液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

あらあら広告が出るようになってしまったのかー。あれまー。ひっさしぶりにパソコンから書いてみようと思ったら。なんていうかこの行為はあまりに久しぶりすぎると思う。スマホにしてからより一層。訓練校が夏休みになったから、久しぶりにパソコンで書いてみようと思って、平日で、平日の日にひとり家にいて日記を書こうとすることは10代のころのかんじがするということが思いだされて、妙な心地になった。パソコンは変わったし、私も年を取ったし、意識も違うけれど、パソコンが置いてある位置が同じで同じく壁に向かって一人キーボードをうつ、発光している画面を見るということが、なんだかとても懐かしいにおいをするもののような気がした。

いまどき、人は誰だってある程度の速さでキーボードをうてるものだと勝手に思い込んでいたりする。しかし結構そんなことはない。私なんかが人からははやいねと言われる。左手で全てをうつ私でさえ。べつにそんなことないし、両手の方が効率よいに決まってるんだけどなと思う。しかしこの人から指摘されるはやさを私は一体どこで身につけたか。それはネット上で日記を書くことを続けていたからだ。自然とただ身についたこと。ピアノを弾く時とおなじみたいに、指がローマ字の位置を覚えたということ。そんな風に、意識したのでもない昔がひょっと現在にたちあがってくる。おわり。



7月は毎日残らせてもらえるとこまで残り(遅くて18時がリミット)、そのうち朝も教室に入れる一番の時間に行くようになり、お昼休みもさっさとお弁当を食べてついやすほどに課題についやした。いろいろな課題。土日は材料を探し、家でも資料をさがしたり、粘土で作って着色をして。私の効率の悪さがなによりもどうしようもない。まあそれでもなんとか最終形にもっていけると、ほっとする。

でももうプレゼンまでギリギリでやっているもんだから、プレゼンで言いたいことはいくつか頭にあがってるんだけど繋がりなくまとまらずにたれながしみたいな。まあ、いっか。反省点。めんどくさがってはいけなかったなー。やはり言葉にちゃんとしておかなくてはならなかったー。

そして夏休み明けから取り組む課題のアイディアだしにほぼ丸一日あてられた。前々からその課題の説明はあったし、すぐ浮かべたアイディアで自信をもってやれるわけではない自分の性分はわかっていたから前々からすこしずつ考えてはいた。

大学の時にしみじみ思ったやり方。時間をおいて、時間をかけて考えること、想像すること、そうゆうのは手ごたえがちゃんと自分に感じられるし、楽しい面もある。視覚的に魅力的なものをつくらなければいけないとはいえ、やはり私はイメージを言葉でとらえて、その言葉のイメージをつなげていき広げていき、ものごとを掴もうとする。で、結局そこでできあがったイメージをどう物理的なもの、形におとしこんでいくのかが一番の難点なわけだけれども。これは苦手だなーと思いつつ頭をほじくるほじくる。

途中で全部の先生のなかでも私的に一番話を伝えやすいような、私が言っていることが伝わりそうな先生に言葉でイメージしていってそれでこんな感じのものにしてみようかと思っててと話してみたら、先生は私のその言葉からイマージをつくっていったところに、なるほどーというかんじに新しいやりかたを見たというような反応をしてくれた。なんというか、私のそのやり方は頭やらかく発想豊かに!みたいなことはめっぽう苦手な私らしいといえば私らしいようなやり方の気がするし、本当はイメージで勝負していける人たちの方がうらやましくてしょうがないし、結局そうゆう考え方でつくる私のものは魅力に欠ける気がする。

今の訓練校の科においてそれではまったくだめだめなんだけれど。だからもうなんかすごい勢いでここ入ったのは間違いだったかなーとか思わされたりするんだけれど。まあそう思ったときは同時にああ私はアートをやって(学んで)きてたんだなー、美術でもデザインでもなく大衆性なんてむしろ嫌悪するような世界で生きてたんだなーってことをすっごく突きつけられた。自分がいたあの大学4年間の世界をようやくまともに客観的に見た気がした。そしてさらに同時にああやっぱ私はアートがいいなあとか思ったりした。なんかすごく単純だけど、それはようやくまともに全然違う世界を知れたからなんだろうなあ。

授業終わりのころにもう一度先生に相談をして夏休みにちょっと作ってみますーと話をまとめたとき、先生がいや僕の方が勉強させてもらったなぁみたいなことを言ったので驚いた。言葉から考えていくという作業をやる人を過去にも見たことがなく、言葉から出していくと考えがぶれなくていいねということらしいのだけど、なんていうかそのセリフは大学の卒業式のときに先生が母に言ったらしい言葉と酷似しているのでびっくり。まあ言葉の重みみたいなものでいえばおーはし先生の方が大きいんだけど、あー、うわー、わー、ほおーーーという私にしかわからないであろう驚きと感心とがひそかに私のなかであふれた。

わかんないけど、そんなセリフはそんな簡単に誰しもが言える言葉ではない気がする。同じような思いを抱いたとしても、それをそうゆう言葉で口に出すか出さないかという分かれ目があれば随分減るんじゃないかという気がする。なのでそうゆうことをふつーに言えるまったく違うジャンルの先生それぞれはやっぱ私がこの人すきだと思うだけのなにかがあるのかも!とか一人でもそもそ思ったり。二人とも学生、生徒に対して非常にフラットであるというところが共通しているなと思う。