もう一週間かけてスマホから書き足し続けてきたけどこれじゃいつに終わるのかとなってきたのでもうこれであっぷぎぶあっぷということで。長くなったなあおいおい。一昨日にはさわひらき行ったから今度はそれ書かないとだけどカラコ検定で手いっぱいすぎる。ひー。


こないだからのつづき。17日は会田誠と外国人の森美初代館長のキュレーターさんと(英国人?)企画学芸員さんとのトークが無料であるっていうから先月に申し込みしてこの日にいこーっと決めてたが、てか17日が初日なのねと気づいたのはつい数日前。ありゃー混んでるかもと思ったらやっぱり混んでた。しかし森美特有の観光客の人たちもまざっている状況において、会田誠の展示において、その方がむしろがやがやわいわいしていて面白かったのかなとも思う。

はじめの方の展示室にはわりと昔、90年代の私ははじめて見るような作品があった。うわっ、やっぱりうまいなっ、しかしでかいなっ、やるなっ、やっぱりやるんだなこの人はっと、桑田の文字やブルータスのデッサンを見て思ったり金箔のごきぶり図、雑草図もまたすばらしい。皮肉というか、みんなの落とし穴みたいなとこをすばらしくついている。様式、常識、当然というところにするりとした異物のおきかえ、導入、そして提示。それらは会田誠の確かな筆致、描写力が支えている。めくらましみたいな。特に広島現美収蔵作品の人プロジェクト作品は衝撃だった。この人は言葉の扱いも巧みと思う。というか変な遠回しもなんもなく、ストレートに率直にだってつまりこうゆうことでしょと一見いろんな雑事で見えないような気になっていることを生まれたまんまみたいに素っ裸にして見せてくれる。明快だ。しかし人々はなぜかその明快さから遠ざかってしまう。だがしかし会田誠は遠ざかったりしないのだ。そこが、ほんとうに、この人のすごいところ、かっこいいところだと思う。

次の部屋は戦争画returns。画像でしか見たことがなく見てみたかった作品群。全部、すばらしいっ。こんなふうに戦争に、戦争画に向き合えた人ははたして他にいるのか?こんなに、みんなが周知している事柄についてを受けとめたそのまま、素のままだせるって、もうみんなぜんっぜんできないことだ。それを誰のためでもなく、自分の対峙することとして、描くべきこととして手法や素材を選び理にかなったこととしてやっているすごさ。みんなだいたい会田誠の作品を見て、どきっとしたりするんじゃないだろか。ちゃんと意味もわかるんだ。そうやってみんながわかって知っている事柄をアートという手段で提示できることの強靱さ。襖や岩絵の具を使っていることなどにむちゃくちゃぐっとぐっとくる。その素材感がたまらなく力強い。そしてそこにのる絵は率直にものを言ってくるかのようにこちらにバーンと体当たりしてくるみたい。すごい好きだなあ。ここで時間使いすぎたかな。

次の部屋はたしか美術と教育とかだったかな。すばらしいっ。皮肉というだけではない、そこには一緒に愛みたいなものも感じる。慣用で慈悲に満ちたような神々しさみたいな。それでいて情けもなにもくれない。なんか自分の目を信じろと、いろんなものをべたべたと上塗りして隠していくみたいなもの、範囲を狭められつくりこまれ、ごまかされたりすることにつきあう必要はないんだよな、そうだよ、みんなこれを見ればわかるはず、みんな自殺する前に会田誠を見ればいいのに、見せるべきだみたいなことに気持ちが高揚していった。なんじゃそりゃ。

次が考えない人の部屋だったか。ここもまた、すごい。まいる。この人のエネルギーは本気だ。新宿御苑の改造計画が横に長い黒板に絵と字びっしりで描かれてある。ただの絵空事じゃない。本気で考え本気でつくりだす。会田作品どれもに通じていることだけれど、たとえ発想の出発はやらかくぽんと生み出たものであってもそれを疑いなく必要なものとして鉄壁な説得力をもってたちあがらせるのが、も、ほんと、えらいなあ。タフだなあ。ほんと、まだまだ続くこの圧倒的量感は、タフ以上のタフかなにかがないとできないだろうと思ってしまう。

そんで次が通称混沌部屋というすごいところ。はたまたすごすぎる、も、あっけ。そしてここには大学入ってすぐのころに水戸芸で見て衝撃を受けた作品、スペース・ウンコがあった!うわ!八年ぶりの再会!うわ!きゃー。その時はインスタレーションになっていたから、今回は絵だけだったけれどそれでもやっぱりかっこよかった。その時が初会田誠で、すんごいぽかんとびっくりしたのをよく覚えている。その時一緒にビル・ヴィオラなども見たわけで、まるで16のときに行ったライジングサンと同じように重要な展覧会だったのがそれだ。
他にもビン・ラディンに扮した映像作品、あとは劇団☆死期などとのインパクト大の協同作品群、も、はちゃめちゃくちゃむちゃな心臓喰われちゃいそうな作品が並ぶ。たしかにこの部屋は混沌だ。人がわらわらしているのもあってか、いや人をわらわらさせているのもこの部屋の特徴か、作品ごとの境界も失われすべてが一体となった大波にうもれてしまうような心地になった。絶対に切れてしまう首吊り用紐は本人が試している映像とあわせてすごい。すべてをぶっとばしてしまう冷静で素直、愚直な作品。何でこの人はこんなふうにものごとを捕まえられるんだろう。そこがとんでもない力の魅力。
そこをぬけるとまっぴんくの部屋。新作の絵もある。なんか、違和感ありありなんだけど、混沌部屋をぬけたあとの快楽のようでもある。すごくすっきり!全部肯定できる気持ちみたいな。なんかよくわかんないけどすごくいいなと思ったんだなあ。

そしてそこを抜けると大作絵画がならぶ大きな部屋へうつる。真っ白な壁、まさにまっとうなホワイトキューブに美しく堂々と威厳を放ちしかしなじくるように愛らしく開かれた息をのむような作品たち。圧倒される空間の美しさ。すべての作品にはりつめている生命力みたいな、絵画というキャンバスがもてる威厳みたいなものを純粋に感じた。うおー会田誠すごすぎる。美しいよ。美しさがいろんなものを包み込んでいる。会田誠はすべてをふところに受け入れている。そんなこと、覚悟ですらできないよ私には。

次に18禁部屋だったかな。これまで全部なんも見ず記憶だけで書いてるから間違いがあるかも。18禁部屋はすごい。ぜんぶすごいけど、その都度これはすごい、と思わされてしまうのだ。はたまたやはり画像でしか見たことのなかった犬シリーズ作品や美味ちゃんシリーズ、漫画およびそれに音声をつけた映像、美少女の文字でマスターベーションをする会田誠本人の記録映像。しかしすべて見てきたあとだと18禁の意味がよくわからないみたいな、まあ倫理的に18禁にする意味はわかるけど、ここまできたらべつにすべて並列でいいんじゃないかみたいな気持ちになる。しっかし犬シリーズ作品の美しく高貴なこと!うーん、やっぱりここにくるまでに会田誠の色んな表現を見てきているからかなあ、もう単純に純粋にその絵の放つまっとうな美しさに見ほれてしまう。なによりその発想力、イメージのつかみ方は尋常でなく、それでいてみんなの欲望だ。だからなんか見てる人みんなぼうーっとしちゃうみたいに見入ってる感じがした。私も。月を見るみたいに。

そして大学の学祭のために作ったという曼荼羅を模した大きな布に描いた作品、これも何かしらで知ってたからうわホンモノだ!キャプションの会田誠の言葉がどれもいいけどこれは特によかったなあ。

そして一通り見終えたあと、申し込んでおいたトークセッションを聞いた。会田誠本人の登場。うーん背も高いんだなあ。男前だよなあ。