液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

昨日のモーサムが楽しすぎて日常に戻らないかんじ。が朝までがんがん残っていて今日で年内最後の学校に行く通学時間もひたすら聴いていたりした。昨日見たいろんなことを思い返しながら。こんなに残るのもあまりないよなあ。体がまだまだ昨日のつづきでいる。がしかし大掃除してたらさすがに忘れてしまった。

ライブは一瞬一瞬そのときにしかない。だから忘れないように人はその記憶を文章にしたためたりするのかな。いやてゆうか一瞬でしかない、一瞬ですぎさってしまうからこそ演奏する人間たちはあんなにも激しく懸命に全身をその時間に捧げるみたいにして費やすんだと思考が流れた。いやまてまて私そんなこと今まで一度も気づかなかったのか?ばかじゃないか?なんかまあたぶん全くとかじゃないんだろうけど、極めて意識的にはっきりとというところで気づいたということが私にとっては大きい。

まだまだまだまだしみじみ改めて気づくことの多いモーサムライブ。なんかもう昔の自分がどんだけあほなのかとほろ苦くなる。というか、ずっと継続してればわざわざこんな風に思うこともなく、断絶があったから今こうして気づいたりするのだろうけどなんとも気づかされることが多すぎて、つまり私そんなふうに見るようになったのかと思うと時間の経過がしっかり感じられてその経過した時間になんだか悲しくなったりして。時間とゆうものをいやってくらいに体感している今日このごろのかんじ。嫌じゃないけど、時の洗礼をうけてるみたいな、これが時間の経過という時空間だぞーっと突きつけられている。どうだどうだどうだーとお相撲さんがむこうから迫ってくる。ひいー。昔見てて、見なくなって、今また見てる、ってゆう体験をしているということはつまり全部含めて長い時間が存在している、そうゆうことをすることができるだけの時を私はすでに持ってしまったというなによりもの真実の姿に昨日突然気づいたときの驚きといったらなかった。

そんなわけで昨日は新代田のFEVERでモーサムpresentsのno evil。no evil、それだけでなつかしい…みたいな。うああっばかっ。みたいなきもち。どんな気持ちだと思いつつ。ゲストにきのこ帝国とyounGSounds。どちらも簡単に調べ見た程度で音は会場ではじめて聴いた。きのこ帝国は女の子がヴォーカル、ギター、もう一人女の子もギター、ベース、ドラムは男の子。詳細判らないけど、演奏してるの見て、絶対この子たち私より若いなーと思った。なんてゆうか、うわ、ついにそうゆうことに、そうゆう時代に時代はすでになっていたんだと軽くがつんときた。いやだって昔は、と昔はばかりの話にどうしてもなってしまうけれど昔は若いバンドったっていくらなんでもみんな自分よりは年上なのであって、実際的に自分の年齢よりも若いというのはそうかそうだよなあとぶくぶくとうなずくしかないのであった。ヴォーカルの人が前髪長めで顔あんま見えなくて背もちっちゃいけど声量とギターはそれをさらっと上回ったところに鳴らせる感じでよく聞き取れる歌詞も陰鬱な感じでバンド全体としての音のまとまりはよく、きれいでうまいんじゃないかと思うし一曲でやりたいこと、数曲聞くとバンドとしての方向性みたいな世界観みたいのもつかみやすく、ギターと轟音ぽいシューケイザーぽい音の集合感は特にバンドの特徴の感じがした。若いのにうまいんだなあ、へええ、なかなかいいんじゃないかしら、というのが感想。

