液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

去年からずっとそうなんだけど、どうにも土日の休みというのが苦手みたい。なあんかな。だめだな。だいなしな休み、みたいな悪い具合でちゃんちゃん。くそだわ。

要は、平日の間にふわふわ考えているなやみ?ふあん?いみ?などなどが、平日というその日その日と次の日のことでいっぱいでくるくる勝手に流れてくる毎日のうちにはそこまで深くつっこむ余地がないからなにげなくさらーっと通り過ぎてることがらたちが、土曜という流れがゆったりくったり停止ムードになっちゃうと、いつもと違うんだぞってまわりから脳内から警告みたいなどやどやしたおされる雰囲気になっちゃうと、あれ、あれ、私なにしてるんだろうと頭が立ち止まりはじめてしまうらしい。

おおよそ大体自分が生きていることへの漠然とした不安。私が生きようとすることは正しいのか、いや、という疑い。常に生きてることに対しての疑いがあって、土日というはなやかな休日における生きるための余暇的行為に対してなんかすごくもーれつに否定感がにぎにぎとわいてくる。そのお金や時間がかかる行為はほんとうに私なんかに必要なのか?私はそれらを得てなにがしたい?なにになるという?なにかになるとでも思っているのか?意味のある何かをえられると?

わかりやすく例えるならば、生き生きとしようとする私に対して、結局それらにはなんの意味もないのだ、それらで自分を飾りたてようとしてるだけ、ほんとはなにもないのを隠そうとしているだけ、どうせ何にもなりやしない、無意味だ無意味だといった私がはっぱをかけてくる。

要はの要は、なぜ私は生きてにゃならんのかという問いなんだなあ。私は未来になにを期待しているのかと。なにも期待はできず、繰り返される絶望しかないのなら、それが見えていながらなぜ私は生きているのか。その生き方はずるい、ずるいままにずるずるずるずる生きていて、その姿が自分ですごくイヤで汚くておかしいと思ってる。そのことに立ち止まる土日。なんかもうすごくむだなことなのに、くそくそばかすぎるのに、最悪な気分になるだけなのに、しまいにゃ昼過ぎから酒を飲み、肝機能よわすぎて吐きはき、あひーと冷や汗脂汗がじわっと皮膚にういてきて声も出せず身体も動かせず全身つめたくなってきてなんとかトイレのドアをあけてばひゃんとぶったおれるかるい脳貧血へなる始末。あほだな。年とってどんどんくだらなくなるのかな。

なんかじぶんでもじぶんがこわくなってくるんだな。自分がどんどんえたいの知れないとこへいってるような感じで。昔はまだつかめるくらいの自分だった気がする。でも年とってきたらもうどうせなにもありゃしないんだみたいな捨て身的志向がでてきてて、べつにどうだっていいなんだっていいはじめからなにもありゃしないんだからと開き直り楽観みたいなことになってきたみたい。それはなんか他人事のようであり、それは真実であるとすんなりと私は感じられているし、そうなるとなんか歯止めみたいなものがない。得体の知れない私、しかしそれを認められる私、でもやっぱりそのつきぬけてしまう私に私はついていけてないのでは。妙な構造、新ステージってかんじ。

死なない自分がゆるせない。そうゆうことになってきたんだな。