ことは起こるべくして起こるというか。いつもいつもああ、やっぱり、なったなぁという結果からみたことの流れ。私が未熟で、要はそれがぜんぶの大元なんだと思う。そう思うと、私はだれかと結婚するとかそうゆうのは無理というかだめなんだろうなぁと思う。わたしの突如引き金をひかれるヒステリーはなかなかひどいと思う。人を傷つける。結婚というものはしてみたいなぁと思っているんだけど、でもしちゃいかんだろうなぁと思うししない方向にいきそうだなぁというなんとなく予感とフランスみたいな合理的な形はいいなあという飛躍した理想感と。結局結婚なんて理想論かしら。

日曜日に新幹線四時間立ちっぱなしで21時すぎに帰宅したからか、水曜が一日作業だったからかやっぱり今週はちょとつかれるかなぁと思った。そしてずっと頭を悩ませているバイトについて考えること、前に進まないこと、不安や心配、収入を得られなければの更に不安や心配。働く、お金、という人生をおびやかしてくれる二大要素。

平日にも働くならどんくらいか、平日毎日学校で土日働いてそれで課題もちゃんとこなしていけるのか、授業は大丈夫なのか、どんな仕事なら私は大丈夫なのか、家事もちゃんとやれるのか、などとあらゆることを心配しうんうん考えてでも結局はやってみないとわからない。気楽に考えてはじめてみればいいのだけど、私はそれでいくつも失敗しているからすごく慎重になってしまう。自分でもどうしたらいいかよくわかっていない。

つけくわえて、この一年にたいしての想像するふあん。私には若さもないし、やっぱり経験、ろくな職歴もない、それに授業で行うどんなものもへたでへたでろくなものがない、なんだかんだでやーっぱり周りの人たちと比較して自分の劣等ぐあいをひしひしと底の方でかんじてる。あまり感じちゃだめだめといちおう気にしてないふりを自分に対してしているわけだけど、ほんとは足場がぐらぐらしてる。歯もぐらぐらしてるかも。でもしょうがない、なんとかするしかない、自分なりの努力を、といったふたつみっつの思いを混在して毎日をやりくりしているわけだ。それが毎日だ。

けれどたぶんそんなにいろんな思いがひとつのこころの中でぐるんぐるんしているのはなにかよくない。ささいな毎日のいろんなことに対してとげとげしくなってしまう。夜ご飯を四人分作ったって、帰りの遅い姉はだいたいのこす。それを朝私はゴミ箱に捨てて、それから洗い物をしながらお弁当も作って、ゴミ捨てをするのにごみを集めて、そんなこと、そんなことの毎日にふと怒りをぶつけたくなるんだと思う。

まあそうゆうとこが自分の未熟なとこで、基本的にはみんなは働いてお金を得てきてそれのおかげで今のこの暮らしがあるのだから私は文句は言わずになんでもすすんでやらにゃならん、しかしあまりに何もいわずにちらかりものをひたすら私で片づけようとすると怒り爆発どっかーんになるからたまには口に出し、やりたくないときはやらないし完璧はもちろん無理だしなんやかんやで両親がいろいろやってくれてる面だってたくさんあるのだ。でもたぶん自分のなかの不安要素があるとき、それはたいがい口に出さずに一人でもんもんとしてて、ほかのことにも口を閉ざしがちになって、私はなんでもやらなきゃと思うのと同時になんで私ばっかり雑用をやらなきゃいけないんだろうというひねくれた頭になっていく。それらはなんとか自分のなかにおさえられているんだけど、それも家の中のちょっとした出来事によって頭の中がぴかーと光って冷静さがぶっとぶ。まっすぐに切れ味よくぶったぎられる、それまでとその後。人が変わる。こころが変わる。体もかわる。人が狼になるみたいに変わる。もう違ういきものになるのだと思う。

それはしかし私だ。どちらが、ではなく、どちらも私。常に両方あって生きているんだろうけど、でもきたないとも思う。善人ぶったり悪人ぶったり、どちらかのときのどちらかは嘘になるじゃないか。本当じゃないじゃないか。たぶん自分でもそんなうしろめたいような気持ち、はっきりしていない嘘くささ、芯のなさが不安要素を生み出したりもしてるんだろうなと思う。要は自分自身に対しての疑りや自信のなさや迷い。

私がごはん作ったってたいしておいしいものができるわけじゃないし、どうせ捨てるんだし、なんのために何を作ろうかと毎日考えてつくっているのはまったく無意味なことなんじゃないのか。いやだな、と思う。無意味なことに時間ついやして、つかれて、何か損したような気分になって。いろんなことが無意味になる。自分が無意味になる。

私はほんとはわかってる。このまま生きてたってなんにもない。どうにもならない。ただずっとそれをごまかしてごまかしてあやふやにしてすりかえて生きてる。そんなふうに自分を欺いてるからいけないんだ。わかってるんだからさっさと死ねばいいのに。なのに死なないってどうゆうこと。その選択の責任はおおきい。

いったいいつまでこんなに生きたり死にとらわれたりをくりかえしていくんだろう。生きていることに対して失礼なような態度でいることがまずよくないなぁというのと、どっちにも嘘な正反対さの強さがむじゅんむじゅんむじゅんすぎてたまらなく嫌悪するけど、じゃあいったいなんなの。