液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

26歳になり、ついに10年という歳月を否応なくリアルな本当の存在として感じ、言わざるをえないことになっている。しかし同時にそのこと自体がふしぎでもある。ああほんとうに10年という歳月はあるんだ、私がそれを実感することができる今があるんだ、あるんだ、10年だ、私が生きた10年が。

16歳というのは私が私を強く意識した年齢だ。それが大きい。それまでの人生では、あたりまえかもしれないけど五年や十年という時間を意識することはなかった。自我がうすいからそうゆうもんかもしれん。自分を自分で客観的視するなど、それを長い期間でやるなどまだ無理な年齢だった。

16のときに見聞きしたもの、感じたものたちの強さ、エネルギーははんぱがない。あまりに影響力がある。それらが世界のすべて。すべてがその世界だったわけだ。その瞬間瞬間が大事で、過去も未来も切り離れていた。十年前の想像も十年後の想像もなかった。

ただ、私はずっとずっとこの先も好きでありつづけるんであろうと確信した音楽があった。十年後でもと、決めかかっていたもの。そのときだってやっぱりべつに未来を想像しているわけではないなだ。やっぱりその瞬間だけで発しているのだ。十年のてごたえなんて、味わったことがなく知るよしもなかったのだから。

それが今、私が生きた十年が本当にある。私が自分でつかむことのできてしまう十年だ。本当に十年というものはあるんだなあ。これが十年というものなのか。べつになにもないけど。それが十年だ。

最近は毎日こんなようなことが頭にながれてきてしょうがない。16歳はあまりに色んなものごとがありすぎた。10年前という言葉の力が強すぎるのかな。10年てなんだ。なんなんだ。わからない。得体の知れぬ、ただただ十年という言葉の重みがゆらゆら漂っている。

十年という歳月の流れ方の意味がわからないわ。