最初のころからなんとなく気乗りせずいろいろ進んでいくなかでもやっぱり冷め気味で、それでも近づいてくるにつれて楽しめるようになってきたのかと思ったらなんだか直前ですごくいやな気になってきた。めんどくさいなあ休みたいなあの気持ちが充満してきてしまい、いかんなあと思ったが。
そんな気持ちながら行事はぶじ終了。でもやっぱりいやだ。終わった後でも忌々しく思ってしまう私はなかなかひどい人間よなあ。協調性がないのか、集団行動ができないのか、そうゆう言葉でむりくりに片づく、片づける。
でも考えてみればやっぱり昔から苦手で、だから嫌いで、なんで居心地悪いんだろ、皆がみんな楽しそうに浮かれはしゃいでいるところにうまくなじめなくて、はじめから私だけみんなにはなじめなくて、ずれていて、むしろそこにいると私だけどんどん遠ざかっていくみたいだ。私は冷めたこころで冷めたまなざしを向けてしまう。
それはあれかな、高校やめた時に根付いた高校生への偏見のまなざしに通じるものかしら。似てるかも。似てるな。わざとじゃない。意識的でもなく、自然とそんなふうに見てしまうみたいだ。
単純に嫌いなんだ。それだけで片づけてしまいたいこと。善良な人間が嫌いなんだ。皆よりがんばってる人間が嫌い。張りきってる人間が嫌い。自分一人で何でも引き受けちゃうみたいな、がんばってる自分がかっこいいみたいな、リーダーシップとっちゃうみたいな、かっこつけてませんよってオーラだすかっこつけをするみたいな人間が嫌いなんだ。そうゆう人はみんな素直にいい人なんだ。がんばるえらい人だ。誰からもほめられたり感謝されたり、充足感に満ちる人。だから、そうゆうのが私は嫌いなんだ。
もうなんかむかむかしちゃうもんね。あほらしいとか思っちゃうもんね。そんながんばってどうすんのみたいな。なにがたのしいのみたいな。きらいきらいだいきらい。私にはできないから、私はなれないから、そんな人間には。だから大嫌いなんだろうなあどうしようもなく。私はそんな善人みたような振るまいできないもん。しないもん。
こんなふうに考える私は一人あほだよなあと思う。みんなに感じる壁は向こうから作られたわけではなくこちらから建てているのだろうし。大多数という群衆みたいなものに、なぜか時に反発心が芽生えるらしい。なんで私はみんなと同調できないのかしらと、なんでみんなは同調していられるのかと、その都度疑問だった気がする。この違いはなんなんだ。
なんでみんなはあんなに楽しそうだったんだろ。


お金がないので打ち上げは不参加。同じく不参加の18歳男子さそり座と一緒になった帰り道。ふだんとってもおちゃらけた子だか、若者らしく繊細で人に気をよくつかう。なんだかまるで色んなことがこちらには透けてみえてしまう。音楽や映画やマンガになかなか詳しい。スペシャで見たとか言ってる姿に若いころの自分を見るようでもあったりして。水星座のおかげかなにか、言ってることがちゃんと伝わりやすいなという面があり、つい本音をさらさら出してしまう。
この、言ってることがちゃんと伝わりやすいという感覚は重要だなあと思う。そうじゃない人の割合の方が出会いの確率的には大きくなると思うんだけど、そのぶん伝わってるだろうと手応えを掴める相手というのは安心するかんじ。
大人数の飲み会は終わったあとむなしいよねとかで同感しつつ、別れた。18歳なんて遠い人間だなあと思うこともあれば、まったくそんなものはなく人間対人間なだけだなあと思うこともあり。
帰って焼き肉を食べに行った。自腹きらずにすむ親との食事にばんざい。酒が飲めたら違うんだろうけどなあ。どうゆうわけかよわいよわい。飲むよりも美味しいたべもので満たされたい。