液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


毎日が慌ただしいのかなんなのか、それをはかる尺度もない。やらなきゃいけないことが多すぎて、しかしどれもおわらないような、しかしそれをやれる場所や時間は限られていて、なんとかやりくりする、しかしおわらない、もはやなんかなんだかわからない。自分がなにをやっているのかもわからなくなるような。多すぎてわからない。なにがなんだか。ぷはぷはぷは。就活とゆう難題がさらにこれらをぐちゃぐちゃに。毎日のもやもや、わからなさ、ため息ばかり出す前進のない自分、変わりのないやさぐれてる自分に嫌気がさす。あまりに疲れた帰り道にYouTubeで救ってくれそうな音楽を探して聴く。私はこんなふうにこころふるわせてくれる音楽みたいに、そうゆうこころをもって生きたいんじゃなかったのか、そうだ、それを忘れちゃいかんのだ、どんなであってもそのこころでいること、それを思い出せていなきゃと思う。
モーサムのechoを聴く。ああなつかしい。その感覚はどこからやってくるのか?降ってくる。どこから?なにが?昔はechoをやっていたものだ。そこにしかないものがあった。見えた。見た。言葉にならない光が、痛みが、音が、三人と、そこに生まれる立ち上がるものが。脳みそもそれを見ていたんだなあ。脳みそで思い出す感覚がはっきりとうかびあがる。あまりに力強く、輪郭が濃いんだな。そうゆう記憶の残り方であり、また蘇り方。