こないだの日曜は(本当は今日はって書いてたのに)11時半に外苑前に着いて、ほんとは11時に着きたかったのに鏡の前に立つとなにかがへん、何かしっくりおさまっていない病におちいりもんもんとしたりしたりアイロンかけかけ洗い物していたら予定はあっさり崩れつつ、ワタリウム美術館坂口恭平 新政府展を見に行った。
もうすでになんかものすごいらしいことはネットで知っていたから覚悟はあったといえど、うちのめされた。人の、一個人のもつエネルギーが何かを発見して行動して思考して人をどんどんぐるぐるまきこんでなにだかまだわからない、それは見たことや聞いたことも触れたこともないものという意味でのよくわからないものということで、しかし見に来た人はみんなそれに巻き込まれてしまっているのだと思う。それは空想や想像でなく、力強いというかぶっとんだ、しかし確かなリアルすぎるリアルを作り出しているのだから。そしてみんな坂口恭平を支えたくなるよな気持ちになるんではなかろうか。坂口さん本人はただいま鬱中で熊本に帰っているらしいが、なんてゆうか、坂口さんはいってることやってることの視点が普通というよな異相からはぐいっとずらしたとこにあるから、なんかそれはすごくエネルギーを使うと思う。自分をさらけ出し、いろんなもの受け入れて、そのすべてが過剰だと思う。ふつうの人間の要領を越えてしまっていると思う。しかしそれは狂気ではなく、坂口さんはそれをせずにはいられないんだろう。しないなんてありえないんだろう。生まれて生きてきたことすべてが今に繋がっているんだろうという感じがする。いや人間みなそうなんかもしれないけど、あまりにもすんなりとそう思い感じられてしまう、それが坂口さんなんだろうと。
壁に書いてあった膨大な相関図みたいないろんなものことの繋がりみたいな言葉の中で一番うわすごいと思ったのが、世界を変えるんじゃなくてもう一つの世界をつくるとかって書いたあったこと。すごいすごいすごい。私今までそんな考え方したことなかったから、すごいびっくりした。でも、うん、そうだと思った。この今ある世界だけで考える必要はないんだった。なんで、気づかないんだろう、気づかなかったんだろう。あまりにそんなふうに思わされることが坂口さんの言ってたりやっていることにはある。でもきっと全部が全部ということではなくて実は少しは自分でも疑問のような不思議のようなには思ったりしたこともあるのだけれど、それをもっと自分に引き寄せて考えたかというとそうではなかったということが浮かび上がってくるような。自分が生まれ住んでるこの国のことに対しての関係のなさみたいなものがあぶり出されてしまうような感じが起こった。
あとは坂口さんのやっている0円ハウスとか、お金がないと人は生きていけないのか?といった土地、家という住む場所や生き方を今あるあたりまえを飛び越えて生み出すやわらかで体当たりな発想は私がここ数年ぶち当たっていたような事柄に答えではないけどより根本的なところから改めて考えさせてくれるかんじがある。私が坂口さんをなんかこの人すごいとのけぞるのはこのあたりが一番だ。2~4年前のあいだ、今も引きずっているずーっと私が悩まされているのはこの社会にどうもうまく適応できない自分、欠陥があるような自分がどう生きていけるのか、いやない、ということで苦しんで、そこからなんとか脱した後はお金がないとなにもできないし、お金が沢山あってものを沢山買えていいものを沢山もって、たくさんであることばかりがいいとされてるようなそんな雰囲気に私はなじめないし出来ないしそうゆう世界とは仲良くしないでいたいし、物欲の誘惑にまどわされず、なにかもっとちゃんと大切なものにお金も気持ちも捧げたいし、まあようはそれを見つけられるのかが問題みたいな、それに一定の収入は得て生きていかないといけないからの問題が絡んでくるわけだがそんなんが私の近年のどう生きたらいいのか悩む、わからないところだ。
それにはいろんな事柄がまぜこぜになっているかんじがあったけど、坂口さん見てたらなんかまるっとひとつになってくるようでもある。てか、私があんなに暗く落ち込みまくって何年も一人でわからんわからんだめだだめだと思っていたような事柄、どこにも答えはないようだった事柄をこんなにも率直に向かい合って地面をはがしてひっくり返してしまうような坂口さんに私はびっくりだ。そんなふうにもできるんだと思わされる。世界があたらしく生まれる。そうゆうことを数々のドローイング(これは非常にすばらしい。絵がうまいという魅力はもちろん、そこに毎日や思考や人生がつまっているのがわかる。坂口さんのなかにどんどんもぐりこむ、ダイブしていくかんじだ。2~3~4階と上がって見ていくのに。路上生活の人々やそのくらし、夢日記、大学課題のための貯水タンクの暮らし日記などなどかぶりついてのめりこんでずるずるいってしまう。)や言葉、文章を通じて水がしみこむみたいにこちらの脳をふくめた体内にせせらぎみたいにして流れ込んでくるかんじ。この人はこんなにも考えている、全身フル稼働させて考えるし、行動もするし、素直に誠実に発見から学んでは新しい世界を教えてくれる。ただただその火山でも起こせそうなエネルギーの発露に、坂口さん本人のありように教えられ納得させられるような。
会期はあとちょっとだけど、これはかなりよき展示と思う。やばい。見に来た人みんなの頭んなかがぐるぐると新しいうずが生まれていってるであろうそれだけでもなにかすごい気がする。4階にある坂口さん本人の喋ってる映像がこれまた説得力あってひきこまれちゃうんだけど、そこで机の周りにあるイスに座って知らない人たちと坂口総理の演説を聞いているみたいなその空間がすごく面白い感じがした。みんなこの新政府の国民なんかなあみたいな。
僕はやっぱり他人が他人に思えない、自分にしか思えない、だから放っておけないというツイートも、坂口展見て坂口さん知ってしまったらなんだかずしんずしんと重い。全身そんなんでできてる人なんだなあと思う。自分の携帯番号をいのちの電話としてネット上にも新聞にも公開しているのとか、最初のうちはなんなんだろうこの人はみたいな気持ちでいたのが今はもうなんかこの人にとってはそれが本当なんだなそれが必要で必要とされているんだとわかっているんだなと思うしそう思うとこの世の中の正しさはまだまだ沢山隠れているような、坂口さんがそれを時に教えてくれるのかも知れない。まあそうゆう役割はいろんな表現者の人たちもそうなんだけど。坂口さんは特に生活や生きるというとこに直結している。でもみんな坂口さんに何かを求めるというより坂口さんを支えたい的な志向性があるんじゃなかろうか。なんだかそうゆう輪みたいなかんじがするな新政府は。


このあと、恵比寿へ移動。写美で記録は可能か展とこの世界と私のどこかという毎年やってる新進作家展を見た。この世界~では笹岡啓子が特によかったな。海と岩と人と、まるで地球のまあるみやあたたかみがぬくぬくとわき上がってくるような手触り肌触りがあった。すごくよかった。毎年この企画は楽しみだ。新政府展に長居しすぎて疲れてきてたため記録はの方は映像作品が多くてそんなにがっつりは見ず。だめだなあ。むむ。次の写美は映像祭だな。