私にとって変わりがなく、シロップの音に変わりはなく(録音物だからあたりまえだけど)、聴いたときに浮かび上がってくる感覚も、見える情景も変わりはなく、なにも特別なことなんてなくあのころから何一つ変わっていないかのような、そうゆう感じがいちばん大きい。

でも私はそっくりそのまま15のときと同じ訳ではないのだ。確かに同じなようなとこはある。人はたいていこのあたりの年齢でおおまかな人間性の土台が自分で見えると思うからそうゆうのもあっての変わらなさ。それに15のときに見えた、感じたものは相変わらず同じくらい新鮮な輝きや吐息をもって私のとこにすべりこんでくるように思う。この声を聴き、音を聴き、つまみあげられ放り投げられるようなきゅうっとしたかんじなんかもずっと同じの感じがする。私の安心して安らげるあたたかな包まれる場所のような、子宮の中のようなそうゆうものと思う。

そうゆうものがあると同時に常に15歳ではなくなっていった私というズレ。滞留している私と進んでいってしまう、離れていってしまう私という分離した一つの私という感覚。十年という歳月を経て同じ土地の同じ部屋の同じラジカセで同じmdを同じ身体をもっている私が聴く。その私は十年前の私であり現在の私である。同じ身体をもった私であるということを前に変わった変わらないということはなんだかおかしいような気がする。しかし同じものではないのだとは言うことが出来る。よくわからない。

同じではない。それは確かだ。おなじではない。自分で繰り返しながらそれはなんだか切ないなあ。15のころは15のころにしかなかったんだなあ。私が見つけた発見、大いなる発見、それは言ってしまえば大切なことはみんなシロップから教わったみたいな(りくるーとでこんなタイトルの本がある)。シロップひとつでみんなと言ってしまうのは大げさというか他からも教わってるとは思うんだけど、でも、その後の大学に繋がる全てのこともすべてはシロップで教わり、発見しなければなかっただろうと思うから、そうするとこれは一つの真理じゃないかと。

私の人生の中で大きな大きな変わり目は高校に行かなくなったことと思う。辞めたというより、行かなくなった、生きたくないという気持ちが発動しそれと葛藤し、その後ひたすらこのことが私に影響を及ぼしその人生を生きるということ、それは生まれたことの次くらいに大きな起点として数えられると自分では思う。その行かなくなりはじめたのは16の五月過ぎだから、シロップ聞き始めたのが15の今頃ということでシロップは直接には学校とは関係がない。シロップ聞き始めたとき、私は至ってふつーのそこらへんのどこにでもいるような女子高生の群れのなかにいる一つだった。何も考えのないずるくてあほうなものだった。そんでただシロップを気に入った。その流れはとくになんでもなく、人生の一場面だ。けれど、私にはそのシロップに出会ってしまったこと、好いてしまったことがその後の選択と繋がってしまう気がしてならない。シロップを聴いたことが学校に行かなくなったことと結びついてしまうような、そんなん関係ないはずなんだけど私の頭の中ではその二つが結びついてしまう。それは時間が過ぎて過去として結果としてみてるからそう見えるんだろうけど、それでも私には15と16のそれぞれの時点がひもで繋がっているのを見てしまう。

学校に行かない選択をしていられたのは、それもまた音楽のおかげなのかも。行っても居場所がなくて、駐輪場で時間つぶして裏門飛び越えて勝手に帰ったり(これってつまり授業さぼってたのね)大人がみんなサイテーでやってられなくてそうゆうとき学校に行かなくても何があったかって音楽があって音楽だけがあって私は救われたのだろう。親ともなんとか意志疎通が図れたのだろう。音楽がなければ事は全く違っていたと思う。それくらい切るに切れないものだから、私の頭んなかでふたつが魚座の神話みたいに結びついちゃってるのも仕方ないよねということで。

十年たってもこんな風に私の考えることの基準なんだなーということがひとまずわかった。私は過去大好き人間な気がして、未来を全然見てなくてまったくだめなんじゃないかもっとしっかり先を見据える人じゃないと世間様から笑われるんじゃないかしらとときどきすごくぞわっとするし、一人で一人だけ思い出に浸ってるなんて世間様からばかにされるんじやとびくっとするんだけど、プラネテス最終巻のカバー背面の折り返しのとこに作者幸村さんが書いてる文章でなんとなく救われたり。