ただふつうにうまくきれいでまとまっている感が強すぎて、見ながらぼーっとほかのことなどついつい考える。バンドなんていくつもあるなかで、他と違うとか、このバンドにしかないものとかっていうものって一体なんなんだろう。たとえば自分が興味を持てない音楽に関してはどの曲もなんだか同じ曲に思えたりすることがある。しかし自分の好きな音楽となるときちんと聞き分けられる、この曲はどうゆう曲であるとかあの曲はこんな曲とか区別がついている。それを個人個人がすることに優劣の関係はなく、ただ単にそうなるだけだ。であるならば、私が好きな音というのは一体なんなのかしら。モーサム、私はすごくかっこいいと思うけどモーサムはまるで一般的ではなくたとえ人に伝えたところでそれをわかりあえるとは限らず、確率も低い。多くの人にとってはモーサムの曲なんてだいたい同じ曲に聞こえるかもしれない。はたして私のなかでモーサムは他となにが違うんだろう。モーサムのなにかどこが他にないもので、私はたぶんそれを自分なりに見つけてるからモーサムが好きなんだろうが、そのバンドにしかないものって、一体、なに。やはりそれがないと一曲一曲を聞き分けられるようになったりはしないのかな。他では聞けないもの。今までに聞いたことがないもの。じゃあ今までに好きになったバンドにも必ずそういったものを見出してすきと思っていたということか。本当に?ならどれだけ?それは個人個人のレベルや思考や感情や感覚にひっかかるものでやっぱりみんな違うわけだけど…。

とかとかいうことをついつい考えた。なんだろうな。

次がyounGSoundsで、私はベース中尾憲太郎をはじめて生で見た!私にとってはナンバガ中尾憲太郎というのが強くあり、それはずっとスペシャviewsicの映像で見ている人、ナンバーガールの人であったから、うわあーほんものだーというなぜか凄く有名人を見てしまった的構図に陥った。背おっきいんだな、とか。そしてやはりベースがすごかった。一曲目からして、うああ、これが中尾憲太郎か…とうなる。オタマジャクシがいっぱいいるみたいな音の羅列。ナンバガは私が音楽好きになってった時にはすでにトップみたいなとこにいる人たちってかんじで、ほわーほえーすごいなーってまなざしで見てたから、も、私のなかではすごい有名人を見た感。向井だとまた違うんだけどな。
younGSoundsはすごくよかった。すばらしい!楽しい!曲もめっちゃおもしろい。1曲目とラストだったかな、曲調、テンポがガラリと変わる2つの音を交互にやっていくとのか、こうゆうのは私のなかではvincent atmicusみたいな感じだーとかってなる。クラブっぽい音とパンクっぽい曲調が絶妙にまざりあって成立しているところがむちゃくちゃかっこいい。こんな音楽聞いたことないってのが率直な感想で、おもしろいなこれ!すごいな!と思った。サンプラーの存在感とかもいいな。ライブのもっていき方をもちろんわかってるという感じでモーサム前から楽しくなってしまった。

そしてモーサム。どとんとマライア・キャリーのクリスマスソングがSE。どわーっとテンションがあがる。楽しいなモーサム。そしてタケさんが後方からサンタコスプレに般若のお面で登場。たぶんこの間すでに他の3人はステージ上。タケさん客席を通ってステージへ。イサムさんはトナカイ帽子をかぶっていた。そしてトナカイ帽子をぬいだらぬいだでロシアっぽい帽子(に見えた)でイサムさんスタイルだなあと思う。ダウン着てるのとか同じ系列みたいな。そしてこの日はガイコツマイクが真ん中にきてたのでももは左サイドへ。ももは左においこまれてしまうと存在感がうすくなってしまうところが少しかわいそうに思えたりもする。後ろから見る限り。背高くないから?装飾物がないから?なのでがんばれももとさりげなく終始応援心。

ええと何から書こうか迷うけれど、そうだ、はじまるまえにSEさんとこ見たらセットリストが見えちゃって、6曲目が新曲でMOG MOGと書いてあって、いい曲名だな!新曲たのしみだな!と思ったんだった。全曲は見えず、半分くらいまでは見えたから、あーこの曲やるんだというのは軽く認識していた。がしかし、やはり始まってしまうと頭はその時その時でその時にいってしまっているので次の曲など頭になく次の曲が見えるたびにわっとなってその曲を楽しんで次もまた同じの繰り返しで、いってしまえばそんだけ他を忘れさせて一曲一曲をおもいっきり聞かせて楽しませてくれるモサムはすごいなと思う。

前半で印象的だったのはHave you ever seen the stars?だった。この曲の最後の方で鳴るギターの音がすっごくのびやかできれいで上へ上へとのびやかに上昇していくように線で見えるんだなあ。音がたくさんでがちゃがちゃーっとしていそうな所でもそうゆうふうにくっきりとした一筋の音のならびが見えること、なんかそれがモーサムの音だなあと思った。混沌の中からうかびあがってくると周りの音とギターの音どちらもがよりくっきりはっきりする。まあたぶん単純に私この曲すきなんだな。

音も歌も聞かせるペチカはしっとりめといえばそうかもしれないけれど、前後で勢いゆるまず隙をおかないでいるのが全体のテンションの維持としてもすごくいいなと思った。なんとゆうか、モーサムはハードな面が主体的に表面的にとられやすいとは思うのだけど、いつだってちゃんとこうゆうやさしもあるんですみたいな、そうゆうところがモーサムの非常に愛せるところだなと、人間くさくてちゃんと泣かせてくれるようなそれが安心感みたいなものかなと思う。

それで次に新曲だったかな。これかっこいいな!私好きだな!もはや最近はたんたんとしたリズムが好きなせいか、ひたすらのリズムの揺れに体が喜ぶ。ももが歌うけれどなにか機材で効果をかけているかんじ。恐竜の叫び声みたいなかんじでおもしろかった。イサムさんのこの曲中じどーっと客席の方を見つめて?なにして?いるのだった。

24hour fighting peopleのときはもはやそんなによくステージもよく見えなかったけれど、カラフルなサイリウムが沢山でフロア全体がぐわあーっと熱気があがってかけずりまわっている感じがすごくってその中にいることだけでまた興奮もあがっていく。やっぱり小さいハコだとこうゆう感じがあるんだなとか久しぶりで思ったこと。前から後ろまでのいくつもの層になってるお客さんがぎゅううーってミルフィユみたいに重なり合ってかたまりあって一つの個体になっているよなかんじ。そしてそれがもうずっと最後まで続いていくの。ぎゅううーってべつに実際はなってないけど、空気が熱く重くなって人と人との間をうめつくしていてそれがまたふくらんでいくような感じがあって、少なくともこの空間における国民総幸福度は100パーセント近い感じに満ちているかんじだった。こないだのカラコ検定で勉強しといたGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)だ!これだ!と思った。ちっちゃいハコ来たのも久しぶりで、あーちっちゃいハコだと空気の充満感がやっぱ全然違うなあっていうのが圧倒的に皮膚を通じて感じることだったのが印象的。

happy new yearとかelect boy聞けたのは単純にうれしかったな。アルバムのなかでもこの2曲は特に好きだ。happy new yearは歌詞、歌がすき。ももの歌、声が素のままであり装飾を請け負った形でもありももの遊び歌うようなももらしい歌なかんじがモーサムの曲らしくて変わらないモーサムのありように思う。歌詞も日常っぽい感覚とそっからとびたしていこうとする跳躍みたいな感じが身が軽くなるようでいいな。elect boyはイントロが長くてその時間がかっこよか。僕は電気てな歌い出しもすき。

本編ラストのshiningまで肉まんになった気分みたいな、蒸しもののなかにいる気分が変わらず。すごかったなー。音のうずと空気のうずが一緒くたになっているものを見たような気がする。見るっていうのは感じているっていう感覚なんだけどそれが見るになるという、見えるというとこまでもっていかれると、えらい気持ちがよい。

アンコールのはやくコールはどうなんだろうと思いつつ(昔からこうゆう感じはなじまない)、アンコールはまた一から仕切りなおすみたいに音が新しく聞こえたようなかんじ。ロッキンルーラやってBIG-Sやって。BIG-Sはじまって、あれ、ドラムの音増えたかな?と思ってなんとか見えたステージ上ではイサムさんがなにかしらを叩いているっぽいのが見えた。ああたのしそたのしそうー。イサムさんが右サイドでギターをひいている、ステージぎりぎりのところまでせり出して見せつけるみたいにしてギターひいてる(よくあるある的な)っていうのはやっぱりたいして変な感じがしないわけで、それは昔からただドラム席に座っているような人ではなかったからギターひいてるのも自然で、要はモーサムだからなんだろうと思うとモーサムというのがなかなかよくわかる気がした。

きのこ帝国見てる時に思ったそのバンドにしかないもの、そのバンドだからこそ興奮してときめいて楽しくてしょうがないようなものはモーサムであればだれが何といおうと既にあるがままに存在しているこれそのもの、問うことすら必要でないというのが直観みたいにして思った。10月のワンマン見てから私のなかは確実に変わった。モーサムにだけじゃなくて、音楽に対してのときめき。安っぽいけど。そうなんだよなぁ、単純だけど、またライブ沢山見たくなったんだよなぁとふとモーサムがはじまる前に思ったら、あそっか、ライブには何か大切なものがあるような気がしてそれでまたライブに行かなくちゃって思ったのか、わたし、とひらめいた。べつにライブで何かが解決したりするわけでもなく助けてもらうっていうのも違うし日常が今が人生がものすごく変わったりするわけではないが、それら全部に関わってくるようなところでの大切なものがあるかんじだろうと。ああそうかそうかそうよねと思う。最後の最後まで音を音をと、今日という日のこの時間の集積として出す音をギリギリまでギリギリを超えたとこまですべてを投げだし踏みにじってまで出そうとする音はかっこいいというかもはやついていけない。そんなどっかへいってしまうモーサム見れると人はこんなにも強くたくましいんだなあみたいな感覚のとこにおちる。おしまい。

こないだのワンマンはスタートしてたとこに入っていったし、ドリンクカウンターあたりにいたらなぜか周りは男性ばかりだったしで、正直あかるいところで見る今のモーサムファンの若い人たちの姿に少々びびったというか、うわあっわかい子らがいるいるそうかそうよね時は流れたよね当たり前よね当然よねと自分をなだめつつそうかそうかそうかと必死。いやはや、私も昔はあんなこどもみたような顔して(今も中身は昔とかわらないかも)ぽかんとしていたのかなとか思うとうわぁうわぁうわぁと得体のしれぬきのこがにょきにょききと生えてくるような少々の不気味さみたいな感覚にぞわぞわした。むかしは…私が16.7くらいのころは客層で見る人々はもうみんな年上のひとたち、ひどく曖昧でおおざっぱながらも同じくらいの年の人とかっていうのはあまりいないという感覚が当初からあってかといって自分が特に若いとかこどもっていう意識もまったくないままでいたんだが、時のへだてを経てモーサムのライブに来てみると私より若いなーって人たちがいろいろいる、もしくは自分と年の同じくらいかなーみたいな人とか、そうゆうことがすごい新鮮で、あわわあわわ。ROVOなんかは昔から今もあまり変わらない感じだからなぁ、こないだもなんも思わなかったんだな。しかしその客層感ふくめてモーサムの今というものがまた改めてわかったような。

最後はタケイサンタがプレゼントお菓子を客席練り歩きのばらまき、手渡し。最後わしゃーって収集つかなくなりだしたら全てをふりきってらんらんとしてステージに帰ってゆく。なんだこれはという楽しさ感。モーサムのパフォーマンスっぷりを見ているとただのロックバンドがこんなにエンタテイメントでどうするんだ!と思った。モーサムって、ふつうに言ったらけなしや皮肉みたいな言葉になるものが、モーサムに対しては賞賛の言葉としてなげかけられてしまう存在だ。いつだって目にも見えない目の前のなにかをぶっ壊そうとしてやっているかんじ。その感覚、体制、意識、やり方ってあー私すっごいモーサムにすりこまれてるなと思う。そこに対しての美学みたいな、これずっと前から知ってるなーって思ったけど、そうかそれってモーサムなんだなあきっと。それがいつか終わるのかどうかとかわからないけれど、そこのエネルギーみたいなものには今一度惚れ直している。