液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

久しぶりとなってしまった。いつもいつもそうなるのか。やはり、意志がないとつづけられないし、その意志とは結局なんなのかなんだけれど、まあいいかそれはとりあえず。ここ最近に、すこし自分の中で変わったなと思うものがあり、自分の中でなんどもそれがぽわぽわうかびあがってきて前はこうだったんだな〜今はそれがこうなったんだな〜じゃあこうしていきたいな〜みたいに断片的に考えることがあって、それらはひとまとめに記しておきたいなと思った。せねば!という感覚だけど。消えてしまう、わすれてしまう、そうゆうものたちを留めておきたいと思うのはおかしいだろうか。小さなこどもがお気に入りの人形をずるずるとひきずるみたいでかっこわるい感じもする。けれど、たとえそれがその時だけのものとしても、変わってしまう、その時だけのものだからこそ、曖昧に、危うくもなにか形にしておきたいという欲求がでてくる。


大学を卒業してもう4年になろうとしている。振り返ってみれば、卒業後2〜3年が私にとってはとてもつらい時期だった。自分のなかでの自分の許せなさ、視界が狭くなっていってしまうどうしようもなさ、そのなかで他者と自分、社会と自分、自分と自分、いろんな闘いがぼっすんぼっすんくり広げられた。ひどかったと思う。思い出せるいくつかの私の悪行、主にそれらは家族に向けられ、家の中で行われた。2年くらいは、母との闘いだったのかなあ。矛盾する葛藤。私の部屋にはまだ爪あとが残っていて、壁にマジックでしねしね書きつけた跡が一度ペンキで塗りつけるもまた書いたもんだからそれらは消しきれていないところがある。でもまあ、それもすごく自分だなあと、それを書いた自分もすごく自分だなあと今の自分と決してかけ離れているわけでもないからまあなんか少し笑えるていどに残してある、くらい。まあ穴をあけたのはそのうちちゃんときれいにしないといけないと思うが。もうまたそこに戻るのはやめとこう、という自戒みたいなものかな。記念かな。

ひたすらこたえの出ない問いかけからいつどうやってぬけ出してしまったのかなどはまったくわからない。ただ、カウンセリングなんていったってどうしようもない、自分の気持ちが変わらない限りどうしようもないみたいなことをカウンセリング推奨派の母に伝えていて、母が私の言うとおりカウンセリング行かなくてもよくなってよかったわあ。私の言うとおりだった。みたいなことを言ったことから、自力でどうにかこうにかしたんだろうなあ。それは一つのなにかではなく、いくつもの小さなものたちなんだろう。私はきっと、何度だってはいあがろうとするのだろう。結局それだけ生きたいということなのだ。自分で死ねない私は生きるしかない。

一昨年の12月からの変化は大きいのかもしれない。3ヶ月の就職のための事業。そこに参加して、同年代の人たちとしりあって、ビジネスマナーだなんだってものを一応得て、うれしいことも悲しいこともあって、結局そのなかでは就職なんてできなかったし、そのあとの就活もいくつも応募してもうまくいかなくて、その後とりあえずではじめた仕事も悪くはなかったけどやっぱりわりきれなくてやめた。それで11月に職業訓練校に行くことを考えた。このころ振り返ったとき、就活をしていた私はなんかすごく間違ってたのかもと思った。働ければなんでもいいのだと思った。なんだっていいからとにかく働く、それが重要だと。それはそれで間違っていないと思うんだけど、私はもっと大切なことを重視するべきなんじゃないかと思った。なんだかそうゆうものをすっかり忘れていた。でもその忘れていた期間があったからこそ良かったのかな。自分の漠然とした将来を思い描くようになってきて、そしたらそのために働くことをイメージするようになった感じがする。どんなふうに生きたいのか、そのまるっと感が視界を広くしたかもしれない。ついでに言えば、半年間つきあっていた人の影響も大きい。私はときにすごく人とあわせようとしてしまうところがあり、それが強く働いていた。けれど別れてそれから解放されたとき、すごく自分がかえってくる感じがあった。そういえば私はあれやこれが好きだったんだと気がついた。

とりあえず収入を途絶えさせてはいけないという思いでバイトをした。今年の1〜2月にかけてしたバイトと出会えたのはラッキーだったと思う。仕事しては大変さがあったけれど、色んな人に出会えて色んなところに行けて会社や仕事や人間のいろんなありようを知ることができた。貴重な体験になった。お給料もたくさんもらえた。訓練校にも無事受かった。訓練校は一度まよった。意味があるだろうかと。不安になり、焦った。けれど、とにかく最後の猶予期間にしようということで落ちついた。さすがにもう適当にはやっていられない、父の定年も近い、どんな形になろうともこの一年でいけるとこまで考えて考える。それでちゃんと自分を生きていく。そうゆう一年にしようと思った。

バイトがハードな日々で、その終了日と訓練校の合格発表日がおなじで、いっぺんに解放されてしばらく呆然となにもする気がしなかった。それで去年からなんとなく考えていた大阪旅行を3月7日からに設定して、そのために会いたい人たちと連絡を取って、はじめてそうゆうこともちゃんとした。ちゃんと、こちらから、あなたに会いたいのだという意思を伝えるということ。私は昔からそうゆうのにあまり馴染みがないというか、できないというか、しないというか、なんなのか、そうゆうのがない自分はなんとなく見えていて、それはすごく透明でなんでもすけて過ぎ去ってしまうかんじで、かなしくて、でも今ならそうゆうのもできるんだろうと思った。一番大きかったのは、大学で知り合ったなかで一番信頼する男友達、女友達それぞれが卒業後つづいていた位置、環境に変化をうつということがあった。偶然にも一致したなあ。あとから考えてみれば、男友達の変わらなさは安心感をくれていたと思う。先生や学校とつないでいてくれていた。その彼が大阪からいなくなる、まあそんな遠くはないけど、それは彼自身にとって大きな変化であり進展であり未知の世界へのわくわくするようなひらけたものだし、今まで私のなかでつづいていた大阪という場所へも思い入れがかわるものでもあると思う。また女友達が就職をするということは、今まではまだなんとなく身近であった状況が、私とは一線を画すみたいについに違う人になるということで、それは悪い意味ではなく、ただ、ああついにかぁというかんじかな。私はだれしをもそうゆう目で見ざるをえないだけで、そんな大きな違いというわけじゃないのに、でもやっぱり線をひこうとしてしまうような、あいまいなもの。そんなふうに二人の変化というのは少なからず私に影響があるあると思って、そしたらああもう今、今のうちに会っておかなきゃだと思ったんだなあ。最後、というかんじがすごくした。べつに男友達だってまた大阪に戻ってくるかもしれない。でも、そのときはもう違う。もっと違う。今のまんまの私たちで集まれて、会えるのは最後なんだろうと思って。それは惜しむというより、楽しむべきもののかんじがした。

それで3日間行ってみて、たぶん私はすごくいろんなものをもらったんだな。誰も気づいてないかもしれないけど。行く前から、私はこの年になってようやくずいぶん楽になってきたなぁと実感していた。2月で26歳になった。卒業後にずっとずっとわだかまっていたものたちはいつの間にか気配が薄くなっている。なくなりはしないけれど。私はずっと自分の年齢というものに縛られていて、それを社会と照らし合わせたときに自分がひどくずれていることに苦しんだ。だから人が、世間が嫌になった。比較され嘲笑されることに頭が占拠された。なにもない、なにもできない自分には、この社会で生きられる場所はないのだと。人は信じられなかった。繋がりとか、見たくもないようなものだった。私にはないのだと。けれどそう思っている限りそういったものに触れたいのだろう、信じたいのだろう。そのようなときに、信じさせてくれる力を見せてくれる人には本当に頭があがらない。そうゆうのと、偶然知って参加した3ヶ月事業と、そういったところでの出会いは今にすごく繋がってきている。人とのかかわりであったり、いくつもの社会であったり、そのなかでの自分だったり。なんだかんだの色んな色んな経験、見聞きしたものは私がなにかを判断していくうえでいい材料として立ち現われてきてくれているのではないか。そんないくつもを見ることができたから、自分が見たいもの、求めているもの、どんな暮らしがしたいのかということを私は見据えられるようになってきたのかもしれない。私はあきらかにひたすら選択を先のばし先のばしにと放棄してきているわけだから、ここまで時間をかけてすることでは本来ないのかもしれないけれど。それでもすべてに懺悔しながら何かを見ようとすることができたならば、すべてに感謝をするとともになんとか悪くはないところなのではないか。

抽象的なものいいが続いてしまった。そう、大阪行って帰りのバスですでに変化がどーんと起ったこととして、ずっと嫌悪感でしか見ていなかったFacebookをはじめたこと。こうゆうものはもうあきらかに嫌いだった。きもちわるいくらいに。単に私には不必要だと。でもなあんか、そうゆうのぜんぶふっとんだんだろうなあ。それよか、もっとらくにらくに人とつながってしまえばいいんだろうというほかほかのソファで眠りにはいるみたいな気持ちだった。もうそんなに人をこわがらくていい、ということなんだろう。おびえる必要はない。そうゆう気持ちというのはここ一年くらいで自分がしてきたこと、できたことから得た自信みたようなものが支えてくれてるとは思うんだけど、大学でて4年経ってみんなそれぞれに生きていてそれでもみんな繋がっていたいという気もちはおおよそ同じなんだということが、今回大阪に行って私が納得できたことだった、私自身がそうなんだから、という気もちのもと。そうしたら、やってたほうがおとくかなーくらいな感覚で。自分でもびっくりなくらいの考えの変わりようだけど、そう、かんたんになんでも変わっちゃうんだよなー。

まあ、Facebookは昔やってたみたいな、携帯で撮った写真をアップするなどを目的に使うとして、ミクシィとこことをどう使うかは検討中。うーん、ややこしいな考えると。でも、ここもちゃんと活用していきたい